ちょっとおもしろい記事です。
2011年7月3日の記事です。
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【目からウロコの、「日本人の坐り方」】
集英社新書の「日本人の坐り方」(矢田部英正著)には驚かされた。
というのは、本紙は正座が好きだからだ。らくらく毛管運動を毎日1時間行っているのも、正座が楽にできるほど足腰が鍛えられることが理由のひとつ。囲碁の山下本因坊は、子どもの頃から、長時間の対局を正座を崩すことなく行い、その対局姿勢が高く評価されてきた。
「正座」と聞くと、日本人なら背筋がぴんと伸びる気がするものだ。何にでも、それこそやくざにも「極道」とばかり、「道」をつけたがる日本人は、座って行う茶道、華道は正座と切っても切れないものだと見なしている。
それゆえ、韓国の大人気テレビドラマ「チュノー」を視て、女性たちが立て膝すわりで給仕している姿は、「程度が低いな」と偏見ある見方をしていた。
だが、本書は、そのような常識をこなごなに砕いてしまった。38ページの「千利休の坐り方」だ。
<正座は「人との対話を大事にする茶人の坐法に由来する」という説が文化史の専門書のなかにもみられるのだけれども、実のところ、この考え方には確かな証拠がない。第一章でもみてきたように、茶の湯の作法が成立した16世紀はじめ頃から江戸時代のはじめ頃まで、茶道の正式な坐り方は「立て膝」だったし、千利休の肖像画などを見ても、その坐り方は現代風に慎ましく「正坐」しているイメージとはずいぶんちがう。それどころか、膝を広々と横に開いて、自分の座を占めるスペースを大きく横に広げている>
ななんと、茶の湯の作法の成立した16世紀から江戸時代のはじめまで、正式な坐り方は「立て膝」だったというのだ。それじゃ、「チュノー」と一緒ではないか。ここでもまた、世界で、日本語・朝鮮語族と分類される日本と朝鮮の共通のルーツが浮かび上がってきた。
著者はさらに、「中世の絵巻を見ると、庶民の日常生活のなかでも、『立て膝』をしている女性が普通に見られるのに対し、正座をしている人が極めて少ない。また寺院のなかで説法を聴くようなかしこまった場面でも、女性が「立て膝」をしている事例は多くある」と56ページで指摘している。
このように、目からウロコの指摘をされてみると、正座観が変わってしまう。つまり正座は、棋道、茶道、華道など、「道」を極めようとする者の「行」の姿勢であり、「頑張っている姿」なのかもしれない。自分にはできない姿勢で頑張っているので、楽に正座している人を見ると、腕は二流でも一流に見えてしまうわけだ。
しかし、「昔は立て膝だったんですよ」と酒席で周囲に説明し、立て膝でくつろぐのはどうだろうか? まして、女性が「昔の日本女性は立て膝でしたのよ」と言って、そうしたら、やっぱり顰蹙を買うことは間違いない。たとえiPad2に自炊した「日本人の坐り方」wを見せて、これを根拠に周囲に説いたとしても、やっぱり顰蹙を買うことだろう。
しかし時代が変われば、今日の常識が明日の非常識となり、その逆もまた真なりとなる。
そして、著者が「おわりに」で指摘した、「中世の茶人が重んじた『崩しの自由』という美学」は、実は今日、ルーズソックスや109ファッション、ズボンずり下げファッションなどとなって復活してきているのではないかと思えてくる。ファッションに関心のある専門家には興味津々の1冊。