里山散策の景色 セオリーがダメなら、ヒストリーが道を灯す時代かな | 里山の手入れと観察の記録

里山の手入れと観察の記録

自然との折り合いについて考え続けていきます。

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葉も、木の実も、落ちて、

断続的に強い雨の中でも、

景色、雰囲気に限って言えば、

やはり、きれいで、心が休まり、穏やかな気持ちになれます。



さて、本心を表現することには、
とても、臆病な気持ちになりますが、
書きます。



セオリーが、でたらめだったと明らかになった時代に立ち、

いよいよ、それなら、

セオリーは捨てて、もう一度、ヒストリーに学ぼうという事です。

理論と理屈がデタラメな時代の次を照らすのは、歴史かな?

もう、歴史しか残っていないと。

そんな文章を読んで、頷きました。

歴史は、全く同じに繰り返すことはないけど、

似たような現象、流れは、過去、積み重なっているということ。

それを学べば、読めば、謙虚な気持ちにさせてもくれます。

日々の情報の真偽もまるでわからない時代。

進む道標。

どんなにたいそうな理論も、大変化の前では、ただの猿知恵の時代。

だから、威張っていたり、偉そうな態度は、ただの猿知恵の人と見よう。

セオリーよりヒストリーの時代の入口です。

さて、僕は、里山の歴史をあらためて、もっと学ばなくてはという気持ちです。

集中したいとおもう朝です。