岩谷 良平プロフィール

 

元米国カフェチェーン日本本部代表

早稲田大学・京都産業大学大学院卒・法務博士

妻・子一人(1歳)
 

1980年(昭和55年)大阪生まれ、大阪育ち

 



6歳~12歳(1987年~1993年)小学生時代・ラグビー少年
地元の市立小学校に通い、クラスでは少し目立つ存在。ラグビースクールに通い、花園は何度も試合をした馴染みの場所に。

 



12歳~18歳(1993年~1999年) 中学・高校・勉強嫌い
進学校だったが成績は下から3番目の落ちこぼれ。
高校三年で弁護士を目指し、一念発起して猛勉強。早稲田大学法学部へ。

 





18歳~22歳(1999年~2003年) 早稲田時代・よく学ばず、よく遊んだ
弁護士の夢もどこへやら、4年間遊び惚ける。



23歳~26歳(2004年~2007年) 大学院時代・寝ても覚めても法律漬け
心を入れ替え、京都産業大学法科大学院(法務研究科)1期生として入学。寝る間も惜しんで法律漬けの日々。無事修了し、法務博士(専門職)を授かる。しかし司法試験に挑戦するもわずか1点に泣き、挫折。

28歳~30歳(2008年~2011年) 行政書士時代
会社員を経て、借金した100万円で行政書士として独立。カネがなく、友人宅での居候生活を経て苦労の末、事務所を軌道に乗せる。行政と民間のつなぎ役として奔走。

 


30歳~34歳(2011年~2015年) 大阪府議会議員時代
大阪維新の会が結成され、その思想、理念に衝撃を受ける。結成直後のまだ地方議員が数十名いるだけの小さな政治団体だった大阪維新の会の候補者公募に応募。カネなし、コネなし、ジバンなしの中、地道な活動を続け、大阪府議会議員に当選。
政策チームとして、当選同期の盟友、吉村洋文市議(当時)と共に日本初の公務員制度改革条例の立案や、日本初の教育制度改革条例の立案、日本初の罰則付き飲食店等の客引き禁止条例の立案などを手掛ける。
また、吉村チーム(大阪維新の会 戦略チーム/リーダー吉村洋文)にて大阪都構想実現の戦略等を立案。



35歳(2014年) 万博誘致を発案・提言。
東京オリンピックの決定の瞬間をテレビで見ていた時に、日本人として嬉しい反面、大阪人として「また東京。しかも2回目。東京一極集中がまた進むのか…。いや、待てよ。東京が二回目のオリンピックができるなら、大阪でも二回目の万博をしたっておかしくない!」とひらめく。維新の仲間達に働きかけ、大阪維新の会府議団として松井知事(当時)に提言。
同年、大阪都構想の住民投票が僅差で否決。失意の中で政治家を引退。

36歳(2015年) 結婚
全てを賭けた都構想住民投票が終わるのを待って結婚。その後39歳で待望の第一子を授かる。子育て奮闘中。

 



37歳~39歳(2016年~2019年) 経営者時代
政治もビジネスも目的は社会貢献、経済活動を通して日本で一番社会に貢献する会社を作るとの理念で起業。何度も渡米し、何百というアメリカのレストランやカフェを見て回る。惚れ込んだカフェチェーンなどと交渉し、日本に展開。テレビ、雑誌等に多数取り上げられる。



39歳(2020年)~現在41歳 日本維新の会 衆議院 支部長(東大阪市)
経営を通して見えてきた日本の将来への危機感と、大阪都構想の二度目の住民投票が実現という政治への希望に心揺さぶられ、政界復帰を決意。社長の座を退き、覚悟を決めて日本維新の会の公募に再び応募。希望通り、東大阪で衆議院支部長を拝命。「大阪の改革を国へ」をスローガンに、東大阪で毎日活動中!