永らくひたすら辛気臭い話にお付き合いくださいましてありがとうございました。

そしてごめんなさい。これで最後にします。

 

 

閉業を告知してから今日までの期間、実に多くの人の温かい”情”に触れた。

「お疲れ様」と言って個人的にケーキや酒を届けてくれたり心づけを包んだ封筒を頑なに押しつけてきたり。家族ごと食事に招待してくれたり奢ってくれた人もいた。

こちらは迷惑をかけた立場なので、その優しさがただただ身に染みて本当に恐縮だった。そして、そんな心遣いに触れるたび―――「不器用ではあったけど、俺と親父が今までやってきた50年に間違いは無かったのかもしれないな」と、ちょっとだけ救われた気持ちになれるのだった。

閉業を告げると相手がまず、必ず言ってきたのは「大丈夫?次のアテはあるの?」という言葉だった。

まあ当然だろう。こちとらオバフィフ。しかも学校を卒業後はこの仕事一本だけで生きてきたような奴である。今さら別の仕事なんか就けるのか?俺自身、その不安は当然あった。

ただ、とてもありがたいことに「ウチに来ない?」という誘いもまた多方面から頂いた。「工場長待遇で」という話まであった。確かに今の日本は何処も彼処も慢性的な人不足ではあるが、これはちょっと予想外だった。

そして―――言い方は悪いがこれらの「お誘い」は最終的にどこにも就けなかった場合の”保険”となる。おかげで再就職に関しては随分心にゆとりを持つことが出来た。就活についてはまた別の機会に記す。

 

これまで長々と会社を閉めることになった「弁解」ばかりを連ねてきたが、外的要因ばかりで俺自身に何も問題が無かったのかと言われたらそんなことは絶対にない。

自分でもよく解っている。俺はともかく致命的に商売に向いてない人間なのだ。まず視点が良しも悪しくも「素人寄り」で、病的なほどに誰より自分自身を一番信用していない。そのくせ「怒られたくない」ゆえの完璧主義者であるということ。

きっと俺は、人に思われてるほど車に興味がないのだ。少なくとも自慢できるほど詳しくはない。内部構造など仕事に必要な知識は最低限押さえているが、各メーカーがどんな車を出してて今どんな車が流行りで…という話題にはまるで疎く、道行く車の名前も咄嗟には出てこない。カタログスペックなどは俺なんかよりずっとお客さんの方が詳しい。自分が乗る車もブラシ入れる”キャンバス”でしかないのでぶっちゃけ動けりゃ何だっていい。そんな俺がプロ面してお客様の車を預かることに、どこか後ろめたさみたいなものを感じていたのは確かだ。

自分に自信がないから仕事に値段をつけるのが苦手だった。やった仕事の分は適正な指数計算でしっかり計上しているが、そこに「儲け」を乗せる段階で躊躇が生まれる。(たっか!)と思ってしまう。視点が「お客側」なのだ。エアブラシ案件ではその傾向が特に顕著で、基本言い値であるはずの自分の作品に自信満々に高値をつけられない。もっと上手い人をいっぱい知っているから。俺なんかの絵じゃせいぜいこれくらい…?と、全く割に合わない値段で出しちゃう。予想より安くて客がビビるほどだ。職人としては卑屈に過ぎる。

また自分をトコトン信用してないから、難易度高めの仕事を前にすると上手くいくか不安で胃が痛くなる。無事終わった後も本当にこれで大丈夫か心配で何度もチェックしてしまう。この先も車はどんどん複雑になっていき水素エンジンとか未知なる機構のものまで出てくる。その都度それらに対応していくのは資金的にも自分の能力的にも全く自信が持てない。これでは神経擦り減らし過ぎていつか無くなってしまう。こんなヤツ、絶対この商売に向いてない。

だから、この仕事をやめることは失うものも多いが―――これらの不安・苦悩からの”解放”である側面も実はあるのだ。

だから心配されるほど絶望もしていない。どうか安心して欲しい。

 

不便といえば不便にはなる。

これからは自分や家族の車の修理や車検も自分では出来ないので「客」の立場で正規の金額を払い、店に持ち込まねばならない(上手い具合に昨年2台とも車検だったので、フル2年の時間はあるが)。ちょっとしたプライベートの作業をするのに、今まで道具も資材も使い放題で利用できていた「作業場」はもう存在しなくなる。自宅以外で自由に使える、ある程度の広さを持つ”場”が無くなることは実に痛い。でも一般的にはそれが普通であり、今までがむしろ恵まれ過ぎていたのだろう。

そして今回学んだ、実は意外だったこと―――それは「無かったら無いでこの世は何とかなっていく」というものだった。

仕事を失うことは、当然ながら自分にとって大山鳴動の大事件である。平凡ではあるが平和だった自分の人生が大きく揺らぎ、家族を路頭に迷わせてしまう恐ろしい災厄という認識だった。そして、永くウチを懇意にしてくれていた顧客の皆様にとっても重大なショックを与えてしまう大失態であると考えていた。……現実、不便をかけることは間違いないので申し訳なく思う。彼らは今後車のトラブルの際には別の店を探さなくてはならないし、多分ウチより安くやってくれるとこは少ないだろう。

それでも、世の中は今日もいつもと変わらず回っていくのである。

ウチのような零細企業の一つや二つが消えたところで、社会に与える影響は無い。無いなら無いで別の所に仕事は回っていく。馴染みの店が一つ無くなったところで、誰もが最初こそ気にはしてもすぐに意識は自分の仕事や日常生活の中に埋もれていく。自分以外の事象について人々の関心はいつまでも続くものではないのだ。大騒ぎしていたのは当事者だけだ。

そう考えると少し寂しいと思う反面、随分と心は軽くなるのだった。

 

 

 

―――ともかく、

こうして俺の人生における一つの時代が終わった。

 

これからどれだけ生きられるのか知らんが、たった一度の人生、これくらいの波乱の一つや二つはつきものだろう。出来ればもっと若い時分に経験したかったが。

いつか笑って振り返られるように、今は未来に向けて新しい一歩を踏み出そうと思う。

大丈夫、俺なら出来る。

 

この家族と一緒なら、きっとどこまでも行ける。

 

 

 

 

(終)