こんにちは

皆さま、いかがお過ごしでしょうか


今日は、昨日と今日の自己ヒーリングの内容を書き留めておこうと思います


水子 


昭和には、よく心霊番組が放送されていたので

見聞きする言葉でしたが

今のひとは、この漢字を知ってるのでしょうか


昨日の自己ヒーリングで

いわゆる取り憑いている、こととして

水子の情報が上がってきました


私には水子はいないのですが

母が何度か、その体験をしていることは

知っていました


その子たちの思いが感じられて、涙、涙でした


そして、幼いころに分離した

インナーチャイルドと一体となっていたようで


何度も何度もインナーチャイルドを癒したからこそ、やっと姿を見せてくれたようでした


幼いときに憑いたものは

成長とともに、ほぼ私自身と一体化しているので

おそらくは霊が見えるひとにも見つけられない 


その霊の影響が、もはや、その人自身の性格として、本人も周りも思っているようです


実際に、私もそうでしたが

人生を振り返って、紐解いていくなかで

どこか、強すぎる部分が見えてきて

ぎこちない、自分ではないズレのようなものが

感じられてきます


私は、なぜか強く子どもを欲した人生で

5年生のときに、父親無しで子どもが作れる

という世界のニュースに喜ぶ不思議な子でした


そして、子どもを守らなくてはという気持ちが

とても強くて


実際に、代理母が問題ないのなら

誰かのために、産み続けたい

産むことを仕事にしてもいいという感覚だったり


子どもが3人もいて、毎日に疲弊してるのに

4人目が欲しいとか

里親になりたいとか考えてしまったり


でも、これまでの人生の振り返りや過去世で

子どもを失った経験は、あまり出てこないし

なんなら、今回の人生では

結婚もしたくない子どもも欲しくないという

青写真だったようで


水子の思い

水子と一体化したインナーチャイルドの思いが

溢れるように伝わってきて


この子たちの思いが

私に、過剰に子どもを欲して、守りたがるという

意識と行動をさせていたのだと


幼い子が辛い感情や混乱を

どう処理したらいいかわからずに

分離する、自分と切り離すという方法に出て

 

その分離されたインナーチャイルドが

水子の思いと繋がって

ある意味、同志のように支え合いながら生きて


私に子どものために生きる人生を選択させ

2人の思いを私に実現させることで

彼女彼らの思いを満たしていたのかもしれない


悲しい悲しいヒーリングだった


そして、今日は生後半年から一才の私を癒した


赤ちゃんは話せないけど

お腹にいるときから、すべてを分かっている

だから、ちゃんと一人前の存在として

接することが大切だと

私が妊娠する前から、知識として知っていたし

実際、長女がお腹にいるときから

そう意識して育んでいた


でも、私たちの親の世代は、どうだったのだろう


今日の私は 

伝えられない赤ちゃんではあるけど

いろいろと不満に思っていたし

お風呂で溺れさせられた恐怖に

まだ、(この人生で)何もやれていない!という

焦りの感情など、たくさんの


大切に丁寧に扱われていない


という気持ちを持ってしまっていた



そして、その思いの相手は父で



男の人の方が手も大きいとかいって

赤ちゃんのお風呂はお父さんというのが

私たちのころは、定説のようだったけど


お母さんが入れた方が良いのかもね

もしくは、おばあちゃん


女の子の赤ちゃんの場合は、特に


これは、あくまでも私が赤ちゃんだったときの

一場面の感情で、すべてのひとに当てはまるとは

言えないし、繊細なお父さんも ガサツな母も

それぞれなのではあるけれど


なんとなくねー

孫ができたときには

女の子なら、私がやってあげようと

思ったのでした


いやー

赤ちゃんをお風呂で落としてしまうってのは

割とありがちで


お父さんに入れてもらうってのもありがちですが


不快な記憶として、

なんなら信念体系として、その後の人生に

影響を及ぼしているとは

思いもしなかったし


母の水子と

悲しい寂しい思いを抱えた幼い私が

悲しさや寂しさ、果たせない思いで

共感しあって

その後の私の価値観に影響していて


いずれも、私に

不十分感や頑張り続けることを強めていて


ゆっくりとか

満足とか

安定、安心などということとは無縁の状況を

作り上げてきたのだなぁと思うのでした


せつなくも

生まれることができなかった子たちと

辛い感情や混乱から

切り離されてしまった子たちの思いが重なって


子どものために生きることを優先する余りに

身体を壊したという、私の現実があり


本来の生きる目的を思い出すことと

たくさんの分離した思いと繋がるという

本来の道へ


身体を壊すことによって

半ば強制的に、外れた道を戻すかのように

自分を癒し続ける日々という今に


またひとつ、納得できた気がします