秋田犬 ” 忠犬ハチ公 ” 散策(2) ???  | 甲斐犬と古墳の里 堺もず で暮らす

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ハチ公 東京での 生活は ??

 

生後、間もなく 東京の上野教授宅に来て

どうだったのか ???

 

上野教授が亡くなるまでの、約1年4ケ月が、

ハチにとって、一番幸せな時だったことは、

間違いのない事実です。

 

子犬時代の、約2ケ月から1才7ケ月の若犬

時代の、ごく若い時の短い期間だけであるが、

”飼い主との関係”を形造る上で、この期間が、

犬にとって、一番大事な時(?)です。

 

この時期に、飼い主に、大事にされ、愛され、共に

遊んだ事は、一生忘れない。 ????

 

博士は、大の愛犬家で、ハチの他に2匹の犬を

飼っていたが、その中で ハチ を特に可愛がった

ようである。

 

博士は、東大農学部の教授で、

出勤は、近くの”駒場の農学部”へ、

出張の時は、これも近くの”JR渋谷駅”から ・・・

 

3匹の犬は、東大農学部の校門まで、あるいは

渋谷駅まで、博士について行っていた。 これは、

事実として容易に理解できる。 !!!!

また 夜には、上記に迎えに行っていた。これは

私としては、”?????” であるが ・・・

 

両場所とも、上野博士の家から、かなり近い所に

あるので、迎えに来た時に、褒美のおやつを与える

等して、教えて行けば、可能かも ???

上野宅より 両場所とも 約5~600m位 ??) 

 

現在では考えられない事であるが、当時は、犬を

放して飼っていた。また 車もそんなに多くなかった

(?)こと、それと 犬も現在に比べ、かなり賢かった

と思われる。(私の子供の頃の記憶から ???)

そんなことを総合すると、考えられないことは、ないが

、疑問は多い。 ???

 

ともかく  ”博士と共に出かけ、迎えに行き共に帰って

くる”という生活を送っていたらしい。

おそらく 事実 だろう  ???

 

そんな生活が、突然 壊れてしまった。

博士が、突然 亡くなったのである。  !!!

 

ここから ハチ公の苦難の犬生が始まるのである。

 

一番困ったことが、

色々の事情から、上野博士の婦人が、家を出ていく

ことに、なったのである。 また ハチを飼えなくなった

ことである。

 

主人を失い、住む家がなくなる。

飼い犬にとって、”全てを失う”事である。

ハチにとって、どれほど つらい事であったか ???

 

 

事実と思われる 時系列

 

① 大正12年1月15日

  上野宅に来る。

② 大正14年5月21日

  上野博士 亡くなる。

 

 その後 ハチは

 日本橋の呉服屋に預けられる。

 次に、浅草の高橋宅に預けられる。

 次に、世田谷の 上野夫人宅に ・・・

 ここで 再び夫人と暮らす が !!!

 

何れも、色々な事情で、暮らす事ができなくなり

博士の死後 約2年経って 最後の飼い主である

小林宅に、 行くことになった。  ・・・・  ・・・・

 

ハチは、博士の事が忘れられず 元の家に帰り

たかったのか、他の人に、なじめなかったのか

とにかく、安住の地を、得られなかったのである

 

 

③ 昭和2年秋

    渋谷区 代々木 富ケ谷の

    小林菊三郎 氏に預けられる。

 

小林氏(前出)は、上野家出入りの、植木職人

ハチを上野駅へ受け取りに行った人でもある。

ハチを以前より可愛がっていた。 ???

 

また 別の 資料では

新しい、世田谷の上野夫人宅から 渋谷駅までは、

5km以上あり、ハチが、駅へ行くには遠すぎた。 ??

そこで かわいそうに思った夫人が、渋谷駅の近く

に住んでいた 小林氏に お願いしたと ???

ちなみに 小林宅からは、約20分で行ける ??

 

以後 死ぬまで  小林氏の 飼い犬 だったのである。

 

 

この頃から ハチは、

渋谷駅に通う(??)ようになる。 ???

 
 
ここからは
私の 勝手な 考察 ???
 

おそらく 渋谷駅付近、旧上野家付近を、うろうろして

いたか、巡回していた。 ???

博士が亡くなって、2年以上が、経っている ・・・

「博士が帰ってくるのを待っていた」とは、考えにくい

?????????

 

以前に預けられていた所では、繋がれていて、自由に

外出をすることが、できなっかったらしい。 ???

渋谷駅に行きたくても、いけなかった。 ???

しかも かなりの距離があり、道が、わからなかった。??

 

旧上野宅の近く(??)に、預けられたので、昔のテリトリー

であったのか、道を知っていたのか(?)、外出した時に

上野宅に、たどりついたと思われる。主人がいないのを知ると、

次に渋谷駅に、と言うように、昔の記憶のままに、この辺りを、

うろうろするようになった。

 
そして
空腹になると、あるいは夜になると、小林宅に帰る。
そんな 毎日を過ごすようになった。 ???

 

博士在りし日には、よく焼き鳥屋にもお供した様である。
そこで 焼き鳥屋の親父から 焼き鳥を、もらっていた
事が想像できる。 また 渋谷駅付近には、駅員あるいは
犬好きの人がいて、よく 食べ物をもらっていた ???
 
”渋谷駅”付近は、ハチにとって
”一番好きな””一番楽しい思い出のある”
場所であったのである。

 

そのような場所 渋谷駅 に 再び帰って来た時に、

また 昔の馴染みの人(?)に、食べ物をもらう様に

なり、一層好きになり 通うようになったのと思われる。

 

別の資料によると

朝 9時頃 小林宅を出る

しばらくすると 戻ってくる。

夕方 4時近くになると、出かける。

5~6時頃 戻ってくる。

夜は、小林宅に いた。

 

これは、上野博士が、生前 出かける時間と

帰る時間である。 と ???

この話は、できすぎである。 と私は思う。????

 
 
私の
今回新しく わかった 事実
 

ハチは、野良犬になったことは、1度もなく、

飼い犬であり、飼い主がいたのである。

 
 
 
そんな毎日を送っていた ハチ に
思いがけない、大事件が ・・・ ・・・
続きは 次回に ・・・ ・・・
 
 
今回の 写真・絵 等
 
この時期の ハチ の写真が、インターネット上には
あまりない。
秋田犬の 特徴である
両耳が立っていて、尾がキリット巻いている” 写真
唯一 見つけたのは
昭和4年
ハチが ひどい皮膚病になって、命も危ない(?)と ・・・
この時、日本犬保存会の斎藤氏が撮った写真がある。
両耳が立ち、尾も巻いている。 しかし 毛はきたなく、
尾は毛が抜けて、細くなっている。 !!!
「秋田犬の雑種」 との 意見もあるが、この写真を見る限り、
純度の高い 秋田犬 に見える。 !!!
耳は、この病の後、垂れるようになったらしい。 ??? 

 

 

若いころの ハチ (私が想像して 描いた ??)

凛々しい  賢そう ・・・ ・・・・ 

毛色は、薄い茶 か ???

 

 

渋谷駅に、帰ってきた 上野博士 に 飛び付き

うれしさいっぱいの  ハチ (想像図) 

 

 

インターネット上には、たくさんの資料があるが、

細かい所、エピソード等、少しづつ違っている。???

なぜ か ???

こんなに 有名な 物語 なのに  ???

 

次回も よろしく  !!!

 

 

 

 

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