元大阪維新の会顧問で、元大阪府議、前大阪府柏原市長の中野隆司さんが先日ご逝去されました。

ご遺族のご意向もあり言及を控えていましたが、ご遺族からSNSを通して発表がありましたので想いを述べたいと思います。

中野さんは民主党所属の府議だった2010年、森かずとみ府議(現大阪維新の会府議団幹事長)と共に大阪維新の会の結成に参加されました。

この事により大阪維新の会は超党派の政策集団と言われました。

私もその2010年に候補予定者として大阪維新の会に参加したのですが、中司宏さん(現維新府議 衆議院支部長)に中野さん(当時府議)と、その師匠である岡本泰明さん(当時柏原市長)をご紹介頂き、政治や選挙のご指導を頂きました。

それは、とにかく地元を歩いて回れ、名刺をポケット一杯に詰めて配り終えるまで帰ってくるな、という厳しいご指導でした。

そのご指導のお陰で、絶対に負けるという下馬評を覆して2011年、30歳で府議会議員に当選できました。

それ以来今に至るまで中野さんに11年間、弟子のように弟分のように可愛がって頂き、私がその後経営者となった際には、同じく民間にお戻りになった中野さんがほぼボランティアで会社の顧問を引き受けてくださり、様々なアドバイスを下さいました。

亡くなる二週間前に久しぶりにご一緒させて頂き、体調はつらそうでしたが、いつもの人を楽しませる隆司節は健在でした。

いま思うと身体は限界を超えていたのだろうと思います。

その状況でも自分の事ではなく最後の最後まで他人の事を考え、無理を押して全力で動いていらっしゃいました。

そんな姿を私に見せる事で、最期のご指導を頂いたように思います。

あれほど優しく、人が良く、時に厳しく、たまにめちゃくちゃカッコいい人はいませんでした。

また、橋下さんが知事になった2008年当時、大阪府下の市町村長は今と全く状況が異なり、橋下さんは四面楚歌でした。

その中で橋下知事の改革路線を支持した数少ない首長の一人が岡本さんでした。

岡本さん、そしてその弟子として大阪維新の会の結成に参加し私を含む後進の指導にもあたってきた中野さんは大阪維新の会、というよりも大阪発展の功労者だと思います。

本日、偶然にも柏原市の市長選挙が行われ、維新の同志である冨宅さんが無投票で市長に再選されました。

もちろん冨宅さんの能力、実績によるものですが、賛否両論あれど岡本さん、中野さんが築いてきた強固な地盤がこの結果にも繋がっているかと思います。

岡本さんも昨年ご逝去され、年が明けて早々に中野さんもお亡くなりになってしまい、本当に残念です。

私は中野隆司の自称弟子を名乗ってきましたが、府議を引退した6年前、同僚の横山府議、中谷府議と並んでお褒めの言葉を頂きました。

中谷府議はその後も中野さんの後継としてご活躍で、横山府議は大阪維新の会の幹事長になられました。

そして私は今年、大きな政治的挑戦をします。

中野隆司の弟子として、大暴れしたいと思います。

隆司さん、本当にありがとうございました。

仲間、弟子、弟分、後輩達の活躍を天国で楽しみに見ててください!

追伸 府議会の議員定数削減のバリケード突破では何故か若手を押し退け先頭をきって「行けー!」と突入してましたね(笑) 隆司さんの勇姿は歴史に刻まれましたよ。

当時のニュース動画
https://youtu.be/g3nlaolIy_M

バリケード突破動画
https://youtu.be/2p8r0vot1Rk