こんにちは。メンタルコ-チの岩元應和です。
今朝の情報番組「スッキリ 」で・・
「迷子たちが親と涙の再会 三連休大混雑のレジャ-施設」
という迷子の特集を放送していました。
三重県にある「ナガシマ・ス-パ-ランド 」内の
ジャンボ海水プ-ルにおける
この三連休での親から迷子になった子どもたちと
迷子担当スタッフとのやりとりです。
迷子で保護された小さな男の子に対し、女性担当スタッフは・・
「どうしたの 悲しすぎる 泣かない、泣かない
今日、遊びに来たんでしょ」
と優しそうに、勇気づける感じで言葉を掛けている様子。
そう声をかけられた男の子はというと・・
次の瞬間、一層泣き声が大きくなっているように見えました。
女性スタッフからは、子どもの不安を和らげようという優しさが
テレビ画面を通しても感じられ、その対応は良かったように思いました。
で・・僕が担当スタッフだったら・・『悲しすぎる』といった
おそらく子どもの気持ちに相当するだろう言葉の掛け方は
しないだろうなぁと感じていました。
それは・・「悲しい」かどうかは、
『その子ども自身が判断すべきじゃないかなぁ~』と
話を訊く専門家の僕としては・・そう思うからです。
このような援助する大人の側が、「悲しすぎる」って
言葉を掛けた場合、「悲しい」という感情の言葉でもって、
子どもを拘束してしまう可能性あるような・・
そんな出来事を僕は援助者として経験したことがあります。
僕が使っている『拘束』という言葉を・・
もう少し分かりやすく・・先の続きとして解説するならば・・
その子どもの気持ちが今、どうであれ・・
援助する大人の側からの
「(君は今、悲しい状態それとも)悲しすぎる(状態)」
といったような・・どちらを選択しても「悲しい」という枠組みの
二者択一のメッセ-ジが含まれていて・・
結果として・・援助する側の意図とは異なり、
子どもはどちらを採っても「悲しい」気持ちを選択しなきゃいけくなるような・・
すなわち、『拘束』してしまう可能性があるのです。
何年も前の話になりますが…
トラウマ感情を抱えた子どものクライエントに対する
心理療法として「遊戯療法」が採用され・・
そのプレイセラピストを担当したことがあるのですが・・
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1回目のセッションが終了し・・
プレイル-ムの扉を開けとたん・・
プレイセラピストである僕がそのクライエントに・・
無意識に「楽しかった」と声をかけてしまいました。
それを見ていたス-パ-ヴァイザ-から・・
「楽しかったかどうかは岩元さんが決めることではなく、
クライエントが決めることです」と
指摘され・・ハッと気づきを覚えたことを思い出します。
とは云いつつも・・
迷子担当の女性スタッフの子ども目線での
優しそうな対応や声の大きさ、ト-ンといった心配りは・・
子どもにとって・・ホッと心休まる感じだったように思います。
ところで・・僕は・・
1度だけだっだ・・と思いますが
迷子になった記憶が・・今でも薄らと・・
ぼんやりとした映像として残っています。
このことについてはまたの機会にということで・・
何を学びましたか このブログを読んで、何を感じましたか
僕が学ぶべきことがあれば、ぜひ教えてください。