夕凪の街 桜の国

 

昨年夏、名古屋駅前のミッドランドスクエアシネマにわずかに距離が離れているものの“シネマ2”が開業し、ミッドランドシネマとしては名古屋駅前の好立地に「1」と「2」を合わせ、全体で14のスクリーンを持つことになりました。従来の映画に限らず、様々な映像作品の企画も組まれていますが、「午前十時の映画祭」が名駅で鑑賞できるようになったのは嬉しい限り。クラッカー

 

また、この6月にはシネマ1のスクリーン7にフィルム上映用の映写機を改めて設置し、デジタル化を迎える前の35mmフィルムの上映を可能にしたと聞きました。その最初の上映企画が「“大人”のラブストーリー特集」ということで、以下の4本の映画がフィルム上映されました。

 

 『夕凪の街 桜の国』(2007年、監督/佐々部清) 

 『ジョゼと虎と魚たち』(2003年、監督/犬童一心)

 『きみに読む物語』(2005年、監督/ニック・カサベテス)

 『エターナル・サンシャイン』(2005年、監督/ミシェル・ゴンドリー)

 

スクリーン鑑賞していない作品はぜひとも見たいところでしたが、結局は佐々部清監督の映画『夕凪の街 桜の国』1作品だけの鑑賞に終わりました(涙)。同じ原作者の『この世界の片隅に』のヒットがあっての再映かもしれませんが、理由はどうであれスクリーン未見のファンにとっては有り難い上映企画でした。ミッドランドスクエアシネマ(当日一般は1,100円)。グッド!

 

夕凪の街 桜の国

 

第9回手塚治虫文化賞新生賞、平成16年度文化庁メディア芸術祭漫画部門大賞を受賞した、こうの史代の同名コミックを、佐々部清監督が実写映画化した映画『夕凪の街 桜の国』。広島原爆投下から13年後の昭和33年と、公開当時の“現代”(平成19年)に生きる2人の女性を通して、現在まで至る原爆の悲劇を描写します。主人公は麻生久美子と田中麗奈です。

 

一本の映画の中に、半世紀の時代を超えて、二つのドラマがあります。前半は麻生久美子が主演の「夕凪の街」。舞台は原爆投下から13年後、昭和33年の広島。主人公の平野皆実(麻生久美子)は原爆で父や妹を失い、母親フジミ(藤村志保)と二人でつつましい生活をしています。ある日、会社の同僚の打越(吉沢悠)から愛を告白されますが、自分だけが生き残ったという負い目から、その愛を素直には受け入れられないのです。やがて気持ちがやわらぎ始め、打越の優しさを受けとめられるようになりますが、突然、彼女の身に原爆症が現れる。あせる


そして後半は田中麗奈が主演の「桜の国」。平成19年の東京、主人公の七波(田中麗奈)は最近、挙動不審の父親(堺正章)を心配し、ある夜、ひとりで出かける父を追いかけ、追跡をはじめる。途中、小学校の同級生・東子(中越典子)と一緒になっての追跡劇になります。父親が長距離バスで向かった先は広島。父親の立ち寄る土地や出会う人々を遠目から見ている七波は、亡くなった祖母のフジミや母のこと、そして伯母の皆実に思いを巡らすことに…。

 

夕凪の街 桜の国

 

以前にツタヤでDVDをレンタルし鑑賞、ブログの記事にもしています。その時の“予見”もありますが、前半の「夕凪の街」では麻生久美子の演技を見ながら、涙ボロボロの状態でした。自宅のDVD鑑賞ではそこまで感情が高まりにくいのですが、これもまた“劇場効果”なのかもしれません。生き残った自分だけが幸せになってはいけないという思いに支配されている、ごくごく素直な皆実という女性の姿は、そのまま『この世界の片隅に』の“すず”に重なります。

 

後半の「桜の国」では、父親と共に自身のルーツと向き合うことになる七波ですが、このパートで意外に重要なのは、何気なく七波に同行したような中越典子が演じる東子の存在ではないでしょうか。実は、彼女は七波の弟(金井勇太)と交際しているのですが、親からは被爆者の血筋ということを理由に、その関係を強く反対されて悩んでいるという背景があるのです。

 

およそ半世紀の時代を超えて、二つのドラマが一つにつながる物語です。平和の尊さ、そして生きることの喜びを声高ではなく、しっとりと伝える作品に仕上がっています。同じ時代を生きることがなかった伯母と姪の二人ですが、その“絆”を描いた物語ともいえます。あえて気になる点を挙げれば、二つの物語をつなぐ人物の堺正章の青年期を演じる役者さんとのギャップが大きかったことでしょうか。私の世代は堺正章の青年期の姿が記憶にありますからね。パー

 

 

(2007年、監督・脚本/佐々部清、脚本/国井桂、原作/こうの史代、撮影/坂江正明、美術/若松孝市、音楽/村松崇継)

夕凪の街 桜の国

 

夕凪の街 桜の国

 


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