秋田県大館市に鎮座しています

三哲神社です。

 

三哲神社 16

 

三哲神社は三哲山の中腹に鎮座し、

杉木立に囲まれた山道を登り向かいます。

 

三哲神社 2

 

三哲神社、拝殿です。

御祭神

千葉上総介秀胤さま

 

三哲神社 11

 

由緒

寛永元年(1624)、

御祭神の千葉上総介秀胤さまは

本名・下斗前常政(幼名・小太郎)といい、

岩手県二戸郡福岡に生まれました。

幼少の頃から物覚えがよく、

若い頃に江戸に出て学門と武芸に励みます。

医術は丹波の派で修業し、

多くの人を救いました。

武芸、医術、武芸は抜群で

医名を『三哲』、

学号を『玄秀』と唱えていたので、

人々から三哲と呼ばれます。

 

三哲神社 m

 

寛文五年(1665)、

下斗前常政さまは南部領・大湯

(現・秋田県鹿角市大湯)に移り、

千葉家に寓居して

千葉氏を名乗りました。

(この時期に角館に移ったとの説もあります)

 

三哲神社 8

 

寛文六年(1666)、

大館市十二所に移り、

武芸を教え

医業を開きます。

そして薬代は富豪から取り、

貧民からは受け取りませんでした。

同時期に十二所城代の重病を治療しますが、

城代は半分しか支払いません。

その後に城代重臣の妻が

難産になり治療しますが、

この時も半額のみの支払いでした。

三哲さまは怒って城に向かう上納米を抑え、

貧者に分け与えます。

 

三哲神社 7

 

城代側は怒り策略を企て、

三哲さまにある病家からの御礼と偽り

酒と鱒を贈りました。

三哲さまは大滝薬師神社前の温泉に

酒を飲み普段通りに入浴、

丸腰で酔っていたので

三人の捕手に捕らえられます。

そして三日後に身体の損傷の為に

息絶えてしまいました。

 

三哲神社 6

 

人々は三哲さまの遺言に従い、

蝦夷が森に埋葬します。

後に蝦夷が森は三哲山と呼ばれ、

埋葬地は三哲神社となりました。

 

三哲神社 10

 

境内の風景

 

三哲神社 3

 

三哲神社 4

 

三哲神社 5

 

三哲神社 9

 

三哲神社 1

 

三哲神社 13

 

三哲神社 12

 

三哲神社 14

 

三哲神社 15