私のブログの検索ワードで「山口百恵」の映画が上位に出てくるのは、よくわかりますし、少しばかり嬉しいことなんですが、この検索ワードに常に登場し、不思議に思っている項目が実は「内田良平」なんです。私が30年近くも前に亡くなっているこの俳優のことを、ブログに記事にしたのは1年半ほど前の1回きりなんですが、それが今もコンスタントに検索されていることにちょっと驚き、不思議に思っているわけです。☞ その記事はコチラ

内田良平 内田良平(1924.2~1984.6)

まさか同じ「内田良平」でも戦前の右翼の大物を検索されているのか。私のブログ記事はほとんどが映画ネタですから、右翼の運動に興味のある方がわざわざ訪問するとは思えません。だとしたら俳優「内田良平」のいまだに熱心なファンの方がいる、あるいは内田氏を見送った「お身内」の方が偲んでいる、、そんなことを夢想するわけなんです。

残念ながら、私は俳優「内田良平」の熱心なファンとは言えません。『青春の殺人者』(1976年、監督/長谷川和彦)以降の内田氏の出演映画は、ほとんど見ていると思いますが、60年代から70年代の前半にかけて東映や日活で活躍していた時期の作品で、ちゃんと見ているのは『十三人の刺客』(1963年、監督/工藤栄一)くらい。ですので内田氏が主演で撮っている60年代の東映映画は、ぜひとも見たい作品群なんです。

ギャング同盟 『ギャング同盟』(1963年、監督/深作欣二)

間諜  『間諜』(1964年、監督/沢島忠)

喧嘩辰  『車夫遊侠伝・喧嘩辰』(1964年、監督/加藤泰)
 
               

 

 

で、これは前回のブログ記事でも取り上げましたが、内田氏は役者をしながら、一方で詩編を結構書いているわけです。有名なのは1972年に大ヒットした平田隆夫とセルスダーズの「ハチのムサシは死んだのさ」の作詞を手がけていること。60歳で亡くなった1984年の11月には遺稿詩集「朱いかもめ」が出版されており、当時付き合いのあったフリーライターの友人からその詩集をプレゼントされ、今もそれが手もとにある。

かもめや虫などを捉え、海や山の情景を描く。孤独感や望郷の想いの伝わるその詩編に触れると、どんなに弾けたコミカルな役を演じていても、クールさを失わない内田氏の面貌が思い出されるのです。(もし今回この記事を「内田良平」の検索ワードで読まれている方がいらっしゃいましたら、ぜひともワンコメントいただきたいです。お願いします。)


  冬の海 *

ゆうべ
友に手紙を書く
そして、雨が降った。冬には
年をとって行く
十七年もの長い間二人で
安い楽器のように鳴らし続けた
人生に就ての議論。
ここは房州の海辺。
友は東北の古い村。
もう、笑って、
何にも言わずに
いることも出来よう……
烈風の渚で貝を投げ、
暗い雲から漏れ陽が落ち、
暖かい海の秋は
去って行く。
立ちはだかる波に聞く。
これから私に何があるだろう。
………
恐らくは
何もない。


  海 ** 


誰も知らない
俺よりほかに一人もいない……
たとえば、
大風の吹く夕暮れか、
冬の朝焼けのまだ残るころ、
ふるさとの海の波打ちぎわで
あたりを眺めたら
すぐに帰って来てしまおう。
そのまま、まっすぐ都会の
人込みにまぎれてしまおう。
ふるさとは俺を引き止めないし、
俺もふるさとを当てにはしない。だが、
何故だろう。
ひとりふるさとで海を眺めているのを
人に見られるのは恥かしい。
母の乳房を
人に見られているように……

(内田良平遺稿詩集「朱いかもめ」より/1984年、作品社)