前回、お経についての疑問を考えてみたんですが、今回は仏教の世界観について。

さすがに世界観のスケールがでかい!!
壮大で、複雑で、理解をするのはとても難しい!!
素人が語りきれるようなものではないです。
(よって今回は、死後の世界のほんの一部をご紹介します。かなり間違ってるかもしれませんが。あしからずということで勘弁してください。)

日本仏教って、後からの付け足し感が多々あると思うんです~!

古代インドの地で誕生して、中国で付け足され、日本に入ってきて足しに足された感じがします。
仏像だってインドの神様風なのもあれば、中国の武将風なのもある。

でも仏像ってかっこいいですよね。
仁王像とか、あのフォルム!阿修羅像とかも凄い!
(仏像の世界観も、役割とかの世界観すごいですよね。「如来・菩薩・明王・天」)

それはさておき
(一応言っておきますが、今回も長いです。読むのはつらいですよ。面白くはないし。)

前回「仏教ってどんな特徴の宗教か?」って外人に訊かれたら、「先祖供養したり、お経読んだり、お墓詣りしたり、お線香あげたり・・・。」みたいな話になっちゃうのではないか?って書きましたが、そもそも仏教では先祖供養という考えはなかったようです。

それは「輪廻転生(りんねてんしょう)という考えがあるからです。

(インド人は現世を基本的には苦しみの多い世界と考え、以下の6つの世界(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界に分類し、死後はこの六道(ろくどう)輪廻・転生すると考えたのです。六道輪廻から解脱すれば、輪廻しない世界・悟りの世界「仏界」「菩薩界」「縁覚界」「声門界」極楽浄土)へ往く事ができるそうですが・・・。)

つまり死んだらすぐに、6つの世界のいずれかに転生するのです!(たぶん)

だから先祖供養を何年もやったり、お盆に先祖が帰ってくるとか、そうゆうのは日本で作られた考えらしいのです。
(四十九日までの七回の法事は仏教由来。100か日から三回忌までは中国の風習。)
(お盆のルーツは、お釈迦様の弟子の「目連」(神通力ができる)の亡くなった母親が、餓鬼道に堕ち苦しんでいる事をお釈迦様に相談したところ、「7月15日に食べ物やお布施を振舞えば、その一端が母に届くだろう」と言われ言われた通りにすると、目連の母は救いを受ける事が出来たので、毎年恒例化し、盂蘭盆会(うらぼんえ)と呼ばれるようになった。だそうです。)

では往き先はどうやって決まるのか?

それは(最大)七回の裁判によって決まるそうです。
       七人の裁判官
期間四十九日

映画館で最初に流れるCMみたいな感じのサブタイトルみたいですが。^^
「24」TWENTY FOUR 的な。
「49」 FORTY NINTH DAY - あなたは決して 言い逃れできない!! 近日公開みたいな


 




人は死ぬと裁判を受けるために「冥途の旅」に出発します。
星の光を頼りに7日間「死出の山」を超えていくんですが、その距離約32000キロ。(日本列島とほぼ同じ距離。)

しかも体の大きさは人間の目には見えないほど小さくなるそうで、死者の食糧は、なんと線香の香りなんだそうです。
(よって、遺族が線香を絶やさないようにするのも、死者に食糧を送る為にやっているという考えがあるかららしい。)

裁判は七日ごとに「五戒」にもとづいて行われるそうです。
五戒とは・・
1. 不殺生戒(生物の命を奪わない)
2. 不偸盗戒(盗みをしない)
3. 不邪淫戒(みだりに性交しない)
4. 不妄語戒(うそをつかない)
5. 不飲酒戒(酒を飲まない・売らない)

だそうです。(私は5つすべての罪で有罪になりそうです。)

また「十悪」というのもあって、貪瞋痴(とんじんち)「貪欲・怒り憎しみ・無知」からの行為で
一、「殺生」生命を殺すこと。 二、「偸盗」盗むこと。 三、「邪淫」よこしまな行為をすること。 四、「妄語」嘘を付くこと。 五、「悪口」粗悪語(怒鳴って侮辱すること)。 六、「両舌」離間語(陰口、中傷)。 七、「綺語」ムダ話。 八、「貪欲」精神的な異常な欲。 九、「瞋恚」異常な怒り。 十、「愚痴」邪見。という罪のリストをお釈迦様が作られたらしい。

【7日目】
第一審の裁判官は、不動明王の化身 「秦広王」
(書類審査のみ)
ここを超えると三途の川を渡ることになるそうです。
(河原には、鬼が子供の積んだ石を崩す虐めをしています。)
わたり方は秦広王の審査結果しだいで変わるそうです。
でも「六文」あれば船での渡河ができるとか。(安い)
川を渡ると、懸衣翁(けんねおう)・奪衣婆(だつえば)という二人の老人がいる。

【14日目】
第二審の裁判官は、釈迦如来の化身 「初江王」
(不殺生戒の裁き)

【21日目】
第三審の裁判官は、文殊菩薩の化身 「宋帝王」
(不邪淫戒の裁き。ネコとヘビを使って生前の行いを調べる。)
(男はネコに噛まれ、女は股からヘビが体内に入って調べるそうな。)
【28日目】
第四審の裁判官は、普賢菩薩の化身 「伍官王」
(不妄語戒の裁き)
実はこの四審で、魔法の秤に乗せられ生前の行いを一瞬で計られ、来世の行き先が決定するそうです。(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)
(地獄往きを勧告された死者は伍官王に懇願することで、七日間の猶予をもらうことができる。)

【35日目】
第五審の裁判官は、地蔵菩薩の化身 かの有名な「閻魔王」登場!
(閻魔王のアイテムの「浄玻璃」の鏡は生前の悪行を映すことができ、閻魔王の質問に嘘をつけば舌を抜かれるそうです。(地獄行きは変わらないけど?)遺族が追善供養してくれるかもしれないのでと、収容先発表までの猶予をくれることもあるそうです。)

・ちなみに閻魔王は人類最初の人間であり、死者第一号らしいです。
極楽浄土の第一発見者でもあるらしく、浄土にふさわしくない悪人を収容するために地獄を作ったらしい。
・閻魔大王はバラモン教(のちのヒンドゥー教)の神話から入り込んだという説もあります。また地蔵菩薩が、死んだ人を救うために閻魔大王の姿をお借りになっていて、本当は最初の十七日(初7日)の審判役だったが、死んだ人に同情しすぎるので、五十七日(三十五日)の審判に変わったという言い伝えもあります。(怖い顔で定着してますが、柔和な顔の閻魔様の像もあるそうです。)

【42日目】
第六審の裁判官は、弥勒菩薩の化身 「変成王」
(伍官王と閻魔王の報告にもとづき最終審査)

【49日目】
第七審の裁判官は、薬師如来の化身 「泰山王」
(6つの鳥居を提示し、死者に選ばせる。でも前世の行いで結果はすでに決まってる。こうして鳥居をくぐった瞬間に、冥途の旅は終了となる。)

更に(実は七王ではなく、十王かも)
【百か日】
第八審の裁判官は、観音菩薩の化身 「平等王」
【一周忌】
第九審の裁判官は、勢至菩薩の化身 「都市王」
【三回忌】
第十審の裁判官は、阿弥陀如来の化身 「五道転輪王」

更に更に(実は十王ではなく、十三王かも)
【七回忌】
第十一審の裁判官は、阿閃如来の化身 「蓮華王」
【一三回忌】
第十二審の裁判官は、大日如来の化身 「祇園王」
【三十三回忌】
第十三審の裁判官は、虚空蔵菩薩の化身 「法界王」

・四十九日で地獄界や餓鬼界などに落ちても、三十三回忌までに王の姿に変わった仏が現れて、助けてくれる機会を作ってくれるという仏教の教えがあるらしいです。

・亡くなってから七日ごとに法事をするのは、裁判官に情状酌量をお願いするために、供物をするのだそうです。
嫌な言い方をするならば、「ほぼ罪人扱いをされるのは間違いないから、念には念を入れて、豪華に供物をする事で、少しでも心象良く、許しを請おう」という考えがあるみたいです。

・最初は閻、魔大王一人で裁いていたが、中国などで官僚制が出来上がってゆくと(人間が作った政治制度が宗教の教義にも取り入れた為)、六道の行き先を決める裁判にも官僚制が導入されて、何人かの裁判官で複数回、審理するようになったといわれています。

・早い人は最初のほうの王の裁きで行き先が決まるという教えもありますし、誰もがすべての審判を受けるという教えもあります。

・実は人は生まれてすぐにその人の両肩に乗る「倶生神(くしょうじん)」という神様がいるらしく、名前は「同生」と「同名」。
「同生(どうしょう)」は女の神様で、右肩にいて、その人が死ぬまでの悪行を記録する。
「同名(どうめい)」は男の神様で、左肩にいて、その人が死ぬまでの善行を記録する。
その人が死ぬと閻魔大王へ報告(チクリ)しにいくそうです。

このシステムだけでも、
仏教の世界観ってすごいんだけど、知れば知るほど、規則が厳しいんですよね。規則優先っていうか、現代にそぐわないというか。
(なんてこと言ってたら地獄に落とされたりするのかもしれない。)

と、いうわけで長くなったので、
「地獄のシステムって!(怒)」は次回にします。^^
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ちなみに、通夜と葬式と告別式ですが、

通夜とは、魂があの世に旅立つ前に、最後の夜を家族・近親者がともに過ごす時間。(昔は、まだ生き返るかもしれないからって意味も込めて夜通し近くにいたことから通夜になったとか。本来、まだ死んでないかも的な考えがあるのもあるし、急いで駆けつけてきたので、普段着です。ただとるものもとらずにきたが、エプロンだけは持ってきました。というのが通夜に行く格好として正しいようです。)

葬式とは、死者を弔い、霊を浄土へ送る為の儀式。

告別式とは、お葬式に参列した人が、献花や焼香によって死者に別れを告げる儀式。

49日前は「御霊前」で、
49日後は「御仏前」になります。

薄墨でかくのは、涙で墨が(すってもすっても)薄まっちゃったからという理由や、悲しみで力が入らず、墨を濃くすれなかったんです・・・、的な意味があるらしい。

「あんた、ずいぶん墨が濃いね。本当は喜んでるんだろ!」って言う奴がいたのかなぁ~?



日本の仏式の葬式、法事って(田舎地域限定なのかもしれませんが)、あっちの家ではこんなことやったから、うちがやらないわけにはいかない。とか、もっともっと過剰に丁寧に、そして豪華にするべきだ!なんて、どんどん・どんどん、めんどくさいことになってません?ご飯を山盛りにしないといけないとか、お椀から油揚げが盆に垂れるように入ってなければならないとか、重くてかさばってないと香典返しで笑われるとか、砂糖を入れて重くしろ。だとか。家で式をやらなきゃおかしいだの、家で組の人に御馳走を振舞ってねぎらわなければならないとか、故人に対する悲しみなんて吹き飛ぶくらいに見栄や世間体を気にしすぎる古い考えの親戚達が多すぎる!大事なことはそんなことじゃないと思う!!もっと簡単に、シンプルにして故人を偲べばいいと思う。 なんてね。(なかなか大声では言えませんけど)
薄墨風でこっそり書いてみました。


【追記】
最近、仏教について更に幾つかの本を読んでいたんですが・・・。
やはり難しいですね~。
(そもそも、(私の代からは)仏教をやめて、神道にすると決めるにあたって「なんで仏教をやめたのか?」と聞かれた時の為に、「なんとなく」ではなくて、少し知識を得て説明できるようにしておきたいと思ったのが始まりだったんですが・・・。難し~ぃ

何が難しいかといえば、歴史的な変化ですかね~。
釈迦の仏教の世界観と、そこから分かれた大乗仏教、中国にわたって儒教が入ってきて、お経が漢文になり、奈良や鎌倉で日本のいろんな考えが入って変化する日本の仏教の世界観。とにかくごっちゃまぜになっちゃって、仏教ってこうなんですって!って言いきれないというか、たぶんちゃんと知ってる人にはアホな知識で仏教語るなって怒られそうかなぁ~って感じなんですが。
それこそ『諸行無常』という考え通りなのかもしれませんが。
諸行無常・・・釈迦の教えの一つ。諸行(あらゆる物事は)無常(同じままとどまることはない)

ま、素人丸出しにしたところで・・・

実は根本的な疑問がありまして調べてみました。

・仏教はインド生まれなの?
インド説とネパールの国境近く説があるそうです。

・インドでは仏教が今でも盛んなの?
ほぼ消滅しているようです。ヒンドゥ教徒とイスラム教徒が多いそうです。
もともとヒンドゥ教が多かったインドに仏教が広まり盛んになったものの、釈迦が亡くなった後、釈迦の教えを巡り、教団は分裂したり、派が分かれたり、色々な対立があったりで、新たな信者を増やす為にも解釈や教えが変化し、一番大きくなった派が、結局ヒンドゥ教と教えが似てるようになって、現在ヒンドゥ教となっちゃったみたいな感じらしいのです。

・「釈迦」と「仏陀(ブッダ)」は違うのか?
「釈迦」は、釈迦族の国王の息子として生まれたゴータマ・シッダールタが悟りをひらき(仏の悟りを開いた人)という意味で、『仏陀』と呼ばれるようになった。
釈迦と呼ばれるのは「釈迦牟尼(しゃかむに)、「釈迦族の聖者」という意味の尊称の略からきているようである。
しかし、仏陀というのは釈迦の事だけをいう!という考えと、仏陀と呼ばれる人は何人もいる!という考えもあるようで、つまり 釈迦=仏陀 であるはいいとしても、仏陀は釈迦である!は考えの違いがあるという事だ。

・仏教の世界観の中でトップは誰?釈迦なの?
これを「ヤフー知恵袋」で訊いてみると・・・
「仏教の最高は阿弥陀様で、阿弥陀様が御釈迦様として受肉された。」
という人もいれば、
「仏陀(釈迦)だ」という人もいる。

私の読んだ本の中には、こう書いてありました。
【仏像に表現される仏さまは、「如来」「菩薩」「明王」「天」の大きく4つのグループにわけられていて、「如来」とは悟りを開いた仏さまが集まる、仏界のエリート集団である。その筆頭は「毘盧舎那如来」であり、宇宙の真理そのものを表した観念的な存在である。】と。

・仏教の世界観は、釈迦が考えたものではなく、もともと存在していた世界を、釈迦が悟り、わかりやすく世に広めた。ということなのか?
これも「ヤフー知恵袋」で訊いてみたんですが、そういう解釈で正解だ。という意見がありました。

・お経は釈迦が作ったものか?
これは、のちの人が釈迦の教えを素に、色々な解釈を足して作った物で、般若心経とかは作者不明らしいです。
「上座部(じょうざぶ)仏教(小乗仏教)」と「大乗(だいじょう)仏教」に分裂し、更に細分化するにあたってさまざまな経典が作られていく中で誕生していったらしいです。


インドではそうとう昔に、仏教が消滅していると知って、ショッキングだったなぁ!