いずれも3月に名古屋駅西のシネマスコーレで見た映画です。1本目の映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』は、若松孝二監督が代表を務めた若松プロダクションの黎明期を描いた映画『止められるか、俺たちを』の続編で、若松監督が1980年代に名古屋に作ったミニシアター「シネマスコーレ」を舞台に描いた青春群像劇。
 

2本目の映画『水平線』は『ロストパラダイス・イン・トーキョー』などの俳優・小林且弥がメガホンを取り、『凶悪』で共演したピエール瀧を主演に迎えて撮り上げた、福島県のとある港町を舞台にした作品。シネマスコーレ(シニア会員1,100円×2)。グッド!

 

青春ジャック 止められるか、俺たちを2

『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』公式サイト

 

以下は映画『青春ジャック 止められるか、俺たちを2』公式サイトに記載の紹介ストーリー(一部)です。

 

1980年代。時代も人も変わった。シラケ世代と言われ、熱くなることがカッコ悪いと思われていた時代。ビデオが普及し始め、映画館から人々の足が遠のき始めた時代。それに逆行するように、若松孝二(井浦新)は名古屋にミニシアターを作る。その名はシネマスコーレ。ラテン語で「映画の学校」。映画

 

支配人に抜擢されたのは、結婚を機に東京の文芸坐を辞め、「これからはビデオの時代」と地元名古屋でビデオカメラのセールスマンをやっていた木全純治(東出昌大)だった。木全は若松に振り回されながらも、持ち前の明るさで経済的危機を乗り越えていく。そこに吸い寄せられる若者たち。――

 

青春ジャック 止められるか、俺たちを2 青春ジャック 止められるか、俺たちを2

 

シネマスコーレに関わる若者の1人が金本法子(芋生悠)。法子は「自分には撮りたいものなんか何もない」と言いながらも、映画からは離れられない。一方、映画オタクだった受験生の井上淳一(杉田雷麟)も映画監督になりたい一心で、強引に若松プロの門を叩くのですが、やがて己れの才能のなさを自覚させられる日々となる…。あせる

 

前作『止められるか、俺たちを』で脚本を担当した井上淳一が、今回は監督・脚本を手掛け、自身の経験をベースに若松監督やシネマスコーレとの関わりを描写しています。そこには若松プロの撮影現場で若松監督から罵倒される姿や、名古屋の大手予備校のプロモーション映像の監督を命じられながらも、その実態は“見せかけ”の監督に過ぎないなど、井上監督にとってはかなり“苦い経験”が表出されている印象です。

 

もちろん“監督やれ!”と井上に命じても、その現場へ出向けばその場を仕切ってしまう若松孝二という個性。前作に引き続いて若松監督を演じる井浦新ですが、演じるほどに若松孝二が憑依してきているのでは(笑)。鑑賞当日は木全・元支配人の出迎えがあり、本編を当のシネマスコーレで鑑賞するというのは不思議な体験でした。パー

 

(2024年、監督・脚本/井上淳一、撮影/蔦井孝洋、照明/石田健司、録音/臼井勝、美術/原田恭明、編集/蛭田智子、音楽/宮田岳)

青春ジャック 止められるか、俺たちを2

 

 

 

                                  

 

水平線

『水平線』公式サイト

 

以下は映画『水平線』公式サイトに記載の紹介ストーリー(一部)です。

 

震災で妻を失った井口真吾(ピエール瀧)は福島の港町で娘の奈生(栗林藍希)と二人暮らし。酒好きでだらしない一面もあるが、生活困窮者や高齢者を相手に格安で請け負う散骨業を営んでいる。一方、水産加工場で働く奈生は遺骨の見つからない母の死を未だ消化できないでいた。

 

そんな日々の中、松山(遊屋慎太郎)という若い男が亡くなった兄の散骨の手続きにやってくる。何か複雑な事情を抱えた様子を察する真吾だったが、その遺骨を預かる。ある日、ジャーナリストの江田(足立智充)が真吾の元を訪れ、先日持ち込まれた遺骨が世間を一時震撼させた殺人犯のものであると告げる。―― グー

 

水平線 

 

震災で多くの人が眠る海に殺人犯の骨を撒くのかと言う江田に対し、無関係な人間が口を出すことじゃないと相手にしない真吾。しかし、その後も被害者家族と真吾のやりとりをSNSで拡散するなど、江田の執拗な取材は続きます。中学生の頃は新聞記者のような職業に憧れた私ですが、本編に描かれるジャーナリストは“クソ”です。パンチ!

 

しかし、拡散されたSNSの影響は大きく、その動画を目にした娘・奈生とも遺骨の見つからない妻(母親)への思いで、激しい諍いとなる。娘が家を出て行ってしまったことから、葛藤の末、真吾は江田の誘いに乗り遺骨を返しに出かけますが、除染現場で懸命に働く松山の姿を目の当たりにすると、無言のままその場から立ち去ります。

 

最終的に真吾が決断した行為は、おそらく誰もが予測できる方向なのではないでしょうか。葬儀や埋葬という行為が、亡くなった当人のためのものというより、残された周囲の者のためにあるというのは、この年齢になるとよくわかります。私としては、決定的な対立に至らなかった父と娘の関係に安堵するような作品でした。パー

 

(2023年、監督/小林且弥、脚本/齋藤孝、撮影/渡邉寿岳、整音/反町憲人、美術/ホ・ジニ、衣装/藤原わこ、音楽/海田庄吾)

 


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