こんにちは、あまちやひろです。
先日、大切に長い間、育ててきた植物がすべて処分されてしまうという経験をしました。
街路樹のスペースに私が勝手にいろいろと植えて花壇にしていたので、私にどうこういう権利はないのですが、区から撤去しなさいと言われたわけではなく、近所のホテルのご主人が勝手に区に依頼して、“きれいにしてあげた”ということだったのです。
彼は以前にも、街路樹が大きくそだって葉っぱが落ちて掃除が大変だろうということで、勝手に区に依頼して、せっかく大きく育ち、我が家にとっては西日から家を守ってくれる存在だったその街路樹を切り株にしてしまったのでした。
その時も、今回も、絶たれなくてもよかった大切な生命が奪われてしまったことで、私の胸は張り裂けてしまいました。
取り返しのつかないことに、どうしようもない憤りとやるせなさを感じ、前回はしばらく胸が重く、切り株をみては“ごめんねごめんね”といって泣いていたことを思い出しました。
幸い、この切り株、数か月後に芽を出し、私の心を一挙に晴らしてくれたのでした。
でも、今回は根こそぎ引っこ抜かれてしまっていますので、そんな奇跡を期待できません、、、
一度ならずも二度までも、、、、私は尊いいのちたちに彼の行った身勝手な振る舞いを心から謝りましたが、
もう、この惨状を見た時は茫然自失、心がズタズタに引き裂かれ修復不能かと思えたぐらいでした。
家に入るやいなや、声をあげて泣き喚いてしまいました(滅多にないことですが、、)。
感情に圧倒されていましたが、涙が枯れてきたころ、落ち着きをとりもどし、どうしてこんなことが起こったのだろう、という考えが浮かんできました。
これから何を学べばいいの?
『水に流すこと』、そう天が教えてくれました。
ああ、天からあたえられたレッスンだったのね、、、
ならば、許そう、水に流そう、、、、
そう素直に思うことができました。
1時間ほどは泣き喚いてしまいましたが、起こってしまったことはいつまで嘆いていてももどるわけではないのです。
彼には彼なりの事情があったのかもしれません(草木が生い茂ってうっとおしいとおもうとか、、、)。
不思議なほど、あっさりと水に流すことができました。
2日たってこのことを振り返ってみました。
、前回樹を切られたときにはしばらくの間、憤り悲しんでいましたから、それに比べますと、成長した自分に驚いています。
水に流すなんて無理、、、、そのように思う心もあったのですが、
なんと、1時間ほどで、水に流すことができたなんて。
前回樹を切られた時の、ずっと憤りと悲しみを心に抱え、それを癒そうともしなかった自分と、、
今回根こそぎ生命を奪われても、さっさと許して水に流し、心軽やかに魂の成長を喜べる自分と
を比べてみても、
どんな状況でも、ひたすら『許し』『水に流す』ことを選び続けることのほうがどれだけ幸せかわかります。
『許すことが幸せ』で幸せで、、、という生き方、をこれからも続けてゆきたいとおもいます。
今回のように、とてつもなく辛いことが与えられければこの経験はできなかったかもしれないと思うと、尊い生命を私の魂の成長のためにささげてくれた植物たちに改めて心から感謝の気持ちがわいてきます