続きです。
人は、同じ刺激をずっと受け続けると、苦痛を感じるというお話しでした。
人はずっと同じものを食べ続けると苦痛を感じます。
同じ音を聞き続けると苦痛を感じます。
同じ本をずっと読み続けても飽きてしまい、苦を感じます。
動物も例外ではないようです
では、人はどういった時に楽しいと感じるのでしょうか…
それは…
物事の変化を感じたときに楽しいと感じているのですね。
人は変化を楽しんでいるのです。
ここまでが前回のお話です。
同じ刺激を受け続けると苦痛なので、その刺激の変化を楽しいと感じるのです。
また、五感への刺激を同時に行うことも、人は楽しいと感じます。
映像を見るだけよりも、同時にサウンドとして、音を聞く方が楽しく感じます。
さらに、同時に味覚も刺激をするとより楽しさを感じます。
ポップコーンを食べながら、映画を見るという行為がこれに該当します。
食べるという行為も、ただの味覚の刺激ではありません。
ただ単に甘いものが食べたいだけならば、角砂糖でも食べればいいのですが、人はそれでは満足しません。
角砂糖よりも、チョコレートパフェが食べたくなる理由は、視覚、味覚、嗅覚、触覚などの刺激を同時に得ることが出来るからです。
この五感を同時に刺激することを楽しいと感じるのも、刺激の変化を楽しんでいるということと矛盾しません。
様々な刺激をあちこちから得ることで、心がその変化を楽しんでいるのです。
ですが…
もう少し繊細に定義してみましょう。
心が変化を楽しんでいるというのは、厳密には正しい表現ではありません。
我々はお腹が空くと、苦しいので、ご飯を食べます。
空腹という苦しみが減るので、楽を感じます。
食べ続けると、満腹という苦を感じます。
苦しいので、それを無くすために、食べるのを止めます。
つまり、我々は苦しみから逃れるために活動しているのです。
厳密には、変化を楽しんでいるのではなく、苦から逃れようとしているに過ぎない、ということです。
ここで、冒頭のお話に戻ります。
人は同じ刺激を受け続けると苦痛を感じます。
つまりは、“刺激自体が苦痛”であるということです。
変化を楽しむということは、苦痛から逃れるということに過ぎません。
生きるためには(五感への)刺激が必要です。
ですが、本来、刺激自体は苦痛である。
上記のことをふまえると、導かれる結論がひとつあります。
それは…
“生きる”ということは“苦”であるということです。
つづく
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