本日は政府主催の「主権回復の日」の式典が憲政記念館で開催されました。
今から61年前の1952年にサンフランシスコ講和条約が発効され、第二次世界大戦後、GHQに占領された日本は主権を回復しました。
この日本の主権を回復するにあたっては、先人達の様々な苦労があったと思うし、その意味では我が国にとって重要な位置づけの日でもあります。
一方で、この1952年4月28日に主権を回復できなかった地域もありました。
それらの地域の中で、
伊豆諸島は1946年3月22日に復帰し、
その後、
1952年2月10日、トカラ列島
1953年12月25日、奄美群島
1968年6月26日、小笠原諸島が本土に復帰しました。
沖縄に至っては、第二次世界大戦から27年後の1972年5月15日に本土復帰を果たしました。
彼らは、この日本に取り残された「4月28日」を「屈辱の日」と呼んでいるそうです。恥ずかしながら、そのような呼称で呼ばれている事を私は最近まで知りませんでした。
なぜ、政府は今、この時期にこの式典を行ったのか。
なぜ、歴代の政府は今まで、この式典を行わなかったのか。
そこには、複雑な心境や本土復帰が遅れた地域に配慮があったのではなかったかと私は考えます。
今回、この式典開催するにあたり、天皇陛下の政治利用ではないかという声もあがってます。
結果として、招待を受けた全国の知事なども本人出席がかなわなかった方もいらっしゃいます。個人的には天皇陛下ご臨席の下、開催される政府主催の「主権回復の日」式典に全国の知事が揃わないという事態は現政府の失態だと考えます。
主権を取り戻した事を節目を過ぎてお祝いしたいという政府の思いも分からないわけでもありませんが、この様に複雑に絡む事でありますから、もう少し配慮等も必要だったのではないかと考えます。