先日、長女のピアノ発表会があった。最初楽譜が決まったときは、絶対この子にはまだ難しすぎる、と思ったけれど、何度も何度も練習を重ねるうちに、直前になってブレイクスルーが起き、苦手だった速弾きの部分もほぼ完ぺきに弾けるようになり、本番は一か所ちょっとミスっただけで、とても上手に弾けた。
率直に子供ってすごい、偉い。と思ったのと同時に、やればできるもんだ、親が子供の可能性を決めつけてしまってはいけない、と学んだ。
その後、通常レッスンで練習する教本の曲が、「めっちゃ簡単。」だと娘は言っていた。そりゃそうだわな。
譜面もあまり読めなかった娘でしたが、発表会以来、すらすら読めて自力で弾けるようになったし。
人間って、特に子供って、易しいものから丁寧にひとつひとつ噛み砕いて、教えて、積み重ねて、完璧にしてから、また教えて、積み重ねて・・・ってやるよりも、難しいものをばーっと、まずやってみて、全体像に浸かって、それから易しいものに戻ると、すっとわかってしまうものなのかもしれない。
これってまさに私の信じるBBメソッドの「全体から個へ」だよな。「いいかげんが好い加減」も。
最近知ってヒントをいただいている、ウザワシステムの「難しいものをいい加減に、それから易しいものをしっかり学ぶ」にも通じるものがある。
そもそも、日本語でも子供たちは容赦なく難も易もごちゃまぜに、日々浸って暮らしている。そうやって使えるようになった言葉を、学校でしっかり学び直していく。
子供がひらがなカタカナ全部覚えてから、大人が絵本を読んであげます。という日本人はいない。ひらがなが読めなくたって、大人はどんどん絵本を読んであげ、どんどん文章で話しかけてあげる。子供が完全に理解していようがいまいが関係ない。ざっくりわかっていればよいのだ。
そんな当たり前のことを無視して、一般的な英語教育は真逆なことを平気でやっている。ABC~Zの文字と音をしっかり覚えたら、単語を読んでいきましょう。単語が読めるようになったら、文を読んでいきましょう。きちんと丁寧に、積み重ね方式で教えて教えて、覚えているかチェックして・・・それではいつまでたっても全体像が見えないではないか。
日本語でも英語でも何でも、子供だからといって、易しいものに限定する必要はないのかもしれない。新聞でも文学でもスポーツでも、良質なものであれば、どんどん触れていけばよいのだ。
私自身の語学に関しても、このやり方でやってみよう。