1 弁護士を依頼するメリット(弁護士の役割)

 

 1)メンタルの安定

   家裁調停ですから、裁判所に行ってお話をします。家庭裁判所は、建物からしてごついものですし、何か無機的な要素を強く感じる様式になっています。また、話題が家族のことですし、家族から自分が虐げられているということを話題にするのですから、どうしても、メンタルが不安定になりやすいです。

   そんな時、「すぐそばに味方がいる。」という意識が持てることはそれ自体が支えになることがあります。弁護士の最低限の仕事は調停に仲間として立ち会うということになると思います。

 

 2)調停の目的を害する自分の行動を制御してくれる

   面会交流調停でも、夫婦円満調停でも、調停が成功する秘訣は、相手を安心させることです。しかし、子を連れて別居され、一人ぼっちの家で過ごす毎日を考えると、普通の人は被害意識を高めて、相手を攻撃してしまいがちになってしまいます。人間の通常の感覚だと思います。しかし、その感覚のまま調停で発言をしてしまうと、相手を怖がらせたり、不快にさせたりして、面会交流や円満調停の目的と逆行する言動になってしまいます。

   自分で自分を制御できなくなることはよくあることです。そこで、代理人として傍に弁護士がいる場合は、発言を制止したり、注意したりすることができます。ついそう感じてしまうけれど、実際現在は別の考えを持っていると修正することが可能になります。

   家族再構築系の調停での弁護士の役割は、当初の目的を思い出させるということかもしれません。

 

 3)場の空気を判断する

   調停全体が、自分に有利になっているのか、自分の意見が全く取り上げられていないのかについても、当事者であるとなかなか冷静に判断することは難しいでしょう。自分の正しさを信じすぎる人は楽観論に陥って、足をすくわれることがあります。被害的意識が強い人は、あきらめムードが大きくなってしまいます。調停委員のものの言いようや表情、調停委員を通じて入ってくる相手方の情報を分析して、こちら側の修正するべきポイントを発見して、戦略を組み立て直すということは、岡目八目の例えのとおり第三者である弁護士がより冷静に判断し得るということになるでしょう。

 

 4)何をどの程度提案するかをまとめる

   こちら側としては、ずうっと毎日一緒に生活を共にしていたわけですから、要求度は、裁判所から見て高くなりすぎる傾向になることも当然のことです。

   しかし、相手方の負担が大きくなったり、到底受け入れられない提案をしてしまうと、初めから提案が無かったことになるような扱いになることも出てきてしまいます。

   お子さんにとっては、親に会うか会わないかは天と地との違いがあると思います。かなわない要求を出すより、ワンチャンでも会える可能性の残した提案をするべきだと思います。ただ、その提案の内容を決定するのはご本人です。弁護士は、選択肢を提起したり、メリットデメリットを情報提供するという役割になるでしょう。

 

2 弁護士を入れるデメリット

 

 1)相手が警戒する

   弁護士という職業の人間は一般の方は見たこともない人の方が多いと思います。相手に弁護士が付いたとなると警戒して、こちらも弁護士を依頼するという行動をとられてしまうこともあるかもしれません。その弁護士が、強硬な弁護士であれば、お話し合いが進まなくなります。どこまでも対立構造が続いてしまう危険性があります。

   だから最初は弁護士をつけないで調停をはじめて、調停委員のこちらに対する態度が腑に落ちないとか、言う場合に途中から弁護士を選任するというパターンも実際にあります。

   もし相手と連絡が取れるのであれば、調停を申し立てた理由は、直接話しづらいと思うし、直接顔を合わせなくて済むというので、(相手方に配慮して)調停を申し立てたと連絡し、弁護士を選任したのも、上記の弁護士を選任するメリットを考慮したということを説明しておくことが良いかもしれません。

 

 2)費用がかかる

   弁護士を選任すると費用がかかります。選任前にきちんと見積もりを書面で出してもらい、覚悟を決める必要があります。上記の内容で費用対効果をよく考えて決める必要があると思います。

   調停を弁護士を頼まないで申し立てたとしても、事前の段階や途中の段階など、こまめに法律相談をしておくということも選択肢に入るかなと思います。ただ、これも一回当たりいくらの費用がかかりますので、初めから事件を依頼しておけば、相談費用がかからない扱いをする弁護士も多いので、そのあたりの費用についても聴いておいた方が良いと思います。

 

1 善悪の評価をしない

2 相手の「主観」に基づいて何があったかを分析する

 

夫婦再生のために、調停で陳述書を提出したり、相手方の主張に対して対応したりすることが出てきます。その場合、「無条件に自分は悪くない。相手が悪いから当然のことをしたまでだ。」と開き直っていては再生は遠ざかります。

逆に、これが悪かったあれが悪かったと自虐的なことばかり言っても、再生の機運が生まれるというイメージができません。

その先のどうしたらよいかを考える前に、相手にとって何があったかということを分析する必要があります。その際の鉄則を考えてみました。これをきちんと行うことによって有効な対策が生まれる可能性が高まると思います。

 

1 自分と相手の行動の善悪の評価をしない

同居中の出来事を、相手から言われてでも、自分が思いつくところからでも分析をします。この際に、行為の善悪などの評価はひとまず置いておく必要があるようです。

自分がやったことが相手を苦しめていたことに気が付くと、人間は無意識に罪悪感を覚え、罪悪感を覚えると自分の行動を合理化、正当化しようとしてしまうからです。「確かに自分は大声を出してしまって相手を不安にさせたかもしれないが、これは相手のこういう言動があったので、さすがに黙っていられなかった。」というようなものです。黙っていられない気持ちは十分理解できるのですが、これでは自分が大声を出して相手を不安にさせたことが無かったことになってしまいます。正確な分析ができなくなってしまうわけです。つまり夫婦においては、「正義」(合理性、道徳等)は自分の攻撃行動の言い訳になるだけで、再生のための分析にとっては百害あって一利なしです。

逆に、自分が悪かったということを意識しすぎると、自虐的になってしまい、相手方もそれを読むと心理的に負担が重くなり、「今さら言われても遅い。」と言ったりされるわけです。

 

どちらの意味でも、自分の行動の善悪を評価しない、ある意味サイコパスになったように行為を評価することが最初の鉄則です。

 

2 相手の「主観」に基づいて何があったかを分析する

 

結局、何があったかということで考えるべきことは、相手がその時どのように感じたかということに尽きます。これを理解しなければ何も出発しません。ここから目をそらさないために、いろいろ工夫をするわけです。

世の中は、客観的な分析の方が価値が高いような風潮があります。そういう場合もあるかもしれません。しかし、客観的と言っても、その過程の中に分析をする主体の主観が混じってしまうことはそもそも避けられないことが多いでしょう。

また、二人のやりとりにおける自分の行為の評価は、行為者と被行為者では受け取り方が致命的に違います。発言者は、発言時に自分の内心を意識できます。それほど強い気持ちが無いことを自覚して言葉を発しますから、それほど自分の言葉は強くないと評価しがちです。しかし、相手方は発言者の内心などわかりませんから、裸の言葉、声の大きさ、表情などから、自分に対する敵意を受け止めてしまいます。そうすると、発言者は敵意が無く発言しても、相手方は強く傷ついてしまうということがありうるわけです。言ってしまった以上、冗談だったということは効かないのです。

 

考えるべきことは、その時の相手の感情です。相手の反応(表情、反論、しぐさ)、その時の相手の置かれた状況から、相手の感情を推測することになります。その時、自分の主観はできる限り排除しましょう。

 

また、相手方の裁判所に出された主張や陳述書も、言葉にこだわらないで、真意を推測する手がかりとして尊重するべきだと思います。

 

そしてポイントとしては、その時、以下の事情があったかどうかということを考えるということになります。

<自分が仲間として尊重されていないと思ったか>

<自分のことが自分で決められないと思ったか>

<自分が家族の中でも孤立していくと思ったか>

・    大声を出された

・    乱暴な言葉遣いをされた

・    自分の意見、考えが否定された

・    不快な表情をされた

・    自分の不快、危険、労力を気づかわれなかった

・    努力に感謝されなかった

 

そこから、考えを出発するべきなのでしょう。

 

 

離婚訴訟は、離婚したい当事者と離婚をしたくない当事者がいるため、離婚したい当事者が、離婚を実現するために起こします。そのため、同居中のネガティブな事柄のみが訴状で展開されます。離婚裁判の当初は、その事実があったか無かったかということが裁判の焦点になります。

 

ここで、それは針小棒大だとか、捏造だということで、被告が主張すれば、原告(離婚したい方)は、ニュアンスの違いなどを微修正するなり、本当はこうだったという追加的主張をして泥沼になっていくわけです。

 

事案の中には、原告の主張に論理的に反論するだけで、原告の主張が否定され、離婚理由が無くなってしまうような事案がありますが、それはよほど変な主張をして、かつ、裁判官が事案を見抜く力がある場合という、現代司法においては極めてまれな幸運に恵まれた場合だけです。

 

また、離婚したくない被告は、判決で勝訴になっても子どもにも会えない可能性が高い現在の家裁実務では、勝訴だけでは足りないということでもあります。

 

<結論1>

それを認めても判決に影響のない事案にこだわることをやめて、一通り反論したら、「被告側の主張」を提起すること。その際、同居中の夫婦の関係のリアルな状態像を堂々と展開すること。

 

これをやらないと、多少のニュアンスの違いはあっても、同居中二人は、些細なことでいがみあっており、仲睦まじいこともなく、完全に他人が一つ屋根の下にいて、お互いコミュニケーションも交わさずに同居しているという全体像が印象付けられてしまいます。

 

原告の主張をつぶさに見ても、顔を見れば暴言を吐かれていたという書き方はされていません。何年かに一度こういうことがあったということを主張しているだけなのです。それでも、細かなニュアンスにこだわって、何らかの行き違いがあったことだけを認めた形でやりあっていたら、二人の大部分の時間である諍いの無い時間が見えてきません。そのため、全体の印象として二人でいると喧嘩ばかりしていた、あるいは夫の暴言に苦しみ続けてきたという、誰も主張していないイメージが裁判官に定着してしまうのです。

 

サッカーで言えば、味方のゴール前でだけボールをやり取りしているような状態です。ミスをすれば点数を入れられるし、観客からすればいつも押されていたという印象を受けるわけです。一つ一つの細かなニュアンスの戦いにすることは、自らがデフェンスラインを下げることになってしまいます。

 

むしろ、デフェンスラインを上げることによって、相手のゴール前で勝負をすることが可能になるわけです。

 

では、被告の主張はどのような事実を主張すればよいのでしょうか。

<結論2>

二人の共有している時間の圧倒的多くの時間が、口論など諍いが無い事実

これを表現するためには、逆の事実の存在、即ち、

1)毎日の協力体制、細かな連携の事実

2)お互いのメンタルを支えていたことを示すエピソード

3)旅行やテーマパークなど、二人が協力して実現した企画

4)日常のレクリエーション

 

1)については、日常に埋没しているので、よく考えないと言葉にできないかもしれません。しかし、他者が子育てなどをしているならば、何らかの協力体制が必ずあると思います。

2)についても、丹念に思い出す必要があるでしょう。

3)については、スマホの写真やラインの会話などを拾っていけば、見つけやすいエピソードです。これは裁判官も重視している判決を見たことがあります。自分の家でもテーマパークに家族で行って苦労している裁判官にぜひ当たりたいですね。

4)も、ラインなどをつぶさに見て思い出す必要があると思います。

 

これらのエピソードを事実として提示することは、裁判官に原告が日常的に暴言を受けていたわけではないことを示すとともに、原告に対しても、忘れていることを思い出させる契機となることと思います。

 

諍いの時の言葉の表現などを細かく争っても、程度の違いにしかなりません。大づかみに全体としてうまくいっていたということを主張していくことこそが、被告としてのあるべき主張になると思います。

 

これに備えて、スマホの写真などからキャプション付きのアルバムを作ることをお勧めします。