1519463104258.jpg

『けものみち』(1965年、監督・脚本/須川栄三、脚本/白坂依志夫、原作/松本清張、撮影/福沢康道、音楽/武満徹、美術/村木与四郎、編集/黒岩義民)

 

2月に2度目の岐阜の“昭和の映画館”ロイヤル劇場へのプチ遠征。「松本清張/傑作ミステリー特集」と題した企画は、1週目が池内淳子主演、須川栄三監督の『けものみち』。2週目が山口百恵主演、西河克己監督の『霧の旗』でしたが、私は1週目は岐阜まで足を延ばしましたが、2週目のわがモモエ映画の鑑賞はスルー。ファンにあるまじき振る舞いですね(反省)。

 

もちろん公開時にスクリーン鑑賞している『霧の旗』よりも、未見の清張映画『けものみち』の鑑賞を優先したわけです。ところが、この1965年の東宝映画『けものみち』はドラマが進むほどに、次の展開が読めるほどに“既視感”がある。それが何故なのか気になってモヤモヤしていましたが、数年前の失業(求職)中にツタヤを頻繁に利用していた頃にレンタルで見ていたと気づき、物語の展開以上にスッキリとしました(笑)。ロイヤル劇場(料金は一律500円)。

 

けものみち

 

池内淳子が演じる成沢民子は、中風で寝たきりの夫・寛次(森塚敏)を養うため、割烹旅館で住み込みの女中をしています。しかし、寛次はそんな民子を労わるどころか、日々、猜疑心を募らせ、民子が家に戻るたびに執拗にいたぶります。そんな辛い生活が続くある日、旅館に有名ホテルの支配人・小滝(池部良)が客としてやって来ます。小滝は民子に対して、今の生活から抜け出し、もっと安楽な生活ができる“手助け”をするようなことをほのめかします。メラメラ

 

民子は小滝の誘いに乗ることを決意し、失火に見せかけて寝たきりの夫を焼き殺します。その後、小滝の紹介で弁護士・秦野(伊藤雄之助)と共に政財界の黒幕・鬼頭(小沢栄太郎)の邸宅に出向きます。小滝の手助けとは鬼頭の愛人になることだったのです。鬼頭に気に入られた民子は小滝とも関係を持ちながら、鬼頭の後ろ盾を得て贅沢な生活を送るようになる。


一方、寛次の焼死事件に不審を抱いて独自に捜査を進める刑事の久恒(小林桂樹)は、やがて民子のアリバイを崩し、彼女が夫を焼き殺したという結論に至ります。しかし、捜査を進めるうちに民子の美貌に魅せられた久恒は、自分が集めた証拠をちらつかせ、彼女に関係を迫るのです。その男なら同情したくなる、欲深い女への執着心が久恒を破滅に追い込みます。爆弾

 

けものみち


その頃、政界では高速道路公団総裁の辞職と新しい総裁の着任が話題となりますが、その背景に鬼頭が大きな影響力を及ぼしていたことを民子は知っています。そして、鬼頭が亡くなり、その通夜の日に秦野が殺害されたことで、民子の後ろ盾となる人物はいなくなってしまう。自分の置かれた立場に恐怖を感じた彼女は、すがるような気持ちで小滝を訪ねるのです。あせる

 

池内淳子という女優は、私の世代では映画よりもテレビドラマ「女と味噌汁」あたりがリアルタイムで記憶にあります。ですので、割烹着が似合う純和風の穏やかな女性というイメージを持つのですが、この映画や川島雄三監督の『花影』を見ると、女の欲望やエロスを満ち溢れさせている。その着物姿からちらつく肌身が何とも色っぽく、男としてはそそられるのです。このあたりの印象は、大映の女優・若尾文子の1960年代の主演作品にも通じるものがあります。

 

また、本編の脚本を書いている白坂依志夫ですが、つい最近その著書「不眠の森を駆け抜けて」を読んだばかりでした。この本の中で俳優・池部良のプレイボーイぶりについて触れていましたが、本編での池部は左翼くずれの満州帰りという設定で、そのニヒルな佇まいが実に印象的でした。タイトルの「けものみち」はヒロイン・民子の生き方というより、池部良が演じた満州帰りの小滝にこそふさわしいのではないか。エンディングを見終えてそう思いました。パー

 

けものみち

 


にほんブログ村