7月に突入したというのに、いまだに5月のスクリーン鑑賞作品です。岐阜の柳ケ瀬に出かけて“昭和の映画館”ロイヤル劇場で見た2本の映画。企画のタイトルは「青春映画の旗手  藤田敏八監督特集」で、上映作は1週目が『帰らざる日々』(1978年)、2週目が『八月の濡れた砂』(1971年)。前作は1970年代の公開時に、後作は同じく70年代の名画座で何度となく見ている作品です。ロイヤル劇場(料金600円×2)。グッド!

 

『帰らざる日々』(1978年、監督・脚本/藤田敏八、原作・脚本/中岡京平、撮影/前田米造、録音/橋本文雄音楽/石川鷹彦、アリス

 

私が藤田敏八監督の作品をリアルタイムで映画館で見たのは1977年の『横須賀男狩り 少女・悦楽』。こちらはにっかつロマンポルノの作品で、その翌年の1978年の8月に公開されたのが、信州・飯田を舞台にしたこの映画『帰らざる日々』音譜

 

東京で暮らす作家志望の主人公(永島敏行)が、父親の葬儀のために久しぶりの帰省をする。車中で高校時代のクラスメイト(丹波義隆)と偶然に出会ったことから、物語は高校時代の回想へと向かいます。仲の良い友(江藤潤)と憧れの女性(浅野真弓)との関わり、幼馴染(竹田かほり)との初体験と別れ。いずれもほろ苦い記憶。

 

 

まず主人公・長島敏行に関わる女優について。現在、東京で同棲生活を送っている相手が根岸季衣。彼女は主人公の帰省にこっそり付いて来ます。彼が高校時代に憧れていた年上の“マドンナ”が浅野真弓で、初体験の相手になるのが竹田かほりです。

 

浅野真弓は1980年代にミュージシャンの柳ジョージと結婚し、芸能界を引退。竹田かほりも1982年にミュージシャンの甲斐よしひろと結婚し、芸能界を引退しています。出演女優では、丹波義隆の新妻役で車中を共にする加山麗子、終盤に江藤潤の妻役として登場する日夏たより。どちらもロマンポルノで主演作のある方々です。キスマーク

 

 

この映画の飯田ロケのエキストラの依頼があったことについて。この年、私は信州・松本で2年目。すでにアルバイトをしていたバイト先の映画館主を通じて、ロケ地に行くエキストラを用意するように頼まれました。地元の高校にはやはり頼めないので、比較的近くの大学生を集めることになった…そんな話だった記憶です。

 

さっそく私は自分の所属する大学の映画サークルのメンバーに声をかけましたが、エキストラ希望者は、正直みな「オッサン顔」の連中ばかり…(汗)。残念ながらこの飯田ロケでは、高校の学校風景は撮影されることがないということで、エキストラの件は直前に中止になりました。本編を見るたびに思い出す出来事です。パー

 

 

                                   

 

『八月の濡れた砂』(1971年、監督・脚本/藤田敏八、脚本/峰尾基三、大和屋竺、撮影/萩原憲治、美術/千葉和彦、音楽/むつ・ひろし

 

主人公は大学受験を控えた高校生の西本清(広瀬昌助)。家は雑貨屋を営んでおり、夏の間は海岸で「海の家」も営業している。そして学校を辞めてしまった野上健一郎(村野武範)、バンドでベースを弾いている渡辺マモル(赤塚直人)、勉強熱心な川村修司(剛たつひと)、敬虔なクリスチャンの稲垣和子(隅田和世)ら同級生。

夏の早朝、海岸をオートバイで走っていた清は、不良学生に暴行された少女・三原早苗(テレサ野田)と出会う。彼女を「海の家」に連れて行くが、家に服を取りに行った間に、彼女は姿を消してしまう。その日、店にやって来たのは早苗の姉・真紀(藤田みどり)。彼女は清を暴行の犯人と思い込み、逆に清から反撃されてしまう。パンチ!

 

八月の濡れた砂

 

その夜、高校を中退した健一郎と、彼の母が経営するバーで酒を飲むが、健一郎が嫌う母の求婚者・亀井亀松(渡辺文雄)がやって来たので、清は店を出てしまう。そして、壊れて置いたままの真紀の車の中で寝むりにつくが、目覚めると早苗がそばに。

数日後、海岸にいる清を早苗が呼びに来る。自分を犯した不良学生を見つけたのだ。健一郎やマモルと不良学生を打ちのめし、彼らの車を奪い早苗の別荘に。やがて東京から戻り、その無軌道な行動に意見する真紀。翌日、健一郎は3人組のヤクザに襲われ、ひどいケガを負う。見舞いに来た亀井の言葉からヤクザを雇ったのは彼だと気づく健一郎。これがラストの「大人」を排除したヨットの彷徨へとつながります。音譜

 

 

1971年8月公開のこの映画を、私はリアルタイムでは見ていません(当時の私は中学生になったばかり…)。どうしても本編を見たいという気持ちが高まったのは、高校の頃聞いていた林美雄の「ミドリブタ・パック」の影響だと思います。その念願が叶って、スクリーンで本編を見たのは1977年の夏、私が大学に入った年のこと。

松本から上京して、板橋にあった「上板東映」という名画座での上映だった。その時、最終日の最終回まで映画を見て、店頭に貼ってあった映画ポスターを100円で譲ってもらった。そのポスターは、今も私の部屋にひっそりと置いてある。パー

 

 


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藤田敏八

▲ 藤田敏八(1932.1.16~1997.8.29)