本来の自分を生きていく…癒し処ゆあむ ゆか
こんにちは
今日は温かく、洗濯が幸せです♪
さて
昨日、一昨日と
多次元キネシオロジーの
宇宙系遺伝ワークショップに参加しました
改めて、多次元キネシオロジーは
魂の解放へと導く
宇宙から人類へのギフトだと思いました
つくづく
すべての人に学んで欲しいものだと思います
2日目のレクチャーのあとの
実践デモを、私がやることになりまして
自分を掘り下げ
宇宙遺伝の浄化やインナーチャイルドの癒しを
のりこさんという多次元キネシオロジー創設者に
サポートしてもらいながら
行っていきました
途中、何度も
頭がフリーズして
Pickした情報がどこにあったか
分からなくなるなど
マインドの抵抗が起きて
いえ、振り返れば
初日から頭がフリーズして
みんなが話してる文書の該当部分が
探せなかったり
レクチャーの内容が入ってこなかったり
抵抗は始まっていたのだと思います
自分の本当の気持ちを感じることは
実は多くの人が、できていなくて
本当の気持ちに気づいていないことさえ
気づいていないで人生を終えていく
気づき、意識を変えるには
知る必要
見なくてはならないものがあるのですが
それを知ることを拒否して
現状維持を良しとする
俗にマインドの抵抗と言われるものの
強力さ を感じることとなりました
自己ヒーリングでは
見たくないものは見ない
いとも簡単に
そうしてしまうので
のりこさんのサポートがあって
辿り着けた部分は大きくて
ひとは
一人で、変わろうとすることは
自分の奥に入っていくには
多次元キネシオロジーという
素晴らしさ叡智を知っていても
とても難しいことなんだなと思いました
あ、もちろん
いろんな理由で
簡単なひともいると思います
ひとは
誰かといることで、傷ついたりするけど
誰かに助けられて乗り越えていく
でも
その誰か、が周りにいなかったり
たとえ、周りにいても
勝手に頼れない
助けてくれないと決めつけて
孤独を選んでいたりして
私もそうだった
いや、まだ過去形には出来ないかもだけど
苦しさのなかで
孤軍奮闘しているひとが
きっと多いのだろうなと思う
友達が多くても
SNSで毎日笑っていてもね
人生のさまざまな場面で
たくさん傷ついてきたことで
いつの間にか
私を覆ってしまった
不信感や被害者意識
手放せなくなっていた
怒りやうらみ
信頼と解放の喜びに
変えていけそうです
いま を 生きる
わかってるようで、わかってない
スピリチュアルでよく言われる
「手放す」
もそうだけど
わかってるようで
できてるようなやつ笑笑
いま を 生きているのか知るには
「あとで」
を口にせずに行動できているかを振り返る
いま やっていることは
昨日やその前の
「あとで」
をしているのかどうかの、確認
いま を 生きるということは
いま 気づいたことを
いま 行動していること
いま 気づいたことに
過去を紐付けていないこと
いま 気づいたことが
未来への不安や恐れのためではないこと
こんにちは
洗濯が気持ちいい天気です
今日は、連日の報道を見ていて
「人生の困難は
自分と向き合うことでしか
解消されない」
彼の生い立ちが教えてくれていると
思いました
彼が、家を出て自立して
仕事を変えて
大学の通信を学んでみるなど
たくさんの環境を変える努力を
重ねてきたことが
報道から分かります
環境を変えることによって
別の視点や
心の余白を得る効果が
一定の変化を生むことはあるけれど
根本的解決には至らないため
挫折という結果も
かさねてきたように映ります
そして、何をやっても
「他者は変わらない、変えられない」
ということも
教えてくれていると思います
3人の子のうち
一人は亡くなり
一人は罪を犯しても
信仰はやめられない
ひとは、
「本当に向き合うべき事実から
いかに目を逸らし、誤魔化してしまうのか」
という、自分の問題に向き合う難しさをも
教えてくれています
彼ら家族だけが特殊なのではなく
私たちの多くは
自分の課題を他者の課題や制度の問題等に
すり替えて
他者のせいにしたり
諦めたり
見ないふりをしたりして
「何かを変えれば
人生が、変わるに違いない
問題が解決するに違いない」
と思いがちです
転校、転職、結婚、出産、別居、離婚などや
資格を取りまくったり、他者に貢いだり…
どうしても、環境や他者を変えるための
行動をしてしまいがちなのですが
立ち止まって
今の状況や状態が苦しく感じる自分を
振り返って、理解して、癒すことが
何よりも大切なのですよね
自分に向き合い
自分を大切にするってこと
知らないままに大人になって
みんなと仲良く
和を乱さない
迷惑をかけない
を、何よりも大切なこととして
教えられて育っているから
一番大切な
自分自身のことが
誰よりも分かっていないまま
誰かからの評価や占いなどで
示された自分が
自分なんだと思い込んで
多くの人が
生涯を終えてしまう
山上被告の裁判からは
自分を癒すことなく
他者を責めても
環境を変えても
他者を変えようとしても
問題は解決されないという
多くの学びが示されている

