「正義感ストレス」で自分が消耗していくパターン

 

最近、自分の正義感で自分自身が自滅しているという現象が増えていることを見る機会が増えています。noteに投稿したのですが、

「正義感が怒りに結び付く理由 自分に損害が無いにもかかわらないのに」

https://note.com/doihou709/n/nf2c945151c5e

この記事を一言で言えば、「正義感が発動するとき、つまり誰かが不正義の行為をする時、実際は違うのに自分に著しい不利益が生じると本能的に危険を感じてしまい、不正義の行為者に対して怒りが沸き起こり、相手に対して攻撃的感情が起きる。」ということでした。

 

危険を感じるときには、逃げるか戦うか(fight or flight)の行動パターンとなります。相手に対して勝てないと感じれば逃げる方を自動選択しますが、勝てると思うと戦いを自動選択します。ところが、正義概念を噛ませると、自分は全体の利益を背負っているという感覚になり、背後には仲間がいる、自分たちのために戦うという感覚になり、戦いを自動選択する傾向になってしまうようです。

母熊が子熊の危険を感じると、攻撃一択になることと似ていると思います。

 

正義感が強くて誰かと対立したり、煙たがられて孤立したりして、自分が傷つくということは分かりやすいのですが、正義感によってメンタルが崩れるもう一つのパターンを仕事柄多く見ています。これが正義感ストレスです。

 

この例はいくらでも出てくることでしょう。

職場では、同じフロアの近くの職員が、上司がいなくなったら給湯室でさぼりだすのをみて、イライラが募るパターンです。それを注意しない同僚にもイライラしていくようです。この場合も男女関係と同じように、その場のイライラで終わらずに持続してしまうと、何を見ても気に入らなくなり、ついには不正をただせない自分の無力感や罪責感まで出てきてしまうことがあるようです。通常であれば何でもないような同僚との会話も気に入らなくなり、自分が無理強いをさせられているパワハラを受けていると感じるようになることもあるようです。実際、裁判所でもそのような「パワハラ事件」が係属することがあります。

そうして実際にメンタルが消耗してしまい、適応障害で休職する人も現れています。

 

男女間での正義ストレスは、時間を守らない相手に対するイライラが典型でしょう。レモンハートという漫画でそのテーマの話がありました。男性が交際中の女性が、絶対に時間通り来ないで遅れて待ち合わせの場所に来ることでイライラするということをバーのマスターに相談するという始まりです。当時私はこの男性の言うことがもっともだと思っていました。最終的にはマスターから諭されてハッピーエンドになったような記憶なのですが、私は納得できませんでした。

 

おそらくその男性も時間を厳守する人だったのでしょう。何かあることに備えて早めに到着するような習慣もあったのだと思います。しかしながら、デートの時間が遅れたからと言って、特に不都合はないはずです。まあ、映画やコンサートに遅れるということならば不都合でしょうけれど、少し余裕をもって待ち合わせ時間を設定すればよいことです。ところが、男性は遅れること自体が、「約束を破る」というルール違反だととらえて、損害が無いにもかかわらず正義感による怒りが生まれてしまうわけです。勝手に「自分は相手の女性に損著されていない。」という意識を持ってしまい、対人関係上の危険意識が高まってしまうわけです。恋愛をすると自分に自信がなくなる場合があり、こういう意識傾向は一般的に見られますが、自滅して破綻するパターンでもあります。

 

男性はこのパターンでメンタル不調になることはあまりないのですが、やはり妻の些細なことも被害的に見えたり、とても許せない行動だと受け止めてしまうようになったりして、厳しく正義の鉄槌を下ろしてしまうような言動をしてしまいます。自分との約束を守らないだけでなく、町内会のルールを守らないなどのことも気になって仕方がありません。それだけでなく、合理的ではない行動も許せなくなってしまいます。こちらが存するわけではないのですが、厳しい指摘と修正要求をしてしまいます。正義感ストレスは、何をやっても正義感に触れてしまい、口数も多くなっていきます。相手に対する手加減もできなくなり、相手も傷つきますが、自分のメンタルも消耗していくわけです。

 

実は妻側も、正義感ストレスで消耗するパターンが見られます。夫の指摘が尋常ではないほど頻繁で強烈なものではない場合にそれが見られます。その時の妻の心理は、「確かに自分に落ち度があって、自分が悪いのだけれど、夫婦なのだからもっといたわりを持つべきだ。それなのになんでそんなことを言うのだ。」という、自分では夫婦はこうあるべきだと自分に都合よくルール設定をして、それに満たないとストレスを感じてしまうというパターンです。

ただ、私が少し問題だなと思うパターンもあります。確かに第三者から見ると乱暴な言葉遣いだなと感じることでも、夫婦ではそれが当たり前の会話であり、妻側も気にしないどころか同じような発言をしている場合があります。それにもかかわらず、第三者が自分の価値観で、「そんな言葉づかいをされるなんて、旦那さんはあなたを尊重していないのではないか。」、「それはDVではないか。」と助言し、妻もだんだん「自分は尊重されていないのではないか。」、「DVを受けているのではないか。」と感じるようになってしまうという、裁判所でよく見られるパターンです。

当然そう考えてしまうと、徐々にメンタルが消耗していき、適応障害などにり患することは自然の成り行きになってしまいます。

 

「妻が悪い」、「変な支援者が悪い」と言っても、そのような社会が現代社会ですから、無いものねだりをしても仕方がありません。奥さんが

・ メンタル疾患を抱えている場合

・ 妊娠中、あるいは出産後2年以内

・ メンタルに影響を与える内科疾患、婦人科疾患がある場合

・ 更年期

これらの時期は特に、気持ちの悪い程奥さんに丁寧に接してちょうどよいのでしょう。正義なんて後景に追いやるべきです。そのくらいして初めて奥さんは普通だと思うようです。

この点において男性の陥りやすい誤りは、「男女は一緒である。」、「相手がこちらにする振る舞いは、こちらも同じことを相手にしても良いということだ。」ということに集約されるようです。男女は別物であるという意識を持つことが家族安泰につながるのではないかと30年夫婦問題を扱い続けてきた結論であります。

 

ちなみに私の場合の、相手方の遅刻の時ですが、もちろん未だにイラっとはきます。対処方法としては、あえてラインなどで「ゆっくり来てもらっていいからね。」と書くということが予防策です。何か言おうとしたときは、これまで言ってきたことで何も良いことはなかったということを思い出すこと、何か厳しく言って嫌な気持ちになったらかわいそうだと自分に言い聞かせることが、イラっとしたときの事後策でしょうかね。いずれにしても、それほど気にしなくてよいことだということを頭の中では結論を出しています。「何も悪いことは起きていない。」と呪文のように唱えることも効果的かもしれません。

 

 

 

 

 

 

1 弁護士を依頼するメリット(弁護士の役割)

 

 1)メンタルの安定

   家裁調停ですから、裁判所に行ってお話をします。家庭裁判所は、建物からしてごついものですし、何か無機的な要素を強く感じる様式になっています。また、話題が家族のことですし、家族から自分が虐げられているということを話題にするのですから、どうしても、メンタルが不安定になりやすいです。

   そんな時、「すぐそばに味方がいる。」という意識が持てることはそれ自体が支えになることがあります。弁護士の最低限の仕事は調停に仲間として立ち会うということになると思います。

 

 2)調停の目的を害する自分の行動を制御してくれる

   面会交流調停でも、夫婦円満調停でも、調停が成功する秘訣は、相手を安心させることです。しかし、子を連れて別居され、一人ぼっちの家で過ごす毎日を考えると、普通の人は被害意識を高めて、相手を攻撃してしまいがちになってしまいます。人間の通常の感覚だと思います。しかし、その感覚のまま調停で発言をしてしまうと、相手を怖がらせたり、不快にさせたりして、面会交流や円満調停の目的と逆行する言動になってしまいます。

   自分で自分を制御できなくなることはよくあることです。そこで、代理人として傍に弁護士がいる場合は、発言を制止したり、注意したりすることができます。ついそう感じてしまうけれど、実際現在は別の考えを持っていると修正することが可能になります。

   家族再構築系の調停での弁護士の役割は、当初の目的を思い出させるということかもしれません。

 

 3)場の空気を判断する

   調停全体が、自分に有利になっているのか、自分の意見が全く取り上げられていないのかについても、当事者であるとなかなか冷静に判断することは難しいでしょう。自分の正しさを信じすぎる人は楽観論に陥って、足をすくわれることがあります。被害的意識が強い人は、あきらめムードが大きくなってしまいます。調停委員のものの言いようや表情、調停委員を通じて入ってくる相手方の情報を分析して、こちら側の修正するべきポイントを発見して、戦略を組み立て直すということは、岡目八目の例えのとおり第三者である弁護士がより冷静に判断し得るということになるでしょう。

 

 4)何をどの程度提案するかをまとめる

   こちら側としては、ずうっと毎日一緒に生活を共にしていたわけですから、要求度は、裁判所から見て高くなりすぎる傾向になることも当然のことです。

   しかし、相手方の負担が大きくなったり、到底受け入れられない提案をしてしまうと、初めから提案が無かったことになるような扱いになることも出てきてしまいます。

   お子さんにとっては、親に会うか会わないかは天と地との違いがあると思います。かなわない要求を出すより、ワンチャンでも会える可能性の残した提案をするべきだと思います。ただ、その提案の内容を決定するのはご本人です。弁護士は、選択肢を提起したり、メリットデメリットを情報提供するという役割になるでしょう。

 

2 弁護士を入れるデメリット

 

 1)相手が警戒する

   弁護士という職業の人間は一般の方は見たこともない人の方が多いと思います。相手に弁護士が付いたとなると警戒して、こちらも弁護士を依頼するという行動をとられてしまうこともあるかもしれません。その弁護士が、強硬な弁護士であれば、お話し合いが進まなくなります。どこまでも対立構造が続いてしまう危険性があります。

   だから最初は弁護士をつけないで調停をはじめて、調停委員のこちらに対する態度が腑に落ちないとか、言う場合に途中から弁護士を選任するというパターンも実際にあります。

   もし相手と連絡が取れるのであれば、調停を申し立てた理由は、直接話しづらいと思うし、直接顔を合わせなくて済むというので、(相手方に配慮して)調停を申し立てたと連絡し、弁護士を選任したのも、上記の弁護士を選任するメリットを考慮したということを説明しておくことが良いかもしれません。

 

 2)費用がかかる

   弁護士を選任すると費用がかかります。選任前にきちんと見積もりを書面で出してもらい、覚悟を決める必要があります。上記の内容で費用対効果をよく考えて決める必要があると思います。

   調停を弁護士を頼まないで申し立てたとしても、事前の段階や途中の段階など、こまめに法律相談をしておくということも選択肢に入るかなと思います。ただ、これも一回当たりいくらの費用がかかりますので、初めから事件を依頼しておけば、相談費用がかからない扱いをする弁護士も多いので、そのあたりの費用についても聴いておいた方が良いと思います。

 

1 善悪の評価をしない

2 相手の「主観」に基づいて何があったかを分析する

 

夫婦再生のために、調停で陳述書を提出したり、相手方の主張に対して対応したりすることが出てきます。その場合、「無条件に自分は悪くない。相手が悪いから当然のことをしたまでだ。」と開き直っていては再生は遠ざかります。

逆に、これが悪かったあれが悪かったと自虐的なことばかり言っても、再生の機運が生まれるというイメージができません。

その先のどうしたらよいかを考える前に、相手にとって何があったかということを分析する必要があります。その際の鉄則を考えてみました。これをきちんと行うことによって有効な対策が生まれる可能性が高まると思います。

 

1 自分と相手の行動の善悪の評価をしない

同居中の出来事を、相手から言われてでも、自分が思いつくところからでも分析をします。この際に、行為の善悪などの評価はひとまず置いておく必要があるようです。

自分がやったことが相手を苦しめていたことに気が付くと、人間は無意識に罪悪感を覚え、罪悪感を覚えると自分の行動を合理化、正当化しようとしてしまうからです。「確かに自分は大声を出してしまって相手を不安にさせたかもしれないが、これは相手のこういう言動があったので、さすがに黙っていられなかった。」というようなものです。黙っていられない気持ちは十分理解できるのですが、これでは自分が大声を出して相手を不安にさせたことが無かったことになってしまいます。正確な分析ができなくなってしまうわけです。つまり夫婦においては、「正義」(合理性、道徳等)は自分の攻撃行動の言い訳になるだけで、再生のための分析にとっては百害あって一利なしです。

逆に、自分が悪かったということを意識しすぎると、自虐的になってしまい、相手方もそれを読むと心理的に負担が重くなり、「今さら言われても遅い。」と言ったりされるわけです。

 

どちらの意味でも、自分の行動の善悪を評価しない、ある意味サイコパスになったように行為を評価することが最初の鉄則です。

 

2 相手の「主観」に基づいて何があったかを分析する

 

結局、何があったかということで考えるべきことは、相手がその時どのように感じたかということに尽きます。これを理解しなければ何も出発しません。ここから目をそらさないために、いろいろ工夫をするわけです。

世の中は、客観的な分析の方が価値が高いような風潮があります。そういう場合もあるかもしれません。しかし、客観的と言っても、その過程の中に分析をする主体の主観が混じってしまうことはそもそも避けられないことが多いでしょう。

また、二人のやりとりにおける自分の行為の評価は、行為者と被行為者では受け取り方が致命的に違います。発言者は、発言時に自分の内心を意識できます。それほど強い気持ちが無いことを自覚して言葉を発しますから、それほど自分の言葉は強くないと評価しがちです。しかし、相手方は発言者の内心などわかりませんから、裸の言葉、声の大きさ、表情などから、自分に対する敵意を受け止めてしまいます。そうすると、発言者は敵意が無く発言しても、相手方は強く傷ついてしまうということがありうるわけです。言ってしまった以上、冗談だったということは効かないのです。

 

考えるべきことは、その時の相手の感情です。相手の反応(表情、反論、しぐさ)、その時の相手の置かれた状況から、相手の感情を推測することになります。その時、自分の主観はできる限り排除しましょう。

 

また、相手方の裁判所に出された主張や陳述書も、言葉にこだわらないで、真意を推測する手がかりとして尊重するべきだと思います。

 

そしてポイントとしては、その時、以下の事情があったかどうかということを考えるということになります。

<自分が仲間として尊重されていないと思ったか>

<自分のことが自分で決められないと思ったか>

<自分が家族の中でも孤立していくと思ったか>

・    大声を出された

・    乱暴な言葉遣いをされた

・    自分の意見、考えが否定された

・    不快な表情をされた

・    自分の不快、危険、労力を気づかわれなかった

・    努力に感謝されなかった

 

そこから、考えを出発するべきなのでしょう。