秋田県大館市に鎮座しています
三哲神社です。
三哲神社は三哲山の中腹に鎮座し、
杉木立に囲まれた山道を登り向かいます。
三哲神社、拝殿です。
御祭神
千葉上総介秀胤さま
由緒
寛永元年(1624)、
御祭神の千葉上総介秀胤さまは
本名・下斗前常政(幼名・小太郎)といい、
岩手県二戸郡福岡に生まれました。
幼少の頃から物覚えがよく、
若い頃に江戸に出て学門と武芸に励みます。
医術は丹波の派で修業し、
多くの人を救いました。
武芸、医術、武芸は抜群で
医名を『三哲』、
学号を『玄秀』と唱えていたので、
人々から三哲と呼ばれます。
寛文五年(1665)、
下斗前常政さまは南部領・大湯
(現・秋田県鹿角市大湯)に移り、
千葉家に寓居して
千葉氏を名乗りました。
(この時期に角館に移ったとの説もあります)
寛文六年(1666)、
大館市十二所に移り、
武芸を教え
医業を開きます。
そして薬代は富豪から取り、
貧民からは受け取りませんでした。
同時期に十二所城代の重病を治療しますが、
城代は半分しか支払いません。
その後に城代重臣の妻が
難産になり治療しますが、
この時も半額のみの支払いでした。
三哲さまは怒って城に向かう上納米を抑え、
貧者に分け与えます。
城代側は怒り策略を企て、
三哲さまにある病家からの御礼と偽り
酒と鱒を贈りました。
三哲さまは大滝薬師神社前の温泉に
酒を飲み普段通りに入浴、
丸腰で酔っていたので
三人の捕手に捕らえられます。
そして三日後に身体の損傷の為に
息絶えてしまいました。
人々は三哲さまの遺言に従い、
蝦夷が森に埋葬します。
後に蝦夷が森は三哲山と呼ばれ、
埋葬地は三哲神社となりました。
境内の風景