震災から11年。
遥か昔のことのようでもあり、つい最近のことのようでもあり、
私の脳は未だ現実を受け入れたり受け入れなかったりしているのかな。
フェイスブックで当時のことを克明に書かれているご遺族の方の投稿を読むと胸が痛みます。
当時、東京にいた私は、ニュースで故郷が津波に飲まれていく映像を見せられるばかりで、家族や親戚と一切連絡が取れず安否もわからない状態が続きました。
不安と恐怖。
東京近郊に住む同級生達と情報交換をし、それぞれの家族はもちろん、釜石に住む友人達の安否確認にも力を入れました。
次々と無事だという情報が入るなか、私の家族の名前も仙寿院の避難者リストで確認でき大泣きして喜びました。
なかなか家族の安否が確認出来ない友人は避難者リストではなく、亡くなったご遺体の情報を探すようになり、
そして悲しい連絡を受けることになりました。
その時「私の家族は生きていてゴメン」という感情が私を支配しました。
生きていることが申し訳なくなり、落ち込みました。
そんな事を思わせてしまう出来事には二度とあいたくないです。
来年は私も釜石に移り住みます。
生きている間に津波が再び来ないという保証もない。
津波で誰も死ぬことのないよう、行政も力を入れてくれていると思いますが、
各個人も普段からシミュレーションをしていかなければならないと思いました。
ロシアとウクライナの戦争も信じられないですね。
とても悲しい。
自然の脅威も怖いけど、人が一番怖いのかもしれません。
自然を壊すのも人だし。
命は尊いものです。
争いのない世界になって欲しい。
我が家の2階から撮影(東日本大震災)