「もっともっときょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」とノートにつづった船戸結愛(5歳)ちゃん。親からの虐待で命を落としました。どんな思いでこれを書いたかと想像するだけで悲しくなり、胸が詰まって、怒りが収まりません。

 

事件が詳しくなるつれ、児童相談所の無責任な体制が浮き彫りになってきています。当然一番悪いのは虐待した親ですが、児童相談所職員が、「手が足らない」「事件性がなかった」などと理由を並べ、何の罪も問われないことが繰り返されていることに、激しい憤りを持っています。

 

虐待をうけ餓死した3歳の佐々木拓夢ちゃんは、住民や自治会が5回の虐待の通報をしたのに、児童相談所も警察も動きませんでした。拓夢ちゃんの姉(6)がトイレの窓から通行人に、「なにかたべものをちょうだい」と訴えて保護されている時でもありました。

 児童相談所は拓夢ちゃんの住む家に一度も立ち入りをせず、電話で父親に確認しただけでした。児童相談所の所長は、「判断に甘さがあった」と会見しました。
 理玖くんの事件も凄惨な出来事でした。マンションの一室に閉じ込められ、パンかおにぎりだけを与えられ、5歳児の理玖ちゃんは、立ち去ろうとする父親の服を衰弱する身で引っ張り、最後に「パパ」と呼びました。

 その前の歩ける時には、おむつ姿ではだしで道を歩いているのを「迷い子」として保護されましたが、警察と児童相談所は家に帰してしまったのです。その後、与えるパンなども週に12度になり、ゴミまみれの中白骨体で発見されました。この事件についても誰一人責任を問われていません。

 2歳で虐待死した愛羅ちゃんは2本の肋骨の骨折や40カ所の傷やあざを負い、虐待死しました。通報で、死の5日前に駆け付けた警察署員は「服を脱がせるタイミングがなく、虐待の痕を発見できなかった」と言ったと報じられました。「駆け付けた」それだけで、警察の任務は終了していたということです。この時も児童相談所は半年以上愛羅ちゃんの姿を確認していないのに、「母親は問題ないと言っていたから」と言い逃れをしています。


 虐待をしている親は、児童相談所から逃れるために他府県に引っ越すことが多いそうです。昨年末、結愛ちゃんの親も東京に引っ越しました。香川児童相談所では「指導措置を解除したが、支援の必要はあり、緊急性の高い事案として継続した対応を求めた」としています。しかし品川児童相談所では「緊急性が高いと言う説明はなかった」と反論したと報じられています。

 どちらが嘘をついているか、より無責任なのかは今の時点では判りませんが、引っ越し早々、叫んでいるような泣き方だという通報が、近所からもあったようです。

 29日に品川児童相談所は結愛ちゃん宅を訪問しています。母親が「関わってほしくない」と言ったそうです。これこそは重度の虐待のサインですが、すごすごと引き下がっています。この時点で厳正に対処すれば、警察と連携して命を救えたはずです。

 いったい、これだけ多く行政機関が関わっていながら、命を救うよりも、何を優先していたのでしょうか。是非、聞きたいところです。


 この10日後に結愛ちゃんは病院に搬送されています。亡くなった時は、5歳児の標準体重を7キロも下回る12キロだったそうです。結愛ちゃんの継父と実母の間にできた弟は両親と共によく外食していたそうで、実母は、自分の立場が危うくなるのを恐れ、夫に従い、見て見ぬ振りをしたようです。

 自分が殺される覚悟を持っても、結愛ちゃんを他ヘ預けることは出来たはずです。よく食事が喉を通ったものだと思います。このような事件の実母には、実行犯以上の罪を与えなければと感じています。

 結愛ちゃんの事件では、面会を母親に拒否された段階で、そのまま放っておいた児童相談所職員とその上司等は、明確に不作為の罪に問われる法を作るべきです。そうでなければ、いったい何のための児童相談所でしょうか。

 5歳の結愛ちゃんは、「これまでどれだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだからやめるので もうぜったいやらないからね ぜったいぜったいやくそくします」と書き、電灯も暖房もない部屋で「勉強」させられて、逝きました。

 なんて悲しいことでしょうか。それまでに何度も救うチャンスはあったのに。

 日本中、おかしな方向を向いている。何とかしなければ。そう思っているのは私だけでしょうか。

(朝日デジタル新聞より…手を加えています)