先日ヤホーで検索したら、世界的に普及した大きな宗教があったんです。
みなさん仏教って知ってますか?(ナイツ風にしてみました。)^^

実は、数年前から、この仏教疑問に思うことが多くて、本を買ったり、インターネットで検索したりして「仏教」について調べてました。

もし外国人から「あなたの宗教は、なにやってるの?」って尋ねられれば日本人の多くが、「仏教ですかねぇ~」と言う方が多いと思います
「仏教って、どんな特徴の宗教なんですか?」
と聞かれたら何と答えます?
「先祖供養したり、お経読んだり、お墓詣りしたり、お線香あげたり・・・・。」みたいな話になっちゃうのではないでしょうか?(私はそんな感じです。)

※まぁ、今回の話、きっと、とっても長くなります。
(先に言っておきますが。)
面白くもないので、きっと読み疲れちゃう事だと思います。

(もともとこのブログには、あまり読者はいませんが

一応、今回のを要約しておくと

①お経ってなんなのさ?
②仏教の世界観ってすごいんだけど・・・ 
③地獄のシステムってなによ
④「親父の葬式は仏式(仏教)をやめて、神式(神道)にする 」と父親に宣言!

    【終わり】

という感じになります。
ね~~、あまり興味ないでしょーw
 
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昔、営業職をしていた時に宗教と政治の話はややこしい事になることが多いから話題にしない方がいいぞ!」と言われた事があります。(実際、少しややこしい事に巻き込まれたりもしました。)
だから宗教の話をするのは悩むのですが、ここ数年、ずっと頭の外で整理したっかったのでここにブログとして書くことにします。


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私の父親の実家(少々色々とありまして家を出ました。)には、立派な仏壇があり、お墓があり、お寺の檀家でもあります。たしか格も上の方です。

つまり先祖代々仏教信者って事になります。


あるとき、葬式や法事などで、お寺の和尚がきてお経を唱えるているのを聞いて思った・・・。

お経の内容、サッパリ解からん

今は解らなくても、死ぬと(自然に)理解できる様になるものなのでしょうか?!

(漢文なので、漢字を追っていくと「まぁなんとなく」雰囲気的なものは伝わってくるものがありますが。)


しかし素人考えですが、「これ(お経)って、死者に伝えなくてはならない言葉だろうか?」って思うのです。(怒らないで聞いてください。)


私はこれまで、こんなイメージ(勝手に)持っていました。
【たとえば私が死んだとします。
魂となった私は、肉体を抜け出し、葬式で坊さんが唱えるお経を浴びているうちに、とろける様な光が体を包みこみスーッと成仏出来るようになるのだと・・・。】

迎えが
 
さらば!
 
現世! 
 
 あれ?!   嘘?
 

もし、お経の意味が理解できなくて、いつまで待っても光が差してこなかったらどうしようか?
とも思った。
こんなイメージありませんでしたか?

そう思って「般若心経」を少し勉強してみると、これまた解釈が難しい!
人によって捉え方がさまざま。

そもそも「般若経」は偉い人が漢訳した「大般若波羅蜜多経」600巻の真髄を300字に要約したものといわれているそうで・・・(よく要約できたな300字に。)

そして、般若心経を、私の簡単な解釈で言いますと、こうなります。

『お釈迦様の弟子の観音菩薩に、後輩弟子の舎利子(しゃりし)が、「般若波羅蜜多」(はんにゃはらみた)ってなんでしょう?って尋ねると、「(くう)」かなぁ~?!と答え、理解に苦しむ舎利子に「感じるものでもないし、比べられるものでもないが、たしかにすべてにあるものだから修行して悟れるようになりましょう。と観音菩薩は舎利子に言いました。
的な内容でした。(私解釈で)

さて、これを聞かされて成仏できるのでしょうか?
僕は、きっと無理です。

「え?いまさら??いまさら言われても、もう死んじゃってるし」
ってアタフタしちゃうと思います。

なにかで聞いたことがありますが、そもそも、お経を葬式で読むのは日本だけオリジナルで、お経の目的は僧侶の修行用のバイブルのようなものだそうです。

つまり僧侶が修行するにあたって、お釈迦様が昔々、文字のなかった時代に弟子に対して「こういう教えがありました。」「こんな話をしたそうです。」「こうゆう修行をしなさいねと言いました。」という事がお経には書かれているのが多いようです。(そればかりではないようですが)

お経の、あの独特なリズムも、唱え方も、お坊さん次第であり、絶対的なものでもなさそうです。
木魚、特に意味があるわけでもなく眠気防止用だとも聞いたことがあります。
(そもそもなぜ魚の形なのかというと、魚は眠らないから、という理由だそうです。)


南無阿弥陀仏の意味も「阿弥陀仏におまかせします。」という意味で、南無というのは、サンスクリットのナマス、あるいはパーリ語のナモの音写で、意味は帰依や帰命となるそうです。
阿弥陀も、アミターバ(限りない光)アミターユス(限りない生命)という2つの言葉からできている音写だそうです。
つまり、当て字なんだそうです。

漢字の意味を考えても、わからなくて当然っていう、お経もあるって事です。

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以前、宮崎県で妻の祖母の葬式に出ましたが、同じ内容のお経なのに、お経のスピードが、木魚のビートが、速い事!あっという間に終了するんです。
こっちだと「は~~~んにゃぁ~~は~ら~み~~~た~~じぃ~」ですが、
宮崎だと「はんにゃっ はぁらっ みったっじ」でした。^^
きっと、農業とかで忙しい地域だったので手短にしているのかもしれません。


それにしても・・(これを言うと妻が凄く怒るんですが)

宮崎の葬儀、静岡の葬儀と違う点が多くてビックリしたんです!
(しきたりなのか?たまたまなのか?わからないです。1度しか経験してないので)
たとえば・・・
・葬式に集まった親戚衆は、突然爪を切り始め、棺の中に入れていく。
(死者が、旅路の途中で水を飲むのには親族の爪が必要になるからだ。そうです。)
三角巾みたいなのは付けない。
葬儀屋は用意してくるので棺には入れていた。)
ワラジではなく使い慣れた靴を入れる
(歩きやすいから)
火葬場には「お嫁さん」にあたる人は行かない。親戚も友人も基本行かない。
(行くのは喪主と子孫など。)
(葬式に来た方に食事を振る舞っている途中で喪主は挨拶をすませ火葬場に行く。
喪主が火葬場から帰ってくる前にお開きになっている。)

火葬場では、赤い着火ボタンが焼却炉の入り口に付いており、「押す方は~?」と係員に尋ねられ喪主が「ハイ!」っと手を挙げ、「どうぞ!!」というやり取りがあった。
火葬が終わり、骨になって出てくると係員がこう言った。「骨壺には全ての骨は入りませんので、形の大きなものをいくつか選んで入れてください、最後に頭蓋骨を入れるスペースを残して下さい。そして残った骨はこちらで処分します。」とのこと。
(私は聞いてみました。「残った骨はどうなっちゃうんですか?」と。すると、「他の方の骨と一緒にして、適正に処分するから、後で返してと言われても返すことはできません。」とのこと。)

【静岡県西部では(だけ?)、最後に係員が素手で綺麗に遺灰をかき集め、残る事がないように骨壺の中に(頭蓋骨などは上から押して砕く)しまうので、その違いにビックリした。

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(少し脱線しましたが)つまりは、お経を聞く事で霊魂が成仏する事ではなさそうな感じです。)

密教とかだと、エイ!ヤァー!!!って呪文を唱えたり、指や手を複雑に組んだりして強制的に成仏させられるイメージはありますが・・・。

やっぱり長くなっちゃったので

②の仏教の世界観は、また次回にします。


続き