おはようございます
皆さま、いかがお過ごしですか?
私の週末は、2月から参加していた
多次元キネシオロジーレベル1の最終日と
次女ちゃんが戻ってくるという
2つの大きなことがありました
次女ちゃんは旧ジャニーズのライブのために
帰宅すると聞いていたのですが
そのライブは土曜なので
日曜日はどう過ごそうかと考えていました
私にとって、本当に貴重な深い学びとなっていた
多次元キネシオロジーのレベル1の最終日と次女ちゃんの帰省が重なっていたので、時間のやりくりが罪悪感なく出来るか、ちょっと心配だったんですよね
子ども優先で生きてきた20年
自分のことは後回しで
子どもや夫の予定が無い時にだけ
自分の事情を叶えてきたので
病気をきっかけに
自分のことを振り返って
自分を大切に生きることを理解した毎日を生きてきた「つもり」かどうか、ある意味お試しになるのでは?という予感を持ちました
ところがところが
「つもり」かどうかが試されるまでもなく
次女ちゃんは帰省した二日間を
有効に自分のために使いきるスケジュールで
日曜日も中高のお友達と会う予定を入れていて
ほぼ寝るためだけの帰省となり
私がお世話する必要なんて要らなくって 笑笑
私も存分に、自分のために楽しんで
昨日一日中を有効に使い切ることができました
私は母の価値観を引き継いで
子どもや夫を優先して、後回しや我慢をする
自己犠牲する姿を体現してきたし
そこには、貧困意識や清貧思想も合わさって
誰かのために生きることが美徳で
誰かのために役立つのが大人としての姿だという
信念体系もあって
子どもや夫が喜ぶことが私の喜びだと
信じていたんですよね
そして、時折
じゃあ誰が私のために喜びとしてくれるのか?
私を誰が支えてくれるのか?
なんて思考がよぎって悲しくなったり
やりきれなくなったりして
夫に思いを伝えても理解されないことに
怒ったり虚しくなったりしてきたわけです
私は、私のために生きて喜び
子どもは、子ども自身で生きる喜びを探していく
そうして、お互いが集ったとき
お互いの喜びが知らず知らずに影響しあう
それが、家族としての幸せや成長なんだなと思うのでした
何かをしてあげる、してもらう…ではなくてね
子育ても終わりに近づいた今
ようやく気が付いたところであります 笑笑
そして、それがまさに現実化された日曜日であり
今のあなたたちでokay だよと
宇宙からサインをいただけた気分です
自分のやりたいことがわからなくて
子どもや夫の、またはお友達のやりたいことや
やらなきゃいけない
やってあげなきゃいけないことに付き合って
一緒に喜ぶことも素敵だけど
そればかりになっている人も
少なくないのではないかと思って綴ってみました
読んでくださってありがとうございました
癒し処ゆあむ ゆか