ある日、敬愛する北原照久兄より電話があった。

 

「ガンちゃん、こないだ作詞家の売野雅勇さんに会ってさ。

 

妙に気が合っちゃって、その日から「ウリ坊」って呼んでんだけど(笑)。

 

今度ウチに遊びに来るからさ、ガンちゃんも来ない?」

 

えー、あの売野雅勇さん!?作詞家の大先生を、

 

会ったその日に「ウリ坊」って呼んじゃう兄貴もスゴイんだけどさ(苦笑)。

 

 

 

売野さんといえば、パッと思い浮かぶだけで、

 

中森明菜の「少女A」、チェッカーズの「涙のリクエスト」

 

をはじめとする一連の作品、

 

郷ひろみの「2億4千万の瞳」、ラッツ&スターの「め組の人」などなど。

 

 

 

そして僕にとっての売野作品といえば、

 

なんといっても稲垣潤一さんの「夏のクラクション」だ。

 

この曲が発売されたのは1983年の7月21日だから、

 

僕はまだ19歳。あとちょうど2ヶ月でハタチの夏。

 

大学をやめて、一時期山形の実家に帰って悶々としていた時期である。

 

そんなある日、ラジオから流れてきたこの曲は衝撃的だった。

 

 

 

「海沿いのカーブ」「白いクーペ」

 

どちらも大学をやめて全く金もなく、

 

山形の実家で数ヶ月、フラフラとしていた僕には全く縁のない世界だったが、

 

稲垣潤一さんの透き通った声で歌われると、

 

目の前に一度だけ遊びに行った湘南の景色が広がった。

 

そう、昨年の夏、僕は当時の彼女と、

 

数年前に亡くなってしまった親友のケンイチと、

 

その彼女ジュンコと4人で、湘南に出かけたのだった。

 

 

 

鎌倉で降りて鶴岡八幡宮に行き、

 

大仏を見て、江ノ電に乗って海にも行ったのだった。

 

 

 

「夏のクラクション」には、

 

どこにも「湘南」という言葉は出てこなかったけど、僕は、

 

 

「この歌は、湘南の歌だ」

 

と確信した。

 

 

 

そしてなんとなくだけど、

 

「将来は湘南に住むんだ」

 

との想いを持ったのである。

 

 

 

それからちょうど30年後の2013年、

 

僕は遂に湘南・茅ヶ崎に引っ越した。

 

夏のクラクションのことはすっかり忘れていたが、

 

ある日、この歌が頭の中で勝手に鳴り出した時があった。

 

 

 

葉山のレストランに出かけて、

 

帰りに国道134号線を茅ヶ崎方面に走っていたときのこと。

 

七里ヶ浜のところに、Pacific Drive-Inという海に面した店がある。

 

ここを通り過ぎるときに、頭の中に「夏のクラクション」が流れたのだ。

 

 

 

その時僕は確信した。

 

夏のクラクションに歌われている景色は、ここのことに違いない。

 

カーブというほどのカーブではないけれど、

 

そこは作詞家だ、多少の演出はあるだろう。

 

白いクーペはHONDA S-800だ。

 

時代が違うけど絶対そうだ。そうでなければならない。

 

ユーノス・ロードスターも好きだけれど、発売開始が1989年だから時代が合わない。

 

だから僕が一番好きなHONDA S-800にさせてもらうんだ。

 

 

 

僕は運転に支障のない範囲で海を眺めながら、

 

しばらくの間頭の中に流れる「夏のクラクション」を楽しんだ。

 

そしてこのとき気がついた。

 

 

 

僕の大好きな夏のクラクション。

 

一度もレコードもCDも買ったことがなかったのだ。

 

ラジオや有線で何度か聴いて覚えて、

 

あとは頭の中で再生していつも「いい歌だなぁ」と楽しんでいたのだ。

 

ラジオにリクエストして、ジュークボックスでかけてもらって……自分ではレコードを持っていないなんて、まるで60年代のポップスの聴き方みたいだ。悪くない。

 

僕はラジオで流れ、街に流れるヒット曲を聴いて育ったんだ。

 

持ってなくても、好きな曲、歌詞を全部覚えてる曲がたくさんあるもん。

 

 

 

僕は売野雅勇さんにそんな話をして、

 

「ホントはどこなんですか?」

 

と訊いてみた。

 

 

「あれはね、葉山の長者ヶ崎のあたりなんだ。

 

あそこ、ちょっとカーブしてるでしょ?

 

音羽の森っていうホテルがある、あの辺りかな」

 

七里ヶ浜じゃなかった(笑)。

 

続けて恐る恐る、一番気になっていたことを訊いた。

 

 

 

「じゃ、白いクーペは?」

 

 

「あれはね、サンダーバードなの。

 

ちょうど、アメリカン・グラフィティを観たあとだったから。

 

乗ってたのは、白いベンツのクーペだったんだけどね」

 

これも違った(笑)。

 

違ったけど、僕の中の「夏のクラクション」は七里ヶ浜であり、

 

登場する白いクーペは、HONDA S-800のまま変更しないことにした。

 

 

 

しばらく話しているうちに、売野さんが突然僕にこう訊いた。

 

「なんで、ガンちゃんっていうの?」

 

北原さんは僕のことを「ガンちゃん」と呼び、売野さんに紹介するときも、

 

「彼はね、ガンちゃんっていって、

 

ギターとかウクレレとか弾くミュージシャンなの」としか紹介しなかったので(笑)。

 

 

僕は答えた。

 

「僕、名前が岩男っていうので、昔の友達にはガンちゃんって呼ばれてるんです。

 

岩石のガンです。

 

で、ある時北原さんに「イワちゃんって呼んでいい?」って訊かれたので、

 

「あ、だったらガンちゃんでお願いします」ってお願いして、

 

ガンちゃんになったんです」

 

 

 

売野さんの表情がちょっと変わった。

 

「……もしかして、君は山口岩男?」

 

「はい」

 

「えっ、僕、山口岩男知ってるよ!CD持ってるもん」

 

えー!!!ビックリ。売野雅勇が、僕のCDを持っているなんて。

 

「昔、コロムビアレコードのディレクターに、デビューアルバムをもらってさ、

 

その後、セカンドアルバムもらったから二枚もらって。

 

その後のアルバムは自分で買ったこともあるよ」

 

えー!今年最大のビックリ。

 

 

 

僕はその場で、持っていたiPadでジャケット写真を検索して見てもらった。

 

デビューアルバムの「開戦前夜」と、2枚目の「I Believe…」を見せたら、

 

「そうそう、この2枚」

 

と言ってくれた。

 

 

 

 

 

「僕は山口岩男、すごくイイなと思って、注目してたんだよ」

 

なんてこった!これは、奇跡だ。

 

 

 

その日は午前中から夜9時ごろまで、10時間も売野さんと過ごさせてもらった。

 

いつもニコニコしていて、多くを語らない方なんだけど、売野さんと同じ時間を共有し、

 

同じ風景を見て過ごす時間は僕にとってこの上なくPreciousだった。

 

 

 

その日の夜、売野さんからLINEでメッセージをいただいた。

 

「山口岩男だとわかったときは、ドキドキしました」

 

大先生が何をおっしゃる(笑)、

 

と僕は恥ずかしくなってしまったけど、ホントにピュアな方なんだ、と思った。

 

 

 

僕は1982年の夏に一緒に鎌倉に行った彼女と後に結婚し、そして別れた。

 

一緒に行った親友のケンイチは数年前に肺ガンで亡くなった。

 

ケンイチの彼女だったジュンコとは、数年前に連絡が取れ、

 

一緒にケンイチのお墓参りに行った。

 

ケンイチとジュンコはあれから数年後に別れて、

 

ケンイチは別の女の子と結婚した。

 

ジュンコは、ずっと独身のままだった。

 

 

 

初めて「夏のクラクション」を聴いた夏から、

 

35年目の夏に売野雅勇さんにお会いした。

 

すべての出来事はつづれ織りのように繋がっていると感じる瞬間がある。

 

売野さんとの出会いは、そんな瞬間だった。

 

 

 

僕は来月、55歳になる。

 

僕の人生のサウンドトラック。

 

夏の終わりにはいつも「夏のクラクション」が流れていた。

 

1年に四季があるように、人生にもまた四季がある。

 

僕の人生は「春夏秋冬」の今はどのあたりなのか。

 

夏の終わりに人は敏感だ。ちょっとした風の冷たさや、

 

雲の様に秋の気配を感じてしまう。

 

夏のクラクション。

 

僕は今、何を呼び戻そうとしているのか。

 

このカーブの先には、何が待っているのか。誰と会えるのか。

 

一番会いたい人は、もう二度と会えないとわかっている人だったりする。

 

 

そして僕は、もう会えない誰かに聴こえるように、

 

そっと夏のクラクションを鳴らすのさ。

 

 

 

そしてこの日、とてもレアなエピソードを聞いちゃいました。

 

なんと、「夏のクラクション」を書いた翌日に、

 

「涙のリクエスト」を書いたんだって。信じられる!?

 

 

 

北原邸の2階から