離婚手続きで、なんだかよく分からない理由で離婚を申し立てるケースの多くで、離婚請求をする方がこのようなことを感じているようだということと、他方がそれをする原因、そして相手方のストレスについて説明してみます。

 

1 人間の行動原理はやりたいことをするという単純なこと

人間の行動は、行動を開始するにあたって、様々なことを考えて、最もメリットが多くデメリットが少ない行動を考え出して、それを行動する・・・なんてことは実際はありません。思い付きで行動するという方が近いと思います。むしろ、ほとんど何も、考えるべきことを考えないで行動を開始してしまっているということがほとんどでしょう。

実際は、その状況の中で、選択肢が浮かんできて、その一番やりたいことを選択しています。選択は無意識に行われています。

 

やりたいことと言っても、人間のやりたいことは、「絶対的自己」の要求と言って命や健康を守るなど動物としてやりたいことと、「相対的自己」の要求と言って、社会や自分の関係する人間から孤立しないようにしたいという社会的存在としてやりたいこととなります。だから、一般的に人間の行動の多数は、社会秩序の中に納まって、平穏に暮らすことができるようになっています。これが本来の状態です。

 

例えば犯罪等の社会病理は、この相対的自己が機能不全になったときに生じる現象だと考えた方が、効果的な予防方法が構築できると思います。

 

さて、相対的自己と言っても、人間は様々な人間関係の中にいます。大きくは国家、社会、あるいはインターネットでの繋がりがありますし、家族、学校、職場などでの人間関係を形成しています。緩やかな人間関係とすれば、同じ道路を歩いたり、同じ乗り物に乗り合わせたり、あるいは買い物をしたり、病院にかかるなんて言う人間関係もありますね。この人間関係の中で調和的に生活し、孤立したくないということが相対的自己の要求の基本です。

結局人間は要求に基づいた行為をするわけですから、簡単に言えばやりたいことをやっているということになります。

 

2 身近な行動決定 大掃除を例にして

1)一人暮らしの場合の行動決定過程

ぐっと身近な家庭での行動決定を考えてみましょう。ちょっと頑張る大掃除をするかしないかという行動決定に至る過程を考えてみましょう。

絶対的自己の要求としては、仕事の休みが無かったし、疲れたし、今日は横になっていたいというものがあると思います。しかし、衛生面からは、家具の陰に積もっているほこりを除去したいと思うかもしれません。

相対的自己の要求は、いろいろなものがあります。前回同じ様な大掃除をしたのが2か月前だから、世間的には短期間で大掃除をしなくても体裁は悪くない(やりたいとは思わない)という要素、親がこのくらいの期間でやっていたからやはりやらなければならないのではないかという要素、これまでそんなに頻繁に掃除をしたことが無いのでやらなくても良いのではないか(やりたいとは思わない)等の要素の中から大掃除をやるという選択肢とやらないという選択肢が上がり、特に論理的な考えはなく、どれかを選択して実行するかしないかどちらかになるわけです。

これが一人暮らしなら、自分で選択してやりたいようにやればよいわけです。

 

2)夫婦の行動決定の結論と要素の不一致

問題は夫婦で生活している場合です。

夫婦で共同して大掃除を行うならば、双方の意見の一致が必要です。先ほど述べた選択を決定づける要素の中に、さらに相手の考え、ないし感情というものも大きな要素になるはずです。

 

大掃除を実行する、しないの選択を決定づける要素は、夫婦で共通している部分も全くないとは言いませんが、別々に育ってきて、別々の体験をしてきた二人ですし、体調も同じではありません。共通する部分はほとんどないと思います。だから、どちらかと言えば、どちらかがどちらかの決定を受け入れたいという行動要求があることによって事なきを得ているわけです。

 

ただ、これは、長年共同生活をすると相手の要求を受け入れたいという自分の要求は低減していくものです。前はうまくいったのにと要求を押し付けていた方は戸惑うわけです。

 

3 相手の感情よりも自分の感情を優先してしまう要素の優劣

さて、大掃除をしたい派としたくない派が夫婦の中で別れてしまいました。

どちらかが相手のやりたいことに合わせれば良いのですが、それはできにくいことです。結局、「相手の感情よりも自分の感情を優先してしまう構造的理由」という形で整理されることになりました。

 

1)そもそも要求は取り下げにくい

人間は、これまで述べた意味で、やりたいことをやっていればストレスが無かったり、ストレスを小さくしたりして生きることができます。しかし、自分がやりたいことをやらされたり、やりたいことをやらせてもらえなかったりするとストレスが生じます。突き詰めると、「自分で自分の行動を決定できない」という認識を持つと、不安になっていき、交感神経が高まり、心身に影響が出てしまうようです。

だから一度やりたいことが決まってしまうと、それを相手に合わせて変更することはストレスになります。

2)選択の際に相手の感情よりも優位に立っている要素

<しつけないし他人の意見>

自分の行動を決定する際に、他人の言うことをまねするという、同調迎合ともいう要求を持つことが多く見られます。自分の意見が無いときは特にそれが顕著です。人間は秩序があることで安心します。秩序を作るのは通常は他者で、権威がある人間です。個体差はありますが権威がある人間の言うとおりにすることで安心したいという修正を人間は持っています。あの人が言うなら間違いなしということですし、あの人がこの人をほめていたからこの人を好きになったということもよくあることです。

掃除をするかしないかの行動決定で優位にたつ要素としては、親からしつけられていたこと、掃除の権威者と言われている人の発言などでしょうか。子どもの頃にしつけられた場合は、当時の親は子どもの自分にとっては権威のある人です。権威のある人に従うことで安心できるわけです。それに反対する仲間の感情には、権威がありません。パートナーは自分と同程度のはずだという意識があるようです。だから自分達より権威がある人の意見、行動提起には負けてしまうようです。

<自分よりも弱い者を守ろうとする正義感>

弱い者を守りたいという要求は強く選択に影響を与えます。例えば子どもがいて、喘息気味だというのであれば、何が何でも掃除をするという選択になるわけです。(ただ相手だって子どもが心配であり、それでも大丈夫だと判断しているのですから、それは信頼してよいはずです。自分だけが過剰に心配して、相手があたかもまるっきり心配していないように感じているだけかもしれません。正義感というのは本当にやっかいなものです。)

<慣習>

いつもやっていることをやるということも、本人にとっては安心感につながります。これをやめさせられることはとても苦痛です。慣習は結構強い行動決定要素です。

<合理性、論理性>

こちらをするべきだと強調する方は、これをすることが合理的だと主張しがちです。またそれに対する反論が、曖昧なことだと、反対者は不合理で非論理的だから、こうすることが論理的でもあるという主張も見られます。

しかし、私はこれらの要素は本当は存在しない可能性があると思っています。つまりやりたいことをやろうとしているだけで、意見が対立したら、自分の意見を押し通そうとして「後付け」で論理的な装いをしているだけである可能性を疑う必要があるようです。

 

4 相手の感情で自分の行動決定を決められ続けた場合の心理

当初は相手の感情に寄り添うことこそが自分の要求であったので、こちらの感情で行動しなくても、それほどストレスにはなりません。しかし、それが続いていくと、無自覚に、「自分で自分の行動を決められない」という息苦しいストレスを感じてしまいます。「やりたいことをできず、やりたくないことをさせられている」という意識となり、本能的に不安を感じていくわけです。つまり、漠然とした危機感が蓄積されて生きます。

段々と、相手が、自分で自分の行動を決定するにあたっての妨害者であるという認識が高まっていきます。

この過程に暴力や脅迫は必要な要素ではないようです。もちろん、暴力や脅迫で自分の行動決定を妨害されるのであれば、その妨害過程が明白になるので、妨害者ということが明白になり、ストレートに嫌悪、恐怖の対象となります。

しかし、暴力や脅迫が無くても、理詰めの説得や感情的な反対表明等があり、「手が付けられない」、「なすすべ無し」ということが蓄積されていけば、やはり妨害者という評価が定着していき、さらには、抑圧者、支配者という評価になっていくわけです。

対して自分は、相手から行動を抑圧されている、支配され服従しているという評価に変化していきます。そうなってしまうと、相手の存在自体に反発するようになってしまい、自分の「生きること」の妨害者であるかのような敵対的感情が生まれてしまうわけです。すべての自分の行動決定を反対されてきたという記憶に変貌していくようです。

相手と一緒にいることは、自分を否定されることだという意識になってしまい、別居が始まります。その時の記憶、特に負の感情の記憶(非宣言的記憶)はなかなかぬぐえません。何があったかというエピソード記憶は負の感情の記憶に劣後するので、エピソード記憶はあまり定着していません。何があったからこういう感情になったという説明することができません。訳の分からない離婚原因は、本人すらその行動決定を説明することができないのはこういうわけです。

 

5 どうすればよいのか

1)絶対的自己としての要求は自分も相手も尊重すべし

要するに体調が悪いという場合は、それを優先するべきです。これを無視して何かを行わせたり、何かをさせないということは大きな負の感情を引き起こしやすくなります。自分でもここは主張するべきですし、相手はそれを持ち出されたら引くしかありません。たとえ、子どもを守るためであっても、そんなことは織り込み済みだけどできないという相手の主張を尊重しましょう。

2)相対的自己の要求の衝突をどう考えるべきか

行動決定をめぐって衝突しているときは、なかなか自分がどの要素を重視してその行動を提起しているか分析することはできません。特に慣習なんて無意識に行っていることなので、それをしなくてはならない理由も曖昧なものです。

とにかく自分が安心したいから自分の要求を通そうとしているということにだけは気が付いてほしいです。そうであれば、こちらの行動提起が受け入れらない場合、本当に何かの危険な事態が生じるかどうかということを、頭を使い言葉で検証することが必須です。ただ、何を考えるかで、「どちらの行動提起を選択すると致命的な損害が生じるかどうか」という問題提起で考えるべきです。そうすると、大抵は、「どっちでも致命的な問題は起きない。」、つまり「どっちでもよかった。」ということになるはずです。

そこに気が付く必要があります。気が付いたら、気が付かないよりも、自己の要求として相手の結論に従うという行動パターンに近づきます。「相手方が言い出したことだけど、二人の行動を決めたのは自分だ。」という意識を少しもてます。ストレスが少し軽減するはずです。

それから、事の重要度に関わらず、自分の要求で二人の行動決定をしてしまった場合は、先ず感謝と謝罪をしておいた方が良いと思います。そしてその次は相手の要求で二人の行動決定をすることを意識するべきです。ここで、「相手が言うなら間違いない」というリップサービスを添えて、相手方の行動提起に従いましょう。恩を着せるという言葉は抵抗があるかもしれませんが、相手が自分で自分たちの行動を決定したという印象を強めることは二人にとって後々役に立つからです。

「どっちでもよい」ことに気が付いて、「相手の言う通りにしたい」という自己の要求に発展すれば、夫婦円満、家内安全になるのでしょう。

夫婦再生のための、連れ去り妻に対する手紙・陳述書の書き方

 

目次

 ご挨拶

1 安心材料としての手紙・陳述書

2 逆効果の危険性もあること

3 心構えとして相手の心情に合わせること

4 何を書くか

5 手紙・陳述書が有効であるケースの特徴

6 書いてはだめなこと

7 心にもないことを書くことは良いのか

(心は後からついてくる。)

 

今週は、事件や打ち合わせが多く、子どもを連れて別居された当事者の方々と述べ10時間を軽く超えた時間の面談をしました。当事者の方々のお考えを聞いて考えることがありましたし、成功事例のご報告をいただくなどかなり有益な時間でした。私自身、完璧な弁護士活動からは程遠いのですが、聞きたくない弁護士の実態も耳にしました。

 

前回までの記事で、夫婦再生に一番必要なことは、相手を安心させるということだと述べてきました。その方法の一つとしての手紙や陳述書を書くということなのですが、エッセンスは既に述べていると思いますが、もう少し手紙などの作成に特化してお話ししてみます。この記事をご覧になることで、逆に前回までの記事で私が言いたかったことの理解の助けになると思います。

 

1 安心材料としての手紙・陳述書

一口に連れ去り事案と言っても、実際は千差万別です。居場所がわかる場合、分からない場合。ラインなどで連絡が取れる場合、ブロックされている場合。共通の知り合いがいる場合や相手の親族と連絡が取れる場合、全く第三者に期待できない場合などです。

全く連絡を取る手段がない場合でも、妻が代理人を選任している場合や調停が申し立てられている場合は、手紙を書いたり、陳述書をかいたりすることで、妻にこちらのメッセージを伝える手段を使うことができ、妻を安心させる可能性が残されていることになります。

これはチャンスです。手紙を書いても相手に渡さない場合もある実態も報告されていますが、陳述書であれば、相手に読ませないわけにはいきません。調停委員を通じで読んでいるか確認する手段もあります。第三者がいれば手紙が渡ったかどうか第三者に確認してもらえます。

 

2 逆効果の危険性もあること

先にこんなことを言っては申し訳ありませんが、手紙や陳述書はメッセージがダイレクトに伝わってしまうので、逆効果になる危険もあります。デリケートな気遣いが必須となります。端的に言えば、その態度が連れ去りの原因になっていることを手紙などで再現してしまえば、ますます不安になっていくわけです。一方的な価値観の押しつけ、上から目線の発言、相手を非難する内容や言葉遣いは、すべてを台無しにしてしまいかねません。

手紙・陳述書と言っても、こちらが言いたいことを言うわけではありません。相手が言ってほしいことを書くということなのです。

 

3 心構えとして相手の心情に合わせること

手紙などが相手の気分感情に届くものであることが必要です。妻が一緒にいたくないどころか、相手の名前や痕跡さえも本能的に拒否しているような場合に、しかも的外れな反省文を読めば、「何を今さら」ということにしかなりません。それに対しては、要約すると「だから離婚したいんだよ。」という心情が返ってきます。(しかし、「何を今さら」という感想は、マイナスではないと思っています。ポイントにはなっていませんが、後々ボディーブローのように効いてくることがあります。)

 それぞれの夫婦の日常はわかりませんが、一般的に離婚調停になっている場合は、余りなれなれしい呼びかけは疑問があります。他人も読むことを考えれば、敬意を払って、改まった調子での呼びかけにすることが無難だと思います。

 可能な限り相手の心情に関する情報を収集して、少し厳しめで評価して内容を吟味していく必要があると思います。

 なお形式的なことですが、文体は敬体(です。ます。)でそろえましょう。当事者は心が揺れ動いているので、敬体と常体(だ。である。)が入り混じることが多いので注意です。ついでに言いますと、文字の大きさやできればフォントも、相手が読みやすくなるように配慮しましょう。ワードに教科書体、楷書体があることを教えてもらい初めて知りました。このフォントは良いと思います。14p以上の大きさが有効だと思います。ARP教科書体は良いですね。

 

4 何を書くか

1)妻を気づかう挨拶

  健康面とか、経済面とか、子育てのご苦労とか、具体的事情を織り込んで一言さらっと気遣うことから始めることが良いと思います。定番ではない時候の挨拶も悪くは無いと思いますが、気遣いが鉄板だと思います。

2)連れ去りへの理解を示す

 一番書きたくないことかもしれません。心にもないことなのは承知です。しかし、「連れ去りが当時の妻の状態からすると止むにやまれぬ選択であったこと」についての理解を示す言葉を置くことが有効です。「怒ってないよ」ということを端的に示す内容です。奇妙に思うかもしれませんが、妻は連れ去り行為こそを「やってしまった」という思い、罪悪感が強く、自分がやった連れ去りによって相手が怒っていて、修復ができないと正確に把握していることが多いです。

連れ去りを理解をしていることに説得力を持たせる必要があります。例えば、連れ去り以来いろいろ考えて、いろいろな人から話を聞いたと言っていた当事者の方の話を聞けましたが、これは良い裏付けになると思います。勉強の具体例としてこのブログをあげてもらっている方もいらっしゃるようです。これからも頑張ります。

3)相手のペースの歩みでよいということ

 これも当事者の方の実際の文章ですが、こちらは急いでいないということをあえて書いています。妻のペースでゆっくり再生できれば、あるいは面会を調えればよいということを書いていましたが、これは安心するだろうなと思いました。もちろん、こころとは違うことを書くわけです。

4)同居中の思い出や将来的なシミュレーションを書く場合 「私たち」という主語を使う

同居中楽しかった思い出、将来の楽しいシミュレーションを書くことも有効である場合があります。この場合は、自分がこうするというよりも、私たちという主語を使うことというアドバイスがあるそうです。これ、実はかの面会交流の母、ウォーラースタインが日本では絶版となった本(「結婚の条件」角川 原題Good Marriage)で述べています。年配になっても良好な関係を保っている夫婦の特徴は「私たち」という主語をよく使うとのことです。

結局再生か離婚かということは、妻をめぐって夫と「支援者」との綱引きであることが多いのです。どちらが「自分達」かということを妻に意識させるということが有効であるようです。

ただ、夫としては楽しい思い出でも妻からすれば「やってしまった」という思いでである場合、そのことを指摘するだけで相手を責めることになる場合があるので、くれぐれも慎重に出来事をチョイスしてください。

書くべきことをまとめると、

・ 妻の行動の肯定

・自分と異なる妻の考え、行動を受け入れていくこと

の2点ということになりそうです。

 

5 手紙・陳述書が有効であるケースの特徴

先ほども述べましたが、必ず手紙・陳述書が有効になる場合だけでなく、逆効果になる場合もあります。

特に有効になる場合は、以下の事情がいくつかある場合のようです。

・ 妻が他人の意見に流されやすく、言われるがままに別居してしまった場合。(結構多いようです。)

そこで言う「他人」で離婚手続きでよく出てくる人たちは、自治体やNPOの相談機関、警察、弁護士、医師、子どもの学校の教師などです。権威があると社会的に思われている人ですね。

・ 連れ去りをしたものの、今後について不安を抱いている人、経済的に、子育てに。

・ 代理人と溝ができてしまい、信頼関係が無くなり孤立を感じている場合(費用面で問題が原因になることがあるので、妻の弁護士事務所のホームページを見ることがおすすめだそうです)

・ 連れ去り別居のきっかけが、妻が自覚しているか否かにかかわらず、自分の失敗でバツが悪くなったことの場合

・ 夫が連れ去り後に婚費を支払っていたり、申出をしていること。荷物の搬出に協力していること。言葉だけでなく実行をしていることが説得力になるわけです。

6 書いてはだめなこと

・ 相手が気にしていることをズバリと指摘してしまうことはだめです。遠回しに気にしていないというより、連れ去りという結果に理解を示すことの方が有効でしょう。

・ 子どもの健全な成長のために父親に会わせなければならないこと等の正論 

・ 相手に行っても仕方がないこと、相手が自分で解決できないこと

・ 行動提起ではなく誘導。行動提起はどんなに正しくてお支配と受け取られてしまいます。こちらの価値観で書いてはだめだということですね

・ 懺悔一色の文章は、暗くなってしまい読めません。新たな心が離れる理由になってしまいます。

・ もちろん、相手に対する非難、自分の行為の正当化等ということはかいてはだめです。子どもへの影響も含めて、弁護士がいるなら弁護士に意見として書いてもらうべきです。弁護士が付いていない場合でも、主張書面に書いて、再生のための陳述書には書かないという工夫が必要でしょう。再生のための文書は再生一色にするべきです。「連れ去り」という言葉も言わないほうが良くて、私が作り出した「子連れ別居」という言葉を使いましょう。これはフェミニストたちも使っているようです。

・  

7 心にもないことを書くことは良いのか

(心は後からついてくる。)

 ところで、今回の記事では、一貫して、本心ではなくてもリップサービスのように相手が書いてほしいことを書くべきだと力説しています。まじめな人たちは、そんな心にもないことを書いて、だますようなことをしてよいのかという疑問が出てくると思います。

しかし、

1)先ず、相手が何を望んでいるか考えて言い当てて、知識として身に付けることがスタートラインです。この知識を獲得していなければうまくいかないし、将来破綻してしまいます。この知識と、相手の気持ちを考える訓練になります。

2)人間のこころというのは、本当に何か定まったものなのでしょうか。奥さんだけでなくご自分も誰かの意見に流されて怒りを大きくしているということはないでしょうか。こころは状況に応じて変化していくものだと思います。

3)特にこちらの働きかけによって妻の言動に良い変化が出てくれば、こちらのこころも良いように変化していくのではないでしょうか。

4)つまり、先ず言葉で、言うべきことを言うこと。そして言っているうちに、それが自分の本心になっていくということ、それを目指しているわけです。つまり心は後からついてくればよいし、ついてこなければ再生は失敗するだけだということです。それにしても、先ず言葉を見つけなければ心が変化しようがない、だからまずその時は心にもないことでも、言うべきことを言う作業が有効だと私は考えているわけです。

 

 

妻のヒステリーに悩む男性からの相談が増えています。

もし男性の母親や女兄弟、過去に交際した女性がヒステリーを起こすところを目撃した経験があったならば、まだ精神的にいくばくかの余裕を保つことができるかもしれません。しかし、そのようないわば免疫のない男性にとっては、自分の妻のヒステリーは逃れられない今日のどん底に突き落とされてしまいます。これが原因で長期別居になるケース、離婚になるケースは結構あります。

 

ヒステリーの相手となることは不合理なことです。妻の目が座って、不穏な気配が漂い、どうやって出しているのだというような大声で話している姿を見るだけで恐怖です。しかも、その攻撃対象が自分であり、怒りが自分に向かっているということは恐怖が高まります。また興奮状態であっても、適確にこちらがダメージになる言葉を選りすぐってぶつけてしまいます。免疫があってもたまりません。

 

余り争いになれていない夫は抵抗力をなくす場合もあります。妻の要求を受け入れてしまい、その結果犯罪に手を染めるなどの深刻なケースもあります。それは単なるヒステリー以上も問題を抱えた事例だったのかもしれません。

 

ところで「ヒステリー」の定義ですが、ここでは、怒りの感情が沸き上がり、自制が全く効かなくなり、周囲を気にしないで罵詈雑言を全力で叫びだすようなこととします。暴力の有無は問いません。

 

この怒りのエネルギーがどこから来るかというと、実は不安感情です。妻が不安を抱く理由は、夫にある場合もありますが、通常はその怒りの大きさに見合う理由は夫にはありません。その怒りが尋常ではないと感じられるほど爆発する理由は、生理的な状態にあると思います。つまり当該女性の人格の問題とは別の所に原因があるようです。抑制が効かない不合理な爆発をしたからと言って、その人が能力的、人格的に劣っていることを示しているわけでもありません。一言で言って「仕方がない」現象だというしかありません。しかし、ヒステリーに性差があるということを否定して、その人個人の問題だとしてしまうと、とても過酷な評価を本人に与えてしまうことになります。これがとても危険なことです。ヒステリーを起こす妻も、それに立ち会う夫も、女性だからヒステリーは仕方がないと思うことがお互いの幸せになると確信しています。

 

注意深く、古今東西の文学作品などを読んでいれば、そこかしこに女性のヒステリーが題材になっている作品があることに気が付くことでしょう。

 

もう一つ特徴があります。ヒステリーは、だれかれ構わず起こすものではなく、夫の前で起きることがほとんどです。会社などでヒステリーを起こす人はそれほど多くありません。夫からすれば嬉しくないことかもしれませんが、深層心理では、夫を信頼しているし、夫に安心感を持っているようです。むしろ夫に否定評価されたくないがために、自分の行動を夫の視点で行っている不自由によるストレスが蓄積しているようなのです。それが爆発力のエネルギーにもなっているようです。これまでの依頼者や相談者で、ヒステリーで夫を苦しめている女性ほど、「私は夫を愛している。」とぬけぬけという人が多いです。

 

さて、ヒステリーに対する対処方法です。

まず心構えとして、言動を真面目に受け取らないということです。この時の言葉の額面通りのこと思っているわけではなく、発した言葉の結論としての夫に対する憎しみはありません。意味の無いことを言っているのだと受け止めてよさそうです。まじめに受け止めた上に、言い返してしまうことは絶対にしてはなりません。反論をすることは怒りのエネルギーをあおるだけです。

 

できる限り抵抗をしない方が無難なようです。まさに嵐です。嵐は抵抗してはいけません。爆発を押さえつけてしまうと、不完全燃焼によって、さらなる爆発か、根本的な自己崩壊が起こるかもしれません。

まさに嵐ですから、実を低くして過ぎ去るのを待つことが最善策です。斜め下を見て悲しそうな表情を作るという戦法が比較的有効なようです。但し、小さな子どもたちには、「大丈夫。大丈夫。」と平気そうなふりをするべきです。子どものために妻と戦うということは、完全な逆効果です。多少猫パンチを受ける程度なら、立派に耐え抜きましょう。但し、実際の例では包丁を持ち出したり、数年たっても消えない痣ができるほど首を絞める例もありましたので、その時は警察を呼ぶのも仕方が無いと思います。そのような事情が無い限り、やはり無抵抗が一番だと思います。変になだめても悪く受け取るので、やはり煽ることになってしまいます。やはり下を見て悲しそうにしていることが一番です。

 

嵐が過ぎ去った時にすることを述べます。ヒステリーが無かったことにして、日常会話を始めることです。ある時期に気が付いたのですが、大人の女性から好感の持たれる男性は、場のモードをうまく切り替えることのできる男性だということです。「まあまあよくあることだから。」ということは言葉には出さないで、態度で何事もなかったように日常生活を再開することがコツです。日常生活ではしなくてはならない些細なことがあるので、それをうまく使って業務連絡の受け答えをすることが上策です。

 

事後的に注意することも避けるべきです。ヒステリーを起こした本人は、痛ましいことに止められない自分の行為をとても気に病んでいることが多いです。但し、中にはその時のことを記憶していない人もいました。

 

相手が気にしていることを指摘することは避けなくてはなりません。そもそもヒステリーを受けている夫から話を聞くと、そういうヒステリーではない時はとても素晴らしいパートナーだそうです。話を聞いたり録音を聞いたりして、なんでこんなに狂暴な人とよりを戻したいのかという疑問が生じるほどひどい状態なのですが、そんなことを言って夫婦再生に挑んでいます。

 

ヒステリーを起こした女性が、気に病まない家庭を作ることが家内安全の必須事項だと思っています。そのためには、ヒステリーに対する正しい理解が必要です。妻のせいでも夫のせいでもないということです。少しずつお互いが歩み寄って行けば、自然と解決に向かうということもどうやら本当のようです。そして、多少のヒステリーがあっても、あなたの夫はあなたを嫌いにならないし、別れようとも思わないようです。気にしすぎないほうが良いし、言葉で謝る必要もなく、ただ少しいつもより気を配ることをすればよいのだと思います。