※2014年10月の記事に補足して再アップです


素敵な発信をしていた知人が、
子どもの安全のためにと
SNSでの発信をやめちゃった。

でも、
『SNSに子どもの写真を
アップするのは危ないよ。
世の中いい人ばかりじゃないよ。
私はいい人みたいに見えるけど、
悪いところもあるぜ。』

『SNSに写真アップして
誘拐とかされたらどうしよう?』
単に不安ワサワサ。

なだけなんです。



周りの世界は自分の投影だから、
ほんとはダークな自分を押し込めて
人のためにの良い人ぶって生きてる人は
SNSというツールを通して
ダークな自分を見るんです。



人を信じてないってことは
自分を信じてないってこと。

『何かあったらどうしよう?』は
単に今ワサワサしてるだけ。



まあ、
確かに子どもの写真をアップすると
好きだって言ってくれる人も
嫉妬する人も現れます。

『かわいいねー』って言われて
嬉しいのに、
『リア充ウザい』的嫉妬を恐れて
アップを辞めたら、

嫉妬されることは無くなるけど
好きだって言ってくれる人も
同時にいなくなります。

それってちょっと
もったいない。


おまけにその嫉妬された時に感じた
いたたまれなさは
あなたの中にバイブレーションとして
残ったままです。

※そのいたたまれなさを味わうために
嫉妬してくる相手が現れてきたわけですね。

つまり、
行動を抑えて誤魔化したとしても
自分が持つ感情パターン/いたたまれなさは
変化していません。

だから再び
嫉妬されるような出来事に遭遇したり、
同じようにワサワサする出来事が
起こっていったりするんです。

全ては感情体験のためにです。
頭でどれだけ嫌だと思おうが、
魂的にはその体験がたまらんわけですね。


だから結局のところ、

他人からどう見られるかは
どうでもいいんです。

自分がどうしたいか?
何が楽しいか?です。


どう生きていたって
あなたにある感情は
どの道出てくるのですから。

ならば
歩みたい道を歩みましょう。


その上で他人からの視線や反応に対して
自分に起こる反応/感情は
受け入れて体感していくんです。


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批判されたくなければ
発信しなければいい。

事故りたくないなら
車に乗らなければいい。

振られたくないなら
告白しなければいい。

怪我したくないなら
動かなければいい。

失敗したくないなら
チャレンジしなければいい。

落ちるのが怖いなら
受けなければいい。

それって、
生きてるかい?




個人的には、
行動の先にある感情体験を
し尽くしていくっていうプロセスが、
自分の枠を拡げる
大切なステップだと思ってます。

別に自分の枠を拡げずに
そのまんま生きていこうが構わないし、
平日は望まない仕事してモヤモヤを感じ、
休日はうちに篭って
孤独を感じててもいいんですよ。

でも、いろんな方を眺めてきて、
本当にそれで納得してる人って、
実はすっごい少ないように見えます。


『とにかく感情を
感じればいいんでしょ?』
って言われればまあそうです。

だけど、

望まない仕事をしていて苦しむより、
自分の望むものを選んだ上で
ワクワクワサワサしてた方が、   
リアルな人間て気がするんです。



ほんとはどうしたいのかを
意識して行動していく人と、
他人軸に合わせてる人。

全て自分の投影だという話を聞いて
素直に自分に向き合っていく人と、
それでも他人基準で生きる人。


選択はご自由に。



だけど、
二つの世界はもう
交わらなくなってきてる。
これからもどんどん離れていくんだなー
と思います。


※参考記事