日本犬の本 いぬ馬鹿 さん ??? | 甲斐犬と古墳の里 堺もず で暮らす

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甲斐犬(日本犬)の あれこれ
が、いっぱい !!!
たいていの情報が、あります。

この人が、いなかったら ???

 

今までの、日本犬に関する記事に何度となく出てきた

斎藤弘吉”氏

日本犬の保存の、実質的な「実施者」、「中心者

この人を、モデルにした小説(?)が ある。

著書名 : いぬ馬鹿

作 者 : 戸川幸夫

1995年発行 少し古い本かも ???

 

日本犬の保存と研究が、日本民族の起源を知る上の手懸り

として必要であると最初に主張したのは、大正時時代に、

東京帝国大学の渡瀬教授であるが、その保存の実際は、

中々進まなかった。!!!! その間に日本犬は、ほと

んどが混血していった。この困難な保存運動に着手し、

今日の日本犬時代を再現したのは、日本犬保護普及会

(日本犬保存会???)であり、この会を創り出したのは

、うちのお祖母ちゃんが、いつも言っている「いぬ馬鹿

さんの“馬鹿力”であった。

 

いぬ馬鹿さん――本名は藤原弘平(斎藤弘吉???)

        美術学校出の洋画家の卵

 

せっかく卒業した美術の道をふり捨てて、犬に夢中にな

ったのだから、昔かたぎのお祖母ちゃんは、弘平と言わず

に、「いぬ馬鹿さん」で通している。・・・ で始まっている。

この中で“僕は”といっている青年が、戸川氏 かも???

 

ただし 小説(?)であるので、実際とは、かなり違うかも

しれないが、大筋は、あっているのでは ???

 

 

本の中から抜粋 !!!

 

日本犬の保存を、決意した弘平は

昭和の初め 弘平は、渡瀬教授を訪ねる。

(その会話の中から)

「絵は止めました」「犬の仕事をするためです」

「日本犬は既に全部雑種化されてしまっているのですか?」

「日本中の犬が全部というわけじゃないね。うんと辺鄙な

山の中等を探せば或いは残っているかも知れない。・・・」

「・・・研究するだけならともかく、 保存、繁殖させる 

これは、大変な事業なんだよ ・・・ は、国家がなすべき

なんだよ」

 

「国家は、それを何時してくれるんです?」

「愚図愚図しているうちに純粋な日本犬の血は絶えるん

でしょう。果たして国家がやるかどうかもわかりません。

誰かがやらねばならないんですから ・・・ ・・・ 」

 

その後 保存活動に のめり込んでいく

昭和3年 日本犬保護普及会 設立

犬籍簿作成

全国の山々の中へ犬探しの旅に

 

そんな 弘平に 妻は、…)

「ねえ、貴方は、画家じゃなかったかしら・・・ 、まるで

犬屋みたいに犬のことばかり考えて・・・ ・・・ この頃の

貴方を見ると悲しくなるわ」

「僕がしなければ日本犬は絶えてしまう。僕が、やらな

ければならないんだ」・・・ ・・・

 

親の遺産を居食いして、本業を捨てて、犬に夢中になって

いる弘平に、「いぬ馬鹿」の醜名が付けられたのは、この頃

からであった。

 

(ついに 離婚に ・・・)

(再婚話にも ・・・ ・・・)

「一文にもならない仕事に、本業を捨てて、財産を注ぎ込み

年中家を空にしている男の所へなんか来る女もあるまい。

いぬ馬鹿と言われるなら「いぬ馬鹿」に徹してやろう」と

・・・ ・・・ ・・・

 

日本犬の保存運動を軌道に乗せる。

日本犬展覧会も実施

日本犬の天然記念物の認定も

 

しかし その後 意見の違いから 自らが創った 日本犬

保護普及会を、去ることに !!!!

 

最後にお祖母ちゃんから

弘平は、いぬ馬鹿かも知れない。しかし こんな心からの

「いぬ馬鹿」さんでなければ絶滅しかかった種を保存し、

繁殖し、復興させるなんて大仕事はできないのかも知れん。

・・・ ・・・ ・・・ 

 

その2 に続く !!!

 
 

江戸時代の 犬 の 形 がわかる(?) 資料 か ???

 

 

 

 

” の 形に 注目 !!!

立った 耳 が ない !!!

 

 

 

 

 

江戸時代には、もう 耳の立った犬 は いなかったのか ???

(これは、私の 個人の 感想です)

 
 

 

 

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