明日は大晦日。あっという間に今年も終わる!

 

なえだて、じょさねな〜(なんとま、簡単に時は過ぎるね)

 

令和元年の今年は今までの音楽人生でも

 

シンガーソングライターとしてデビューした平成元年に続いて

 

いやそれ以上に大きな動きがあった年でした。

 

去年、たまたま思いつきで作った山形弁ラップ

 

「かえずのながさはえずばへっで」が山形県内で大ヒットしてしまったことで

 

僕の人生は大きく変わりました。

 

 

 

昨年の夏にリリースしてからYBC山形放送ラジオでヘビーローテーションしていただき

 

今や山形では誰もが「あ、あの山形弁の曲ね!聴いだごどある!」という状況になりました。

 

1989年に、当時ある種のブームとも言えた、ブルース・スプリングスティーン系のシンガー・ソングライター(日本では、浜省・尾崎豊などがその代表と言われていた)としてデビューして

 

その10年後には何故かウクレレ・プレイヤーとしての活動を開始。

 

時代的に、スプリングスティーン的なスタイルが急激に古くなっていたタイミングなので、

 

「岩男君、うまくやったよね」

 

とよく言われたんだけど、本人としてはホントにたまたまだった。

そして今回の、山形弁シンガーとしての流れ。これもホントにたまたまなんです。

ずっとあまり帰ってなかった故郷にゆっくり帰る機会があって、

若者の間から方言が全く!なくなっていることに衝撃を受けて作った山形弁ラップ。

まさかこんなにウケるとは思いませんでした。

 

僕らのご先祖様が、ずっと喋ってきた言葉、サウンドが今まさに失われようとしている。

時代の流れで仕方がないのかもしれないけれど、途轍もない淋しさを感じました。

ロックだジャズだボサノバだハワイアンだと、外国の音楽ばかり追いかけて来た僕にとって、

久しぶりに聴く故郷の言葉は「音楽」に聴こえた。

 

方言は、明治時代に東京のコトバをベースに

政府によって机の上で作られた「共通語(標準語)」にはない、

複雑な表現、深い音色を持っている。グルーヴを持っている。

ハワイのルーツを勉強するよりも、まずは自分のルーツだ。

僕は強く強くそう思ったのです。

 

ウクレレプレイヤーとして海外で演奏した時も

打ち上げなどではそれぞれの民族音楽を披露したりする機会が多かったけど、

僕は「イパネマの娘」なんかをやるしかなくて(苦笑)

なんだがなぁ?といつも思っていた。僕ももうあと5年で60歳になる(現段階では、もう4年ない)。


残された音楽人生、もう外国の音楽ばかり追いかけるのはやめて

「自分のルーツを追求しよう」と思ったのです。

 

そして完成したのが全編山形弁によるアルバム「山形魂」でした。

 

 

 

まさか、そのまま湘南から山形に移住することになるとはね(笑)

 

音楽だけじゃなくて

 

ルーツと繋がっていないものは弱い。

 

何を自分の柱とするか?

 

今は、日本自体がグラついている、とも言えるよね。

 

 

歌は標準語でも山形弁でも英語でも良いし、ラップでも良い。

 

音楽じゃなくても文章でも喋りでも良い。

 

楽器はギターでもウクレレでもピアノでもなんで良い。何もなくても良い(笑)

 

僕にとって大切なのはツールじゃなくて、表現者としての自由だ。

 

思えば、「ウクレレ」という小さな世界に自分の表現を閉じ込めていた時期は

とっても不自由だったような気がする。

 

「ウクレレで何が出来るか」

 

を考え続けているうちに、ある時

 

「ウクレレで出来そうな事しか思いつかなくなっている」

 

自分に恐怖を感じたんだ(苦笑)。それは表現者としてはヤバイよね。


「ウクレレで何が出来るか?」


じゃなくて、


「自分には何が表現出来るのか?そのためには何が必要なのか?」


って事だよね、表現者としては。

 

表現者であるならば、表現を道具で縛ってはいけない。趣味で楽器をやってるんじゃないからね。

 

今は一応「シンガー・ソングライター」と名乗ってはいるけどさ、

 

その時点で肩書きに囚われて不自由になってしまうからね。

 

僕は本当はシンガー・ソングライターでもウクレレプレイヤーでも、ミュージシャンでさえない。単なる表現者さ。

 

でも今の時代、誰もが表現者なんだけどね。

 

僕は生きていて、日々何かを感じて、たまたまそこにあったもので日々表現を続ける。

 

それだけの事さウインク

 

来年もよろしくお願いします。