ポリアモリー | 一夫二妻『西山裕子』 〜『女』の欲望は発展繁栄のもと!〜

一夫二妻『西山裕子』 〜『女』の欲望は発展繁栄のもと!〜

結婚しても出産しても『女』として愛される人生を生きる生き方を大切にしながら

お金もパートナーシップも家族も心も身体も全方位豊かに幸せになっていく人生を。

『ポリアモリー』という
言葉を聞いたことありますか?

わたしは
何年前だったかな

ある人から
教えてもらいました。


最近料理スイッチが入りまして



あれもこれも作りたくなって



料理に夢中の毎日です。



豚の角煮。大量に作った豚の角煮はあっという間になくなりました。




我が家の家族形態を
『ポリアモリー』と呼ぶそうで

いや
西山が

『ポリアモリー』と
呼ばれているのか

いまいち
ポリアモリーの

定義が
定かではありませんが

はじめっから
しってたわけではないので

『よし、
ポリアモリーで生きよう❗』

なんてことは
思ってなかった。



どちらかと言えば

3人で
幸せに生きる道はあるのかな?

いや
ないんじゃないかな。

いや
あるのかもしれない。

それが
始まりで

なんなら

いまもなお
3人が幸せと言い合える日々を

実験しています。



ポリアモリーと言えば
ポリアモリーだけど

ポリアモリーなのかと
聞かれたらわたしにも

よく
わからない。

正直なとこ。

いったい誰が決めるんだろう。。。

何を持って
ポリアモリーと呼ぶのか。。。

いまいち
わかりきってないです。

かりに
自分が決めていいのなら

いまは
自分から

わざわざ
言うことはないです。




一時期は
『ポリアモリー』です。

言ってた時期もありました。

特にポリアモリーであることを
否定したいとかではなくて

ポリアモリーって

在り方の一つであって
生き方の中の一つなんだと

わたしは思ってます。




3人で生きてるようで一人で生きてるような。基本自分のことで精一杯なわたしなんです。(笑)




昔はわたしを
生きようとしていたようで

3人で生きようと
がんばってたから



ポリアモリーです。

一夫ニ妻です。



って
わざわざ主張してたけど

いまは
どちらかと言うと

『西山裕子』という
個を生きることに

ただただ
夢中であって

そのわたしで
3人で一緒にいる感じなので

あまり
主張する必要がなくなったのかも。




個を生き始めたら

ポリアモリーであるとか
一夫ニ妻であるとかは

わたしの付属であって

それもわたしの一部だけど
それだけがすべてではないってこと。



西山裕子という
一人の人を通して

いま

何を感じて
何を思って
何を体感しているのか。

西山裕子を通して
存在というものを

いま
めちゃくちゃ楽しんます。




昔は世間の幸せであったり
世の中の幸せを探し求めていたけど

世間や世の中の
誰かが創り出した
枠にはまりたくない。

本音です。

いや
そもそも

はまりようがないんじゃないのかな。



西山の奥さんの前に
一人の人間だし

両親の娘の前に
一人の人間で

子どもたちのお母さんの前に
一人の人である。

いまは
その個を生きるのを

ただただ
楽しんでる。



昨日はご飯作りながらゆっぴぃと二人で立呑。ボジョレーヌーボーがうますぎて幸せやった。



何を食べたら
嬉しいのか

何を見たら
心が喜ぶのか

何を聴いたら
心地良いのか

誰といたら
幸せな気持ちなのか。

西山裕子を
生きてきたけど

本当のいみで
自分を知らなかったんだと。

つくづく
最近思うんです。

だからね
いま自分に夢中なの。



紅葉にうっとり。



朝焼けのエネルギーに命を感じる。



自然をみて
こんなにも幸せを

感じる人だったんだと

最近は
いちいち感動して

いちいち
感じて

いちいち
泣いてる。



自分を知るって
とっても幸せなこと。

自分の幸せは
自分にしかわかならいんだから。



ポリアモリーでも
ポリアモリーじゃなくても

女でも
男でも

お母さんでも
お父さんでも

独身でも
独身じゃなくても

個としてみたら
みんなおんなじ。



悲しいって感じたり
嬉しいと喜んだり

最悪なことも
最高なことも

同じようにあるしわけで

それぞれが感じてることって
そんなにかわらないんじゃないのかな。



大切にしようとする
心や

大切にしたい
気持ち

だれもが
持ってるのなら

みんなおんなじ。



だからわたしは
今日もわたしを生きるのみ。