青森県八戸市にあります
大慈寺です。
山門です。
天保二年(1831)に
建立された楼門式山門で
一階左右には仁王像が安置、
二階には十六羅漢像が
安置されています。
鐘楼です。
鐘楼の四隅にそれぞれ彫刻があり、
獅子(?)と天女が配置されています。
福聚山大慈寺、本堂です。
宗派 曹洞宗
ご本尊 聖観音
由緒
応永十八年(1411)、
根城南部九代・長経公が
秋田征伐をした際、
萬松寺・龍殿恵金和尚の助言で勝利します。
(別の資料では萬松寺・宝山正弥和尚)
*萬松寺は秋田県鹿角市にありますが、
この当時の鹿角市は南部領でした。
萬松寺の和尚さまが敵状を教えたので、
勝利したと伝えられます。
応永十九年(1412)、
根城南部九代・長経公は
前年の勝利に感謝して、
松館の松館庵跡地を復興して
宿寺を創建します。
大悲寺と改称して萬松寺・末寺となり、
根城南部氏の菩提寺としました。
寛永四年(1627)、
根城南部二十二代・直義公が
遠野に国替えとなり、
松館大慈寺も共に移ってしまいます。
このため宿寺(大慈寺)は
一時廃寺となりました。
その後(詳細な年代不明)、
盛岡南部二十七代・利直公
(1576~1632)が中興開基となり、
萬松寺三世・虎山玄龍和尚を呼び
松館大慈寺を復興します。
延宝年間(1673~1681)、
萬松寺四世・明岩幡察和尚が
廃寺同然だった宿寺を、
糠塚(現在の長者1丁目)に
大慈寺の宿寺として再建しました。
天保元年(1830)、
八戸城下に宿寺が近かったので、
宿寺と本寺の地位が逆転します。
明治八年(1875)、
宿寺禁止令により、
糠塚大慈寺が松館大慈寺の
本寺と定められました。
一方の松館大慈寺も、
明治二十一年(1888)に独立します。
観音堂です。
ご本尊 阿弥陀如来、三十三観音
糠部三十三観音霊場 第九番札所
八戸御城下三十三観音霊場 第七番札所
『平天(ひたすら)に
頼みをかけよ
大慈てら
六つのちまたの
苦にかわるとも』
糠部三十三観音霊場・御詠歌
『ひたすらに
頼みをかけよ
福聚山
現世安穏
後世極楽』
八戸御城下三十三観音霊場・御詠歌
境内の風景