ゆっぴぃの
ブログを読みながら
そんなふうに
思えるゆっぴぃをみては
昔はなんで
わたしもそんなふうに
愛せないんだろうと
本気でなやんでた。
いまは
人の数だけ
愛し方が
あるんだろうな
いろんな
愛し方があっていい。
そう思えるようになってから
自分だけの
愛し方ってなんだろう
そう自分と
向きあってきました。
これが正しい愛し方って
本当はないんじゃなかな。
わたしは
わたしの愛し方
あなたは
あなたの愛し方。
それをわかってれば
正しさを
押し付け合う必要はないのかもしれない。
昔、離婚したときに
思ったの。
りょうえさんのパパは
この世の中の男性にお願いしようと。
わたしはお父さんには
なれないし
血の繋がりだけが
お父さんではないのかもしれない
なら
世の中の男性すべてが
りょうえにとっての
お父さんになったら
わたしはわたしで
生きれるんじゃないのかな?って
そおいえば
願ったなぁ〜。
わたしの子供ではなく
みんなの子供なのかもしれない。
だから
わたしのこどもだから
こうしなきゃ
ああしなきゃ
そうやって
がんばってお母さんをやるのをやめて
みんなに
お願いしてきました。
それがわたしなりの
愛し方。
どうぞではないです。
みんなの子供だから
わたしに関係ないでもなく
みんなの子供だから
みんなで一緒に考えても
いいんじゃないのかな。
お母さんだけが
考えるものなのか
お母さんだけが
悩むことなのか
本当はみんなで
考えて悩んでいけたらいいな。
だから我が家は
3人で考えて悩んで
みんなが幸せな道を
感じにいってます。
それもまた
わたしたちの愛し方。
これが正しいと
いうわけではないです。
あなたは
あなたの愛し方を見つけてね。
あなたは
どんなふうに愛したい人ですか?
理解されない愛し方もある。
理解されないからといって
それは愛じゃないと否定する必要もない。
もちろん
否定してもいいけど
わたしは
理解できないけど
それも一つの
愛し方なんだろうな
そうやって
いい、悪いではなく
その先にある
大切にしたい思いや
気持ちを大切にしあうのが
わたしは好きだな。