おはようございます
最近寝台特急「ゆうづる」号などの写真をアップしたりしました。
東北特急と切っても切れない縁があったのは…やっぱり青函連絡船です
私も渡道する時はいつも連絡船でした。
乗るのはいつも深夜便、18キップで青森まで行き0時30分発の1便、函館から6時20分発の121列車乗車と言うのがお約束のパターンでした。帰りも青函を深夜便でつなぐと千葉(四街道)まで帰ってこれました。青函連絡船にはシャワーもあり、桟敷席で横になって寝れるため、貧乏学生には青函連絡船は大変ありがたかったのです。
ただ深夜便の利用が多かったせいか、青函連絡船の写真がほとんどありませんでした。
1988年3月、青函トンネルが開業し、青函連絡船が廃止になるということで、何度もお世話になった連絡船を撮影しに行った時の写真を紹介いたします。
まず一般的な客貨両用船です。
現在保存されているのはこのタイプの船です。
函館港に入港する摩周丸
同じく函館港に入港する十和田丸
青函連絡船(客貨両用船)は船体の色が船ごとに異なっていました。
このタイプは他に津軽丸、松前丸、羊蹄丸、大雪丸、八甲田丸が在籍しましたが、末期には津軽丸と松前丸は無く、客貨船は5隻でした。
次に貨物専用船からの改造客貨両用船です。
こちらは貨車航送専用船に客室を増設したもので、設備が若干貧弱なため乗船を敬遠していました。そのためほとんど乗ったことがありません。
函館港に入港する檜山丸
同型の改造船には石狩丸がありました。
今度は貨物専用船です。
函館では有川桟橋に着岸することが多かったようで、あまり多く見かけませんでした。
貨物専用の空知丸です。
函館と青森では貨物列車を分解して、青函連絡船に積み込んでいました。
函館で航送する貨車の積み込みです。
青函トンネルができて気象に左右されることなく、本州と北海道が行き来できるようになりました。大変手間のかかっていた貨物列車はもちろん、旅客列車も直通することができるようになって便利になりましたが…
最後に函館港を出港する羊蹄丸の姿です。
1988年3月13日、これが青函連絡船が青森に向かう最後の姿でした。
そして青函連絡船に乗船する時、必ず必要だったのがこれです。
青函連絡船乗船名簿です。
普通船室用はこちらの白地のもの、グリーン船室用は緑地のものでした。
本州~北海道連絡の優等列車では、車内放送とともに配りに来ていたのも、懐かしい思い出です。
ある意味、まだのんびりと旅ができた、幸せな時代を過ごせた思っています。
また今日も長くなってしまいました
ちなみにテーマ分類が「鉄道(北海道)」ですが、青函連絡船は国鉄青函船舶鉄道管理局(函館)の所属で、民営化後JR北海道に所属していましたので、この区分にいたしました。
それでは今日も一日がんばっていきましょう