青森県八戸市にあります
大慈寺です。

 

大悲寺(八戸) 26

 

山門です。

 

大悲寺(八戸) 24

 

天保二年(1831)に
建立された楼門式山門で
一階左右には仁王像が安置、
二階には十六羅漢像が

安置されています。

 

大悲寺(八戸) 23
 

鐘楼です。

 

大悲寺(八戸) 19

 

鐘楼の四隅にそれぞれ彫刻があり、

獅子(?)と天女が配置されています。

 

大悲寺(八戸) 8

 

大悲寺(八戸) 6

 

福聚山大慈寺、本堂です。
宗派 曹洞宗
ご本尊 聖観音

 

大悲寺(八戸) 17


由緒
応永十八年(1411)、

根城南部九代・長経公が

秋田征伐をした際、

萬松寺・龍殿恵金和尚の助言で勝利します。

(別の資料では萬松寺・宝山正弥和尚)

*萬松寺は秋田県鹿角市にありますが、

この当時の鹿角市は南部領でした。

萬松寺の和尚さまが敵状を教えたので、

勝利したと伝えられます。

 

福聚山大慈寺 m

 

応永十九年(1412)、

根城南部九代・長経公は

前年の勝利に感謝して、

松館の松館庵跡地を復興して

宿寺を創建します。

大悲寺と改称して萬松寺・末寺となり、

根城南部氏の菩提寺としました。

 

大悲寺(八戸) 10

 

寛永四年(1627)、

根城南部二十二代・直義公が

遠野に国替えとなり、

松館大慈寺も共に移ってしまいます。

このため宿寺(大慈寺)は

一時廃寺となりました。

 

大悲寺(八戸) 2

 

その後(詳細な年代不明)、

盛岡南部二十七代・利直公

(1576~1632)が中興開基となり、

萬松寺三世・虎山玄龍和尚を呼び

松館大慈寺を復興します。

 

大悲寺(八戸) 3

 

延宝年間(1673~1681)、

萬松寺四世・明岩幡察和尚が

廃寺同然だった宿寺を、

糠塚(現在の長者1丁目)に

大慈寺の宿寺として再建しました。

天保元年(1830)、
八戸城下に宿寺が近かったので、
宿寺と本寺の地位が逆転します。

 

大悲寺(八戸) 13

 

明治八年(1875)、
宿寺禁止令により、
糠塚大慈寺が松館大慈寺の
本寺と定められました。
一方の松館大慈寺も、
明治二十一年(1888)に独立します。

 

大悲寺(八戸) 7

 

観音堂です。

ご本尊 阿弥陀如来、三十三観音
糠部三十三観音霊場 第九番札所

八戸御城下三十三観音霊場 第七番札所

 

大悲寺(八戸) 14

 

『平天(ひたすら)に
頼みをかけよ
大慈てら
六つのちまたの
苦にかわるとも』

糠部三十三観音霊場・御詠歌

 

大悲寺(八戸) 15

 

『ひたすらに

頼みをかけよ

福聚山

現世安穏

後世極楽』

八戸御城下三十三観音霊場・御詠歌

 

大悲寺(八戸) 12

 

境内の風景

 

大悲寺(八戸) 1

 

大悲寺(八戸) 4

 

大悲寺(八戸) 5

 

大悲寺(八戸) 21

 

大悲寺(八戸) 20

 

大悲寺(八戸) 18

 

大悲寺(八戸) 28

 
大悲寺(八戸) 11
 
境内の風景②。
音楽は鈴音(椿 鈴音)さんの『~天女の鐘~』より、
『天女の鐘』を使用させていただきました。