55歳になりました

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本日、9月21日、ワタクシ山口岩男は無事55歳になりました。

 

2018.8.26 横須賀「Yonger than yesterday」にて。写真・小山雅嗣

 

 

毎年淡々と歳をとっていく誕生日だけど、今回は僕にとって特別な意味がある。

それは……母親が亡くなったのが55歳だからだ。

そう、この1年で母親の歳を超えてしまうんだ。

母親が自分より年下になってしまうなんてね(笑)。

 

生まれて二日目の写真。ということは、昭和38年9月22日の写真だね。

 

 

まんまるだ(笑)。

 

母に抱かれている写真。

 

 

ここは、天童・三日町の木村医院というところ。もう今はないです。

 

誕生日のたびに、特に50を過ぎるといつもこんな風に思う。

 

そもそも、なぜ僕はこの世に生まれてきたのだろう。

今日ここまできたのは、無数の選択の結果だ。

それらは正しかったのか?

 

人生に起こる全てのことは必然であり、意味はあるのか?

それとも、すべてはブラウン運動のように意味はなく、

偶然に過ぎないのか?

 

そして……

 

僕はいつまで生きるのか。僕にも必ず訪れる「死」は、いつ、どのような形で訪れるのか。

 

その時僕は、いったい何を思うのか。

 

 

……ま、あんまり考えるとドツボにハマるので、適当なところで、

 

「今日のお昼は何を食べようかな?」

 

みたいに思考を切り替えるんだけど(笑)。

 

 

今急に思い出したんだけど、

そういえば、それらの疑問の答えになるような、

こんな出来事があったんだ。

ホントの話だよ。

 

僕が二度目の離婚をして、失意の中、

川崎の武蔵新城という小さな町で一人暮らしを始めて

3年目くらいの時だったかな。

僕がなぜ、武蔵新城という下町を選んだのかは、

僕の本から引用します。

 

……離婚の手続きも終わり、僕は家を出ることになった。場所はどこでも良かったのだが、以前住んで馴染みがあり、暮らしやすかった川崎市高津区近辺で検索した。高津区は多摩川を渡ればすぐに東京の世田谷区で、30分もあれば渋谷に出られるし、家賃も都内に比べればずいぶんと安い。駅から10分以内で家賃10万円前後の条件で検索したら、一番最初に南武線の武蔵新城という町の新築アパートが見つかった。昔ながらの下町である。駅から7分ほどで、家賃は11万円。しかも駐車スペースは無料。1人暮らしにしてはちょっと高いと思ったが、駐車場つきは魅力だ。車は手放してしまっていたが、いずれ必要になるだろう。

 

「武蔵新城か……」

 

僕は運命的なものを感じて、実際に部屋も見ずに、図面だけで即決したのである。なぜなら、44年前、僕はこの町で暮らしたことがあったのだ。生まれてすぐのことだから、記憶はない。当時、ともに山形大学教育学部を出た僕の両親は、地元では新卒教員の空きがなく、人口が急激に増えて教師が不足していた川崎市の教員採用試験を受けて、父は川崎市中原区の中学校、母は同じく中原区の小学校に就職したのだった。南武線沿線は工場地帯であり、当時は高度成長期で人口が激増して学校もどんどん増えていたのである。2人が結婚して住んだのが武蔵新城で、母はこの町で僕を身ごもったのだった。出産時、母は山形に帰ったので僕は山形生まれだが、生後1ヶ月ほどで川崎に連れて来られて、以後数年はこの町で育った。僕の面倒を見るために父方の祖母も来てくれて、大人3人に赤ん坊1人が「風呂なし、共同トイレ」の四畳半アパートで暮らしたのだ。

 

(山口岩男著・『「うつ病」が僕のアイデンティティだった~薬物依存というドロ沼からの生還 』から引用)

 

 

 

 

 

僕は生前、母親に武蔵新城時代の話はよく聞いていた。僕が赤ちゃんの頃にいたというアパートの場所もなんとなく聞いていた。

 

「駅から伸びる、商店街をちょっと歩いた、銭湯の近く」

 

ってね(笑)。これじゃ、全く分からないけど。

 

 

引っ越してから、僕は駅から続くアーケードの商店街を散歩するたびに、

 

「僕がいたアパートはどこだったんだろう?」

 

ってよく考えたんだ。わかる訳ないけどね。

 

で、ある日のこと。

 

僕の母はクリスチャンだった。で、葬式は普通に浄土真宗の仏式でやったんだけど、

火葬の時にクリスチャンのお仲間が集まってくれて、賛美歌を歌ってくれたんだよね。

 

「いつくしみ深き」

 

という歌だった。僕は知ってはいたけど「きれいな曲だな」と思ってウクレレにアレンジして、その後CDにも収録してる。

 

 それで、ある日、今の奥さんと結婚した後に、二人で武蔵新城の駅近くを散歩していたら、教会があった。

一人の時に、何度も歩いていた道だけど、教会の事は気がつかなかった。

僕の母親はクリスチャンとは言っても、無教会系の宗派だったので、

カソリックの教会とは無縁だったはずだけど、何の気なしに入ってみたんだ。

 

「こんにちは〜」

 

と能天気に入っていった。

 

「たまたま通りかかったものですが……僕は赤ちゃんの頃にこの辺に住んでいたらしいんですが、母がクリスチャンだったものですから、何となくご縁かな、と思って入ってみました。ちょっと見せてください」

 

とか言ってね。

 

そしたら、立派なグランドピアノが置いてあった。

 

僕は何で急にそんなことを言ったのか分からないんだけど、

 

「ピアノ弾かせてもらえますか?母の好きだった(らしい)、賛美歌を歌わせてください」

 

と申し出た。

 

「はぁ、どうぞ……」

 

と教会の人はちょっとびっくりしていたけど、僕はピアノに前に座り、蓋を取って、

 

「いーつくしみふかぁーきー、友なるイエスはぁ〜♪」

 

と歌った。自分でも、何でそんなことをしたのか、分からなかったが、とにかく歌ったのだった。

 

結婚したばかりの妻と、スタッフの女性二人だけが、「キョトン」として聴いてくれた。

 

歌い終わると、

 

「ありがとうございます。失礼しました」

 

と僕たちは教会を出た。

 

 

僕たちはそのまま商店街の、アーケードの方に歩いて行った。

商店街のスピーカーからは、ダサいBGMが流れていた。

よくスーパーなどで流れている「歌のない歌謡曲」みたいなヤツだ。

 

僕らがある場所を通りかかった時、急に曲が変わった。

 

それは何と、さっき歌った「いつくしみ深き」だった。

 
この商店街にはいつもBGMが流れているけれど、
いつも少々古いヒット曲がダサいアレンジのインストゥメンタルで流れていた。
それがなぜか、この瞬間賛美歌に、
それもさっき教会でとっさに歌った、「いつくしみ深き」に変わったのだ。
 
僕は、
 
「ああ、ここだったんだな」
 
と思った。そう、このアーケードが切れる角の、この辺りに僕たちが暮らした、
「四畳半風呂なし」のアパートがあったんだ。そうに違いない。
 
「あなたが小さい時に少しだけ暮らしたアパートは、
そう、今あなたが歩いているそのあたりだよ」
 
って、母親が教えてくれてる。
僕にはもう、そうとしか思えなかった。
お母さんが来てる、と。
 
僕たちはその後、近くの古くからある小さなジーンズショップに入った。
かなり昔から商売してそうな店で、ジーンズショップになる前は、
洋品店かなんかをやっていたような風情がある。
ここで訊けば、何か分かるかもしれないと思ったのだ。
 
 店に入ると、レジに座ったおばさんが何と、タバコを吸っていた(笑)。
狭い店内は、思いっきり煙くなっている。禁煙が進む今では考えられないが、
この時は2010年である。この時点でも、すでにありえない昭和な光景だった。
 
やっぱり、ここは川崎の下町なんだと苦笑しながら、
僕はおばさんに事情を話して、この辺に昔、昭和40頃、銭湯はなかったか?と訊いた。
 
客が店に入って来たというのに、タバコを消そうともせずにおばさんは答えた。
 
「…ああ、そこに銭湯はあったよ。20年くらい前になくなったのかな?」
 
「もしかして、このアーケードを左に歩いて、
アーケードが切れて左の角くらいの場所ですか?」
 
「ああ、そうそう、そこ。あそこの角に銭湯があったよ」
 
僕は確信した。そうか、あの銭湯が、僕らが通っていた銭湯に違いない。
母親は、時空を超えた不思議な力でこの商店街の有線放送に、
あの瞬間「いつくしみ深き」を紛れ込ませて、僕にそれを教えてくれたのだ。
確かめようのない、不思議な事は自分に都合よく解釈してしまえばいいじゃないか。
僕はそう思うことで幸せな気持ちになれるんだから、それでいい。
 
 
何も買わないのも悪いな、と思った僕は黒いバンダナを一枚買って店を出た。
 
もう3年もこの町に住んでいるのに、どうして僕は今日、あの教会を見つけたんだろう。
そして、なぜ急に中に入って、「いつくしみ深き」を歌ったんだろう。
 
 
そして、やっと気がついた。
 
あれは、結婚式をあげなかった僕たち二人に、母親が用意してくれた結婚式だったのだ、と。
 
僕と妻と、たまたま応対してくれて、一緒に賛美歌を訊いてくれたスタッフが立ち会い人の、三人だけの結婚式。
 
あ、違うね。4人だ。
 
見えないけれども、そこには智子さんがいたのだ。母の名は、智子。
 
 
このことがあってから、僕はこう思っている。
 
現在も過去も未来も、すべては繋がっている。
命は永遠であり、それは自由に時空を超える。
僕たちはいつも、見えない大きな愛に守られている。
魂を磨くために与えられる試練に日々立ち向かいながら、
僕らは愛を学び続けるのだ、と。
 
偶然なんてないんだよ。
僕らはたまたま生きているのではないんだよ。
 
最後に、僕の大好きな「インド独立の父」ガンジーの言葉を紹介します。
 

「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい〜ガンジー」

 
 
昭和39年頃、川崎市・武蔵新城にて、父に抱かれる僕。ボンネットバスが時代を感じさせます(笑)。