中学3年の時、進学の決め手になったのは、大高の体育祭だ
色とりとりの6騎の旗がひるがえり、砂ぼこりが舞い上がる中、
太鼓のリズムが地響きと共にお腹を揺らした。
ボロボロのバンカラ帽子に下駄と袴姿の応援団長は、
号令と撃を飛ばし、時代をさかのぼったかのように感じた瞬間だった。
おのおのの旗を守り、必死の応援合戦は、
戦場を思わせる迫力で胸がときめいた。
そう、私の母校は、奄美大島の『大島高校』と言い、
大高(だいこう)の名で親しまれている。
いざ入学してみると、それはさすがに進学校
厳しい数学や物理、科学とは全く相性が合わず、
睡魔との戦いであった。
その点、師匠は成績優秀で、目を合わすのもはばかられる位、
雲の上の仙人のようではあった。
その師匠は体育祭になると、応援団の練習から
いかにして逃れようか、頭をひねっていたらしい
私はと言えば、バスケ部にいたのもあり、走ったり投げたり、
また応援団としても声を張り上げたりので、大忙しの秋ではあった。
その7年後に、さとみ先生は副団長を務め、
ミミ先生たちから[鬼の先輩]と大層怖がられたそうな。
そして、その10年後には、美沙紀先生が勇ましい男魂の
伝統を引き継ぐ事となる。
さて、その母校が110年の歴史に残る一大事ニュースで、
大騒ぎとなっている。
この春の甲子園に〈二十一世紀枠〉で出場するのだ
抽選の結果、3月25日、
優勝候補の京都の平安高校と対戦する。
遥か海を越え甲子園を目指す後輩たちに、
エールを送らずにはいられない。
高校時代にタイムスリップして、
私は下駄を履き、声をからして応援するぞ
『大高ォ~、ファイト』
西田友子