先天的な障害について | 大分・別府障害年金社労士のブログ

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大分県別府市在住の社労士の伊﨑和夫です。社労士のなかでも障害年金をはじめとして年金の分野を得意としております。
これからも年金情報をお届けしたいと思っています。

 知的障害者は「知的に遅れている人」と思われていますが、本当は分かっていることを表現できないだけなのです。ちぐはぐな表現をしていても、中では健常者と同じように感じ、思考しています。障害があっても魂は完全なのです

 人間誰しも、自分の力が活かされて役に立てればうれしいし、できるならば自立したい。かわいそうだからと何もさせないことは、当事者の心の願いとずれている。

 

 小さい子供に何か病気が起きるのは、一般論としては、両親の心のなかに何か問題があることが多い。

それとは別に、障害を持って人生修行をされている方のなかにも、カルマが原因になっていることがあります。特別な障害や難病、奇病の場合は、カルマの問題であることが多いのです。

 カルマは、過去世につくったものだけではありません。今世の経験のなかでつくってきたものも当然あります。

 幸福の科学大川隆法総裁は、カルマのことを「過去の行為の集大成でもある。自分のカルマを自覚するということは、本当の自分自身を知るということでもある」と説かれています(『病気カルマ・リーディング』あとがき)。

 

「障害児として生まれること自体は、この世的に見たら不幸ですが、長い転生で見たら必ずしも不幸とは限りません。それは意味のあることなのです。

今回、障害児として生まれなければ、そのカルマは来世以降に持ち越しになります。それは、どこかで対決しなければいけないテーマだからです。

「今回でカルマを清算しよう」という人生目的があって、その障害と闘っているのならば、神や仏にとっては、それを治さないことが慈悲なのです。人間心では、「かわいそうだ」と思うでしょうが、「神や仏は、それを見守っているだけ」ということがあるのです。

当会の祈願等を受けても、必ずしも奇蹟が起きず、障害などが治らないケースがあるのは、その人の人生の目的のなかに「カルマの清算」が入っていることがあるからです。

障害などを持つことに関して、一般的には、そういう考えを持てばよいでしょう。特別な障害や病気、難病・奇病と言われるようなものが何かある場合には、カルマの問題として見て ほぼ間違いありません。」(『じょうずな個性の伸ばし方』(P-100~101))

 

 障害の原因としては、カルマの刈り取りのほかに、人々を導くために天使的な役割を持って生まれてきている場合もあります。何らかの使命があって、人生計画として病気になったり障害をもって生まれてくるのです。

 何らかのハンディがある人は、「自分にも、他の人々の救いの光になるという使命がある」と前向きに考えて、人生修行を尽くしていくことが大切です。

 

 大川隆法総裁は、著書『心と体のほんとうの関係。』の中で以下のように説かれました。

「一般論としては次のようなことが言えます。
 そういう小さな子供は家庭の状態を反映しています。いちばん近いのは両親なので、両親の心が、そのまま子供に影響します。子供の場合、本人に「自分」という自覚ができて、自己確立がなされるまでのあいだは、両親の影響がかなり大きいのです。
 したがって、心の問題が問われるのは両親のほうです。子供に何か病気が起きるのは、おそらく、両親の心のなかに何かの問題があります。両親の心の状態が子供の肉体に現れてくることがあるのですね。
 ただ、個別の問題として考えたときには、必ずしも両親などの問題だとは言えないこともあります。
 なぜなら、ヘレン・ケラーなどの例があるからです。
 ヘレン・ケラーは、幼少時の病気が原因で、目が見えず、耳が聞こえなくなりました。しかし、あれだけのハンディを克服してきた彼女だからこそ、「多くの障害者たちに希望の光を投げ掛けた」というところがあるわけですね。
 五体満足の人間から、「目が見えなくても、耳が聞こえなくても、足ることを知って生きなくてはなりません」と言われると、反発する人は、たくさんいます。ところが、自分の実際の経験を通して、光り輝いてきた人の言葉には、強いものがあるのです。
 たとえば、心臓が悪くても、「これで私は不幸になりました」と言って一生を終わるのではなく、そういうハンディを持っていながら、人並み以上のことをいろいろと行うと、それが他の人々にとって救いの光になることもあります。そのため、優れた人が何らかの障害を持って生きることもあるのです。
 そういう手本を見せるために、あえて重度の障害を持って生まれてきたりするわけです。
 昭和の時代にも、知的障害のある天才画家として、貼り絵で有名な山下清という画伯がいました。彼は高級霊で、菩薩界の人です。光の天使が、障害のある人に勇気を与えるために、ああいうかたちで出たのです。
 あの世の人たちから見ると、「光の天使が、あんな知的障害になってしまって、かわいそうに」とも思えるのですが、それは、もっと大きなことのためなのです。それは地上の人間には分からないのですが、「障害を背負いながら一生懸命に生きて、他の人の模範となる」ということです。
 結局、あなたの質問に対する答えは、「人生は一冊の問題集」という言葉に還っていくでしょう。
 偉い人であっても、そういう病気になることがあります。それは、人々にいろいろな生き方を見せるために、やっていることなのです。
 したがって、何らかのハンディがある人は、「自分も、そういう使命を持っている」と考えて、頑張っていただければと思います。」

 

 障害を持つ事を人生計画に入れている方が一定の数がいるのです。それは、本当に辛い人生計画ですが、多くの方を励まして、豊かな人生を歩むきっかけを与える事。障害者は神様のボランティアとして、身動きの取れない体に生まれながら健常者を励ましているのです。人間として普通に生活できるのは当たり前じゃない。もしかしたら、あなたも障害者として生まれた可能性があるのですよ。だから、当たり前の事が出来る事に対して、日々感謝しないといけないし、よい人生を送る義務がある事に気がついてもらうため。障害者は可哀そうな人ではないのです。もしかしたら、天使の化身として周りの方を教育しているかもしれないのです。実際に、障害を持つ子供は天使のようです。なぜ、こんなに笑顔が美しいのだろうと思った事はないですか? なぜ、知能が発達していないのに、いつも幸せそうにしているのだろうと思った事はないですか? 障害を持つ方は、人間の幸福がなんであるかを知っているのです。 健常者よりも知能は劣るかもしれませんが、実は、幸福を感じる「感性」と「霊性」はとても高い方である事が多いのです。だから可哀そうな方ではないのです。彼らの魂から見れば、健常者で愚痴を言っている人の方が可哀そうに見えるのです。

 障害者の中で、最高の使命を果たした方がいます。それが、三重苦を克服した有名なヘレン・ケラーです。目が見えない、耳が聞こえない、話ができない。この苦しみの中で、彼女がどのような人生を生きたか・・・ これは数々の伝記に書かれているように、人類の希望であると言っても過言ではないと思います。これは神様が計画し、ヘレン・ケラーがあの世で作った人生計画なのです。 障害を持つ方が生まれる理由はここにあります。障害を持つことによって、周りの方を教育しているのです。そして、本人も尊い修行をしています。体が自由に動かず、脳が正常に働かないなかで、どう生きるか? それを模索しながら魂修行をしています。だから、彼らの人生を無駄な物だと思ってはいけないのです。たとえ知能が発達しなくても、それは脳の機能が故障しているだけです。いわばパソコンが故障して正しく表示されないのと同じです 脳が故障していても、その方の魂は普通の人間として何でも理解しています。表現が出来ないだけなので、こちらが言っている事が全て理解できています。どうせ分からないからと言って、傷つける事を言ってはいけないのです。また、障害の中には事故による物もあります。これは人生計画とは違う物だと思いますが経験は無駄になりません。 この世界で不自由だった部分は、あの世に帰ると10倍の感覚として帰ってきます。筋肉だって、負荷をかけると強くなります。この世界で不自由した部分は、あの世で10倍に強化されます。だから、なにも無駄にはなりません。いまの環境でどうすれば最善の道を生きる事ができるか。それを探すしかありません。それぞれが、尊い人生修業なのです。

 

 健常者であれ、障害者であれ、魂としては完全であり、決して劣っているわけではないのです。