秋田県にかほ市にあります

蚶満寺です。

 

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皇宮山蚶満寺、本堂です。

宗派 曹洞宗

ご本尊 釋迦牟尼佛

北国八十八ヵ所 第四十五番札所

 

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由緒

かつてここは九十九島と呼ばれる、

松島と並ぶ景勝地でした。

仁寿三年(853)、

慈覚大師が蚶方(きさかた)の美景と

神功皇后の伝説によりこの地を占い、

天台宗・皇后山干満珠寺を開創します。

 

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正嘉元年(1257)、

北条時頼公(最明寺入道)が象潟を訪れ、

四霊の地と定めて

二十町歩の寺領を寄進し再興しました。

 

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天正十五年(1587)、

地元の金又左衛門さまの懇請で

松ヶ崎の光禅寺九世・栄林示幸さまが、

光禅寺開祖・直翁呈機さまを開山に勧請し

曹洞宗に改宗します。

この後に間もなく

仁賀保院内(にかほ市)の禅林寺との間に、

本末論争が起きました。

元禄九年(1696)、

加賀大乗寺の預かり末寺となり解決します。

 

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元禄二年(1689)、

松尾芭蕉がこの地を訪れました。

文化元年(1804)、

地震で潟底が隆起し陸地になります。

本荘藩は経済的に苦しかったので

象潟・景観保持の方針を変更、

島を崩して新田開発に着手しました。

古くから寺領として蚶満寺は

維持管理をしていたので、

第二十四世・覚林和尚は

不当な行為を改めるよう藩に対して行動。

藩の行動は止まなかったので

閑院宮家の祈願所とすることに成功し、

開田を阻止する事が出来ました。

 

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藩は藩命に背いたとして、

蚶満寺に理不尽な行為をします。

覚林和尚は身の危険を感じ

上野の寛永寺に逃れますが、

捕らえられて本荘の牢獄へ。

そして四年五ヵ月後、

冬の寒い日に牢死されました。

覚林和尚の命と引替に、

象潟の景観は守られます。

 

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松島に嫁いだ紅蓮尼さまの碑。

 

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『植え置きし

花の主は

はかなきに

軒端の梅は

咲かずともあれ』

紅蓮尼

 

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『咲けかしな

今は主と

ながむべし

軒端の梅も

あらんかぎりは』

紅蓮尼

 

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西弛さま(紀元前502~470)の像。

 

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中国の春秋時代末期、

救国の為に敵国に身を捧げました。

 

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松尾芭蕉さまの像。

 

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『象潟や

雨に西施が

ねぶの花』

松尾芭蕉

 

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蚶満寺の風景

 

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以前島だった場所は、

陸の島として残っています。

 

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