気づけば発症後9年目 | ワタクシ膵臓がんになりました

ワタクシ膵臓がんになりました

2014年2月にすい臓がんステージ4bを宣告されてからの闘病と、がん細胞がなくなっていった様子を。
そして、その後の状況をお伝えしています。
ステージ4bから復活できる事を伝えることで、どなたかの役に立つかもしれないと色々綴ってます。
生きてれば色々起こるしね。

2022年3月29日

 

早いもので、今年ももう3ヶ月が終わろうとしていますね。

毎年同じことを言っていますけど、月日が経つのは早すぎて

1日1日を大事に生きたいと思っているのに、バタバタと時間に追われて過ぎていく。

 

という感覚を持てるなんて幸せなんだよな。

。。。

 

ちょっと徒然なるママに書いていきたいと思います。

 

2014年2月22日の緊急入院した時を考えると贅沢者。

 

実はあの頃、ちょうど40歳を迎えた矢先でしたので

老後のことを考えてよく言われている積み立てNISAなるものを始めようとして

口座開設までしていたのです。

その口座開設したばかりのHPを見ながら、ワタクシ脳内ではこんなやりとりが。。。

 

膵臓がんだぞ?老後の積み立てなんぞ必要かキョロキョロ

というか積み立ててる場合なのえー

いや、老後って生き残る保証あるびっくり

医学的にはないって言われちゃったよね、延命だってさチュー

でもな、生き残る気満々だから積み立ててた方がいいよね口笛

いやちょっと待て、これから治療費かかってくるしびっくり

緊急入院とともに仕事はなくなり(個人事業ってこういうところが弱いよなぁ)

収入源が絶たれた今、治療費に充てるに決まってるじゃんびっくりマークびっくりマークびっくりマーク

 

こんな脳内会話の結果、積み立てNISA口座を開設したまま4年ほど放置しておりました。

 

結果的にあの時初めていなくて良かったなと思います。

なぜなら、やはり治療中は何かとお金はかかるし、楽しいと思うことに使っていたから。

旅行したり美味しいもの食べたり車買ったり。

しかもNISAは期間が決まっているので早く初めてしまったら早く終わってしまうのです。

 

そんな闘病期間を経て社会復帰できた2017年から漸く開始することができ、

老後の資金をとせっせと積み立てております。

 

そう、老後のことが考えられるまでになったのです。

うん。積み立てを無駄にしないためにも絶対長生きしてやる。

やれるときにやれることをやる。

でも、無理しないように(ここが肝心。無理しちゃうから。。。)

 

3年、5年、10年のスパンをなんとなくの目標にしていましたが

10年はもう目の前。。。

そりゃあ、姪っ子は成人するさ。

シワも増えるし白髪も増えた。

生きてるな、ワタクシ。

 

あの時から8年の月日が流れたんだな。

いま今直面している悩みって、あの時を考えると本当にちっぽけだと思える。

だって、その悩みを持てる状況にまで回復(身体も状況も)したんだもの。

 

なんとかなるよ、絶対って思ってたけど。

本当になんとかなったけど。

根拠のない自信だったから。

チラリとなんとかならないこともあるかもなって気持ちも無かったわけではないから。

 

2度目の人生?同じような悩みなんかに振り回されず

そんなこともあるよねって笑い飛ばして生きたいな。

せっかくそう思えるような経験したんだし。

無駄にしない。

 

とはいえ、多分気持ちが全くダークサイドに落ちなかった分

辛いと感じた幅は、同じ病気で闘っている皆さんより狭いのかもしれません。

気持ち悪さとか味覚障害とかズラの煩わしさとか、実際に感じる体の異変は辛かったけど。

気持ちだけはなぜか元気だったから。

闘病仲間のMちゃんがいたからっていうのもあったんだろうな。

 

Mちゃんの49日が過ぎましたが、全然いないって実感がまだないな。。。

今度あそこ一緒に行こう!って思ったときに、あ、いないんだった。。。

と気づく。

思えばMちゃんはここ1年、次の年の約束をしなかった。

そうなの、約束できないのよね。

次の日に目覚めるってだけのことの絶対的自信がないから。

私一人だったら、そこに気づけなかった。

私は次の日目覚めないかもって思わなかったから。

Mちゃんはちゃんとそういうことと向き合っていたんだよ。

私は向き合わないというか、楽観的すぎるから向き合えなかったな。。。

そういう感覚と向き合って、そこから這い上がれたら

本当に強くなれるんだと思う。

Mちゃんは、一度そういうところから這い上がったからさ。

強かったよ。

 

母の時を思い出す。

私が母の病気を知ったときには、母は自分自身の中で

もう助からないんだって何となく思っているのがわかってしまった。

何となくだけど、分かっちゃったけど。。。

色々調べたり遅ればせながらセカンドオピニオンに連れて行ったりしたけど

やっぱり病院から言われるのは延命しかないという言葉のみだった。

それは私も一緒だけど、自分はその言葉に対して絶望せずに

じゃあ頼らないよ。自分で何とかするしかないよねって考えになったけど。

母の時は特にまだフォルフィリノックスも承認されていない時期で

薬の種類が極端に少なかったから。

ダメかもなって思ってしまうのも無理はないよ。。。

 

母が言ってたのを思い出す。

「あの先生は、私がもう助からないって思ってる。。。」

その音のない先生からの言葉は母から確実に気力を奪ったと思う。

だから、先生方には延命しかないって思っても

頑張れば何とかなるかもしれないって言葉で言って欲しい。

色々なしがらみがあって言えないのもわかるけど。

患者側の気持ちとしたら、ドクターの言葉は重いのよ。

プラシーボ効果じゃないけど、頑張れば何とかなるかもってちょっと言われただけで

絶対変わると思うんだよな。

Mちゃんの先生も大丈夫風を吹かせてくれなかったよ。

私の先生たちも最初は大丈夫風は吹いていなかった。

そりゃあそうだよね、肝臓に多発転移までしてて

私でもわかる画像に映る大きな病変を見ればさ。

統計的に出ている数値は絶望的で、当時5年生存率は5%に満たなかったもん。

それでも、時が経つにつれて先生方から大丈夫そよ風が吹き始めたなって思えた時。

私はその「そよ風」だけでもパワーいただけたのよね。

 

私の場合、一緒に闘ってくれてた主人も最初は涙目だったけど。

早い段階から楽しみながら闘病してくれるようになったのは救いでした。

それもMちゃんのおかげもあるのだけど。

ああ、本当にありがとうの一言に尽きるよ、Mちゃん!

もっと色々なところに一緒に行きたかったな。

お伊勢さんとハワイ島。。。行こうって言ってたのにな。。。

 

Mちゃんはじめ周りの友人たちや家族も徐々に腫れ物に触れる感が薄れてきて。

そうそれが私の希望でした。

何のこたあない、すぐに治るんでしょ?大丈夫だよねって

笑い飛ばせる空気感が欲しかったのよ。

そう、大丈夫なのよって自分で思っているけど周りがそう思ってくれると

余計に自信が持てるものだから。

色々食べられそうなものを送ってくれたりして気遣ってくれるのも嬉しかった。

一人じゃなく、支えられてる感って大事なことだから。

ほんと、いい人たちに恵まれて、いいドクターにも恵まれて。

いろんなタイミングや薬が身体に合ったことにも感謝しかない。

 

色々思い出すと短いようで色々長かったのかもしれないな。

2010年の母が膵臓がんになった頃から考えると干支が回った。

その頃からがんという病気と付き合ってたんだな。

一周回って次の一周はどうなるのかしらん?

 

さあ、本当に徒然なるまま思いのまま書いてみました。

 

さて、来月は久しぶりの定期検診です。

前回の定期検診では左の甲状腺?リンパ?

が少し腫れているから経過観察と言われました。

が、多分これはポートを抜いたときから左側が浮腫んでいる影響だと思うので

大丈夫じゃないかなーって勝手に思っています。

 

桜満開のこの時期を

みなさまもピンク色の可愛い桜に癒されてください。

桜の時期ってワクワクするから。

ワクワク=パワーです飛び出すハート

 

では、長々と読んでいただきありがとうございました。

今年もまた1年、がんばります。

またね^^*

 

 

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