端午の節句 | 粘着されまくり

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昨日は5月5日の端午の節句。


昨年9月に初孫が誕生した。

初孫の初節句のお祝いを昨日行った。


息子は自分が二十歳の時に生まれてきた子供である。

そんな息子も昨年「できちゃった婚」をして、9月に子供が生まれた。


親子そろって「できちゃった婚」なのである。

自分は二十歳、息子は二十三歳の時。


息子の結婚式は諸事情により行えなかった。

自分の時は、両親にひた隠しに去れ「親類縁者に教えるな」とまで言われた。

その際は、時代が時代だったので両親の言うことに従わざるを得なかった。

だが自分の姉は順番をふんで結婚に至ったので、結婚式を盛大に行ったのは自分が結婚した前年であった。

『時代』と一括りにされてしまえば終わってしまうが。


自分にとっては初孫の、節句のお祝いを昨夜地元の飲食店で行った。

出席したのは自分夫婦、娘、息子の家族、そして息子の嫁さんの両親、計8名である。


先方の両親に取ってみれば、ほかにも息子たちがいるので初孫では無い。

が、諸事情により孫と会わせてもらえない状況だという。

同一地区に住んでいるのにも関わらず。


全員がそろい、節句のお祝いを始めたのが昨夜19:00から。


実は自分夫婦と先方のご両親と、一度も会食を行ったことが無い。

そんなこんなで色々兼ねて、初孫の節句のお祝いを行った。


鯉のぼりはさすがに自粛した。代わりに、よくホームセンターなどで売っている、全長50cm程度の鯉のぼりのおもちゃ?を購入。


予め会食を行った飲食店には、地元(被災地)の食材だけを使うように話してから予約を取っていた。


会食が始まり料理が次々に出てくる。

当然、地元(被災地)の食材だけを使った料理である。


それらの料理の食材が、全て地元(被災地)産だということに驚いた。

「本当に色々あるんだな」と。

逆にそれらを見て感じたことは、「地元(被災地)は頑張っている!」と痛感した。


今まで全てにおいて自粛モードであったが、その場だけは一切自粛しなかった。


自分自身、記憶が無くなるくらい食べて、飲んだ。

こんな状態まで飲食をしたのは、記憶にすら無いぐらい久しぶりのことだった。


ま~そんな状態だったので、何時に終わり、どうやって帰宅したのかすら記憶には無いガーン


ただ先方の両親に言われたことだけはおぼえている。

「我が家にも孫がいるけれど、この様にして貰ったのは初めてだ」と。


当然「主役」は孫であるが、先方の両親にその言葉を聞いたとき「本当にやって良かった」と心底思った。


幸か不幸か二日酔いも無い。

今朝から宅配業者がAmazonで募った、心のこもった各種物資がドンドン運び込まれてきている。

今からそれらの仕分け作業に入ることにする。