愛と哀しみのボレロ 
             『愛と哀しみのボレロ』公式サイト

今年も昨年に引き続いて映画館での作品鑑賞は200本を越えることができました。映画鑑賞は劇場スクリーンが基本で、まず「質より量」と考えている私にとっては最低限の目標をクリアといったところでしょうか。実のところは時間にもお金にもさして余裕のない、今の私の映画鑑賞ライフです(汗)。振り返れば若い頃は時間に余裕はありましたが、やはりお金がなかった。

今と同じように年間で200本くらいの映画を見ていた1980年前後は、時間はありましたが、さらに多くの映画を見るお金の余裕はなかったのです…。1981年公開の映画『愛と哀しみのボレロ』をスクリーン未見だった“言い訳”めいた前フリが、少し長くなりました。公開当時には自分の嗜好に合わない作品と、あえてスルーしたこの映画ですが、デジタル・リマスター版での上映ということで見に出かけました。劇場は名古屋シネマテーク(会員当日1,300円)。

愛と哀しみのボレロ 

第二次世界大戦をはさんで数々の困難をくぐり抜けてきた音楽家たち。モスクワ、パリ、ベルリン、ニューヨークと4つの都市を舞台に、半世紀近くに及ぶ二世代の4つの物語が、それぞれ独立したドラマとして描写され、終盤に至って一堂に“集結”する大掛かりなドラマです。

モスクワ/モデルになった人物:ルドルフ・ヌレエフ(バレエダンサー)
ボリショイバレエ団のプリマのオーディションで惜しくも敗れたタチアナ(リタ・ポールブールド)は、その選考委員だったボリス(ジョルジュ・ドン)と結婚しますが、スターリングラード攻防戦でボリスは戦死。残された幼い息子のセルゲイを、タチアナはバレエを続けながら育てます。両親の才能を引き継いで名ダンサーに成長したセルゲイ(ジョルジュ・ドン/二役)は、国内外で高い人気を得て、やがて西側に亡命します。再婚した母は祖国で、その活躍を見守る。

パリ/モデルになった人物:エディット・ピアフ(歌手)
ナイトクラブの歌手エブリーヌ(エヴリーヌ・ブイックス)は、パリを制圧していたドイツ軍の軍楽隊長と出逢い、彼の子を宿すが、敵に身を許した卑しい女と蔑まれ、パリを追われて故郷で子供を産む。私生児として祖父母に育てられたエディット(エヴリーヌ・ブイックス/二役)は、パリに出て貧乏暮しをしながらショウガールになり、やがてTVのキャスターとして成功する。

ベルリン/モデルになった人物:ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮者)
1938年、ヒトラーの前でベートベンを演奏し認められたカール(ダニエル・オルブリフスキ)は、パリでの軍楽隊長としての仕事を終え、ベルリンにいる妻マグダ(マーシャ・メリル)のもとに帰るが、愛児は戦死している。やがて指揮者として成功し、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で初公演を行うが、ユダヤ人のチケット買い占めで、聴衆わずか二人の演奏会を行う。

ニューヨーク/モデルになった人物:グレン・ミラー(音楽家)
人気ジャズ・ミュージシャンのジャック・グレン(ジェームズ・カーン)は、ヨーロッパ戦線に参加後、アメリカに戻ると妻であり歌手でもあるスーザン(ジェラルディン・チャップリン)を交通事故で失う。娘のサラ(ジェラルディン・チャップリン/二役)は親の血を引き継ぎ、同じく歌手として成功し、息子ジェイソン(ジェームズ・カーン/二役)は彼女をマネージャーとして支えていく。

愛と哀しみのボレロ 
 
戦後、音楽やバレエの分野で活躍した有名人4人をモデルにしたドラマは、ヨーロッパでの戦火の影響を受け、親から子供の世代に引き継がれていく。そしてこの4つのドラマ以外にも、パリ在住のユダヤ人の音楽家が強制収容所へ送られる際に、乳飲み子を線路脇に置いていくエピソードがある。収容所で亡くなるピアニストと、成長して作家になる息子をロベール・オッセンが二役で演じていて、このエピソードは精神を病んだ母との奇跡の再会で結ばれる。

上映時間185分の悠々たるロマンあふれる大作映画。監督がクロード・ルルーシュで、音楽をミシェル・ルグランとフランシス・レイが担当していますから、何やらフランスの“国家的”映画のように思えてきます。クライマックスはパリ・トロカデロ広場のユニセフ・チャリティ・コンサート。これは1980年代の“現在”という設定で、ここに主要な登場人物が揃って集結するわけです。

クライマックスの舞台はモーリス・ラヴェル作曲、モーリス・ベジャール振付による現代バレエ“ボレロ”。天才バレエダンサーと呼ばれるジョルジュ・ドンを中心に舞い踊られるスペクタクルなシーンが延々と続きます。このクライマックスを見終えて、初見の私は映画のオープニングの描写の意味がようやくわかる。“ボレロ”の終演をもって、この大河ドラマも幕を閉じます。

ここからは少しだけ辛めの感想です。正直いえば、中盤を過ぎてから“中だるみ”の状態になりました。各人物のエピソードの時の経過がスピードアップし、親子の役を同じ役者が演じたりして、私は少し混乱しました。物語の着地点が見えないなと心配になり、時計を気にし始めたら、“ボレロ”が始まりましたからホッとしました(笑)。初公開時にこの映画をスルーしたことを今さら後悔はしませんし、その頃の自分の嗜好も許してやりたい気分になりましたよ。


(1981年、監督・脚本/クロード・ルルーシュ、ジャン・ボフェティ、音楽/ミシェル・ルグラン、フランシス・レイ、振付/モーリス・ベジャール、美術/ジャン・ルイ・ポヴェーダ)
              愛と哀しみのボレロ  

              愛と哀しみのボレロ 

                  
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