名古屋駅西のシネマスコーレで行われていた三度目の若尾文子の特集上映も終了となり
ました。未見の作品はできる限り見たかったのですが、残念ながらスケジュールが合って
スクリーン鑑賞ができたのは5本だけです。『からっ風野郎』・『家庭の事情』に続いて見た
作品は、谷崎潤一郎・原作の『瘋癲老人日記』と三島由紀夫・原作の『永すぎた春』です。

そして今回の特集上映で最後の鑑賞になったのが、川端康成・原作の『千羽鶴』です。い
ずれも昭和を代表する文豪の小説の映画化ですが、さほど魅力のある映画作品に仕上が
ってはいませんでした。クールな言い方をすれば、若尾文子という女優の出演作でなけれ
ば、スクリーン鑑賞はしなかったと思います。シネマスコーレ(会員当日・各1,000円)。 

若尾文子映画祭


瘋癲老人日記
『瘋癲老人日記』(1962年、監督・脚本/木村恵吾、原作/谷崎潤一郎、撮影/宗川信夫、美術/柴田篤二、音楽/小川寛興)


77歳の喜寿を迎えた卯木督助(山村聰)は、軽い脳溢血で寝たり起きたりの生活を送ってい
る。老いた身でありながら性欲と食欲はまだまだ健在で、そのあたりの欲望を察知して、巧
妙に取り入っているのが息子・浄吉(川崎敬三)の嫁である颯子(若尾文子)。ちなみに督助
の妻役は東山千栄子で、娘役が丹阿弥谷津子ですが、二人の嘆きは深いものがあります。

督助の部屋には、隣り合わせてシャワー付きの浴室が設けられている。ある日、督助に対し
て颯子は自分がシャワーを使うときは、浴室に鍵もかけていないと告げます。老人だからと
安心しているのか、逆に老人を誘っているのか、真意を図りかねる督助ですが、夜になって
シャワーの音がし始めると、家族がいないことをこれ幸いに浴室へ身を滑り込ませます。

この浴室シーンは脚フェチだったという文豪・谷崎の面目躍如の場面だと思いますが、映画
は一編の艶笑劇のようで、場内に乾いた笑いがわずかに起こっていました(もちろん私も笑っ
ていました)。「足ニ接吻スルクライ、オ許シガ出タッテヨサソウナモノダ」「ダメ!アタシソコハ
弱イノヨ」、、、それでも颯子に何とか了解を取りつけ、彼女の脚に接吻する老人・督助です。

瘋癲老人日記

それ以降も家族や女中の目がないところで、颯子に迫る督助です。彼女に強く拒絶されると
いきなり床に手をつき拝むように懇願する督助。結局、颯子は300万円もする猫眼石の指輪
の購入を認めさせてしまう。さらに督助の想いは募り、自分の墓には颯子の足型を仏足石と
して彫りこもうというのだ。魚拓を作るように颯子の足型をとるのに夢中になる督助です。

映画のラストは卯木家の庭にブルトーザーが入っているシーン。颯子が望んでいたプールの
建設が始まっているというわけです。作品としてはヒロイン若尾さんの悪女ものというのでは
なく、瘋癲老人の欲ボケぶりをコメディタッチで綴っているという気がします。そういう意味で
は、山村聰の瘋癲老人ぶりはなかなかの熱演で、異色の役柄に挑んでいる印象を受けます。

つまらぬことにこだわるわけではないですが、この作品の見どころの浴室シーン。シャワーの
カーテンから出されて接吻を受ける“おみ足”は、果たして若尾文子さんの“生脚”かの疑念で
す(笑)。当時の映画会社のスターシステムを考えれば、増村保造監督の作品で見せる豊か
なボディの“吹き替え”と同様に他人の脚だと思いますが、実際にはどうだったのでしょう。

瘋癲老人日記

                                                     

永すぎた春
『永すぎた春』(1957年、監督/田中重雄、脚本/白坂依志夫、原作/三島由紀夫、撮影/渡辺公夫、美術/柴田篤二、音楽/古関裕而)

1957年製作の作品で、若尾文子と川口浩が若々しい恋人を演じている作品です。T大法学
部に通う宝部郁雄(川口浩)は古本屋の娘である木田百子(若尾文子)と恋人同士。最初は
家の格式の違いを問題にして難色を見せていた郁雄の両親も、大学を卒業してから結婚す
るという条件で了解する。そして晴れて婚約ですが、そこから始まる物語というわけです。

二人は結婚までは清い関係であろうとしますが、二人の間柄が公認されると、何か物足りな
さも感じるようになる。郁雄が大学を卒業するまでに、二人の間に訪れる危機が一年の季節
の移り変わりと共に綴られます。最初の危機は、郁雄の友人で画家・高倉(川崎敬三)の個
展にやって来ていたデザイナー・つた子(角梨枝子)からの積極的なアプローチが原因です。

恋人の百子に対しては抑えている性の欲望を、郁雄はつた子の肉体で果たそうと考えます
が、親友の宮内(北原義郎)が機転を利かして、その行為の直前に踏み止めさせます。年上
女性・つた子と対峙した百子は郁雄を許しはしますが、自分を素直に求めてくれなかったこ
とに淋しさを感じます。彼女から肉体関係を迫られても、それには臆してしまう郁雄です。

永すぎた春

さらに大きな危機は、百子の側にやって来ます。彼女の兄・東一郎(船越英二)が入院した
病院の看護婦と親しくなりますが、その母親が貧乏暮らしが身についた根っからのひねくれ
者。彼女は百子を自分のものにしたい高倉に金を出させ、百子を酔いつぶす場をセッティン
グします。無事その場を逃げ出した百子と郁雄の関係は、よりしっかりしたものになります。

映画『からっ風野郎』(1960年)では思いのほか達者な役者ぶりを見せてくれた三島由紀夫
ですが、本業は作家です。「金閣寺」や「潮騒」など、何度も映画化されている代表作は学生
時代に読んでいますが、この映画の原作は未読です。映画化作品から推察するに、かなり
通俗的な物語のように思えますが、原作は月刊「婦人倶楽部」での1年間の連載だったとの
ことです。それが単行本化されベストセラーになり、大映で映画化になったというわけです。

“若尾文子映画祭・青春”の作品鑑賞の総括をこの場でするつもりはありませんが、個人的
には1950年代の溌剌とした娘役を演じていた若尾さんよりも、“人妻”としての情念や愛欲を
垣間見せる1960年代の若尾文子さんの方が好きです。仲のよいブロガーさんから、またまた
私の熟女好きを指摘されそうですが、こと若尾映画に関しては譲れない思いがあります。


永すぎた春


にほんブログ村