プロ野球チームの監督が暴行事件で逮捕されて監督を辞任したという報道が出た時、私はチーム内の話かと思い興味を持たなかったが、知れば知るほど違和感が強くなり、これが日本の国家政策の特徴だと気が付き、特に妻に子を連れ去られてわけのわからないうちに離婚手続きが進んでいる夫やその家族に、これは自分のことなのだということを知ってもらいたくて緊急で記事にする。
テレビやSNSの論調は、児童相談所に相談しようと電話した娘に対して自業自得であるという非難が少なくないようだ。いや、冷静に考えてそれはないはずだ。喧嘩で熱くなっている娘が、誰かに相談したくて電話をしただけで、あれよあれよという間に警察が来て、自分の父親を逮捕し、それがマスコミにさらされて、父親が職を失うということを、どうして18歳の人間が想定できるだろうか。法律では成人になっても、18歳は18歳だ。そこまで考えられるはずはない。児童相談所の事件を担当しなければ弁護士でさえそんなことは想定できないはずだ。児童相談所に相談のために気軽に電話をしてと言われたら、「自分の憤り、理不尽な思いを聞いてくれるのだろうな。」と思って相談したくなるはずだ。それが普通だと思う。その相談を持ち掛けることを責めて、その後の家族の全損害の責任を押し付けるのは、これから述べる今回の事件の本当の理不尽や国の政策の不合理から目をそらすための意図的な行為ではないかとさえ感じる。
①子の連れ去りからの離婚システムとの共通点
突拍子もないことを言い出したと思われるかもしれないが、偶然の話ではなく、この国の政策の姿勢を象徴した事件なので、特に連れ去り被害に遭っている人たちには理解だけはしてほしいことである。
今回、マスコミの御用コメンテーターは、児相と警察の連携について、子どもの命を守るためには、これくらい迅速に事を進めることは間違っていないとコメントをしているようだ。いやそのコメントこそ間違っている。
人間どうしの対立は、どちらかの味方をすることはどちらかと敵対することになる。国家がどちらかを味方することはどちらかの人権を侵害する危険があるということを意味する。それでもマスコミの作り出した世論に乗っかって、命を守るために他方の人権が侵害されることは気にするべきではないと声高に叫んでいる人間もいる。冤罪を厭わない風潮であり、本来なら弁護士会は猛抗議をするべきであるが、寡聞にして聞かない。
いやしくも国の政策であるならば、他方の人権にも配慮して事を進めなければならないはずだ。憲法があるということはそう言うことだ。9条だけは守るべきだけれどそれ以外の憲法は知らないでは、憲法擁護なんて政治的主張にすぎなくなる。
今回の問題は、児相が緊急性をどの程度判断したのかということが問われなければならない。虐待があるならすべて警察通報して警察に処理させるということであれば、児童相談所という児童の福祉に専門的な機関なんて意味がなくなってしまう。また、子どもは嘘をつく。それが将来どうなるかを考えないで、その時のノリや感情で話を作ることは子どもの特徴である。そう言う未熟なものだから保護の対象になるはずなのに、その未熟な子どもの発言があれば、その発言に子ども自身が責任を持たなければならない、自己責任であるということでは児童福祉の目的と逆行することになる。
少なくても私が弁護士として相談を受けたり、訴訟を担当している案件だけでも、かなりの数の親子が、子どもや「自称子どもの味方」の不正確な情報提供で、未来永劫の別れを余儀なくされている。ひとたび隔離されれば高校卒業まで隔離され続ける。児童養護施設と私がタッグを組んで、親子の再生を図ったが、子どもは罪悪感があり、親は怒りがあるため、再生にはなかなか苦労した。児童養護施設の親身な気遣いと合理的判断が大きかったため、私の担当した親子は同居に至った。通常ならば、子どもは親から離れようとするだろう。
①今回の児童相談所の行為の特徴は、被害者の言うことを真実だという前提を置いて次の行為に出るというところが第一である。
②次の行為とは、被害者と加害者の隔離である。これを強制力を持って、しかも加害者の弁明を抜きに話を進めることである。DV問題でも、立件できもしない容疑で逮捕して、夫婦の隔離を進めることが多くある。
③最後に、間違いがあってもだれも責任を取らず、当事者、特に子どもが不利益を被って終わりになる。
日本のDV政策と共通していることに気が付いたと思う。夫が主たる要因でなくて妻が精神的に不安定で、市井の夫婦ならどこにでもある妻の夫に対する不満をDV相談所にしたところ、あれよあれよという間に妻はシェルターに入れられて隔離され、気が付けば保護命令を申立て、法テラスの弁護士と契約させられ、離婚調停が申し立てられている。私は、これは妻の自業自得とは思わない。制度に問題があると思っている。また、最大の被害者は一方の親と隔離され、一方の親を悪いイメージで塗り固められ、その子どもである自分に自信を持てなくなる子どもである。妻も、そのシステムに乗って離婚したけれど、何も幸せにならないとハタと気が付く。こんなはずではなったとDV相談所に抗議をしたところ、「離婚をしたのはあなた自身の判断です。」と言われたという人権相談を人権擁護委員なら何度も聞いているはずだ。
虚偽児童虐待の問題と、DV隔離政策は根が一つだということに気が付いてほしい。また、被害者の証言で司法が大混乱したのは20世紀末のアメリカの記憶論争(Wikipediaでは「虚偽記憶」)をぜひ参考にしてほしい。司法に関わるものであれば、エリザベス・ロフタスの「抑圧された記憶の神話」等の著作を読むべきだと思っている。(翻訳家の功績だと思うけれど、本自体読み物としても面白い。)
子の連れ去りの被害者だと感じている当事者は、制度を批判するべきであり、監督の娘を批判することは自分の首を絞めることになるということに気が付いてほしい。
②警察とマスコミの人権意識
本件で最も不可解なことは、監督が逮捕されて警察署に連行されるときにマスコミのテレビカメラが隊列を組んで待ち構えていたことだ。当然、警察からオールドメディアに連絡があったということだ。しかも、一介の警察官のリークではなく、それ相応の役職の人間のリークである。そうでなければわざわざマスコミの隊列に被疑者をさらすようにカメラの前を通って警察署に入れないだろう。そもそも逮捕が必要な案件なのだろうか。疑問が半ばを過ぎる。
彼は、まさしくさらしものにされた。
そもそも事情聴取を任意で行ってもよい案件のはずだ。仮に逮捕だとしても、マスコミに通報する必要性のない事案であることは明らかだ。本件のようにちょっと話を聞けばわかることなのに、先ずはマスコミにさらして世間にさらすという儀式を優先させたことになる。
そこに父の人権に対する配慮はみじんも感じられない。そればかりではなく、児童に対する配慮も感じられない。自分の父親がマスコミによって、逮捕された姿を全国にさらされた子どもの精神的な問題は全く考慮されていないのだろう。
私の担当した虚偽DV(裁判所で虚偽であることが認定されている)の案件では、父親の娘に対する暴力ということで暴行罪でやはり逮捕勾留された。そのニュースは全国的に報道された。しかも、父親の住所、即ち子どもの住所も番地の前まで報道された。さらに単に父親が娘に注意したという案件にもかかわらず、日常的な性的虐待の有無を調査していると、あたかも性的虐待があったような報道がなされてしまった。食堂でそのテレビ報道を見ていて唖然とした。他の客はその父親は小学生の娘に性犯罪をしたとんでもない極悪反だと罵っていた。そんな事実は一切ない。しかし、その娘は、住所まで特定されたため、今まで通っていた小学校への通学を断念せざるを得なかった。
これが警察とマスコミの人権感覚である。児童福祉を配慮よりも別のなにかを優先させたことは間違いない。児童虐待を制裁するようなポーズをとりながら、その実は、当該児童への配慮なんてなされていないのである。性加害の被害者の人権に配慮して詳細を語らないテレビ局も(それはそれでよいと思うが)、子どもの虐待に関しては子どもの人権には配慮しないということだ。
最後に、今回の案件で、児童相談所、警察、マスコミのスクラムによって、国民がまざまざと知ることとなった真実があり、以下のように整理できる。
1 児童相談所にうっかり電話をして相談をすると、自分にそのつもりが無くても、父親が警察に逮捕されて、世間にさらされて失職することになること。
2 そうして、広く報道される結果、世間からは児童相談所に相談した自分の行為をよってたかって非難されて、容赦されないで攻撃されること
3 警察が逮捕したからと言っても、事実関係は必ずしも確定したものではなく、被害者とされるものに盛った話に基づく可能性があること
4 有名人になれば、不確かな情報でも逮捕され、世間にさらされて、名誉回復の方法が無いこと
等である。
これで、ますます児童相談所に相談する児童は少なくなり、子どもだけでなく、妻も夫もその親たちもは家庭内の暴力をひた隠しにするようになるだろう。うっかり相談したら、働き手が失職して生活の基盤がなくなり、世間から罵倒されるからである。
本当に最後に一言。新聞社や球団は、このような家族分断政策の本質をよく見て、監督の辞職を撤回させるべきだと思う。署名活動も起きているらしい。署名に賛同する理由はまちまちだと思うが、監督復帰をさせなければ、日本はますます家族分断を進め、家族間での疑心暗鬼がはびこり、家庭が安心できる場所でなくなっていく危険があると思う。