親父は永いこと夜間の頻尿に悩まされていたらしく、ある日意を決して病院のレントゲン検査を受けたら本命とは関係ない箇所に影が見つかった。それが、癌の腫瘍だった。

その年の年末に受けた手術は一応成功し、リハビリを続けながらの日常生活にも支障は無かったが、親父はそれ以来ただの一度も会社に顔を出さなくなった。あの仕事だけが生きがいだったような男が、すっかり萎んでしまった印象である。

 

ただでさえ、4人でも思うように仕事が回ってなかった弊社はついに俺(鈑金)とS君(塗装)の2人だけとなった。これでは引車や納車さえマトモに出来ない。

未来に夢が、希望が、持てなくなった。吐き気を我慢し、歯を食いしばって出社する毎日だった。

 

会社というのは、ただそこに在るだけで経費が発生するものである。例えるなら、常に出血が続いてる状態。死なないためには一時でも輸血を途切れさせてはならない。

自動車鈑金塗装業というのは、整備の中でも特に余計なお金が掛かる仕事なのではないかと思う。更新の度に多くの出費が伴う鈑金専用見積ソフトや顧客管理ソフト。ビジネスホン、ネットセキュリティ関連のリース契約。油脂系ケミカルや塗料、電気代の止まらない値上げ。所有する複数台の代車のメンテや車検。車の進化と共にどんどん増えていく必要な知識と対応機器。鉄の価格低下と増え続ける樹脂部品でみるみるうちに吊り上がっていく産廃処理費用。そして最近はとみに複雑化し事務の大きな負担となっている税金―――これで儲けてる鈑金屋とか一体裏でどんな悪いコトしてんのかしらと不思議に思ったりもした。経費節減のために代車の数を減らした。代車の所有数はそのまま「同時に預かる事が出来る入庫車数」に直結する。それはつまり、更なる「入庫制限」を自らに課すものだった。

昨年10月のある日、漏電によるものか突然会社が停電に見舞われたことがある。ブレーカーを復帰させたら、なんとPCだけ電源が入らなくなっていた。この時、長い間うっかりバックアップを忘れていたために停電以前数年分の顧客見積データが大きく消失してしまった。

 

―――嫌な予感がした。

なんとなく、これがさらに良くないことの前兆のような気がしてならなかった。

そして俺のこのテの予感は、ウンザリするほど当たりまくるものなのだ。

 

まず同時期に積載車も壊れた。可動スロープの油圧機構に重篤なオイル漏れが発生し、専門業者に修理に出すことになった。

10年近く使っていたコンピュータ診断機、そして塗料配合データベースの更新サービスが同時に終了した。それは、さらに高性能で高価な新機種の導入を余儀なくされるものだった。

続けて事務所の瞬間湯沸かし器、エアコン、プリンターetc―――まるで冗談のように次々と故障し、高額の出費が発生した。偶然にしては出来過ぎている。

問いたい。これははたして「言い訳」だろうか?

会社を維持できなかった自分たちの力不足を無理やり正当化するための言い訳なのだろうか?

個人でやれることはやってきたつもりだが、それでもまだ足りなかったというのか。

 

 

話は少し遡る。

詳しくは語らないが、土地の一部が抵当に入ってた関係で一時「競売」に掛けられたことがあった。

この辺りの土地は安い。だから「本社」はスポンサーから金を引っ張って来て余裕で買い戻せると思っていた。ところが書類の不備か何かで入札が出来ず、別の不動産屋に買い上げられてしまったらしい。その不動産屋の提示してきた売値はとても査定額に見合わないものだったため、これを機に別の土地を買って改めて新装開店するという話まで出た。オイどこにそんな金があんの大丈夫か?

しばらく業務時間外に俺とS君で美濃・関界隈の空地を物色する日々が続いた(これも相当なストレス)が、なかなかお誂えの物件は見つからなかったので結局高いカネ払って現在の土地に残留決定。じゃあ工場新築の為に用意した金でせめて工場を改装しようということになり、まず最初に施工されたのが2年前の外壁総塗り替えである。


この時、一緒に「事務所を増築する」という話もあった。オイオイオイほんとドコにそんな金あんだよ大丈夫か??と思ったが、レイアウトを考えといてくれと言われたのでどうやらマジらしい。

でもこれはありがたい申し出だった。ウチの事務所はあまりにも混沌とし過ぎている。壁には取引先の連絡先やポスターがベタベタと節操なく貼られ(犯人は親父)、従業員が昼食を摂るテーブルの上は書類や日用品が散乱していた(犯人はヨメ)。この生活感バリバリの事務所内で、あろうことか客の応対までしていたのだ。あまりにも見苦しい。

事務所西側の壁を取っ払い、隣の駐車場の方へ1mほど拡張するとのこと。少し広くなる。だったら事務所内をカウンターで仕切り、客には絶対見せないスタッフルームと、「病院の待合室」をイメージして綺麗に整頓された接客スペースを完全に隔絶したい。だってココは「車の病院」なんだから。

一生懸命「間取り図」とイメージイラストを描いた。後日、土建屋さんが来て、拡張部分に被る駐車場脇の花壇を撤去していった。

―――つまり、少なくともこの頃までは本社も再建に「本気」だったのでは?と今となっては思う。

…結局、花壇を壊しただけでその先の増築工事が行われることはついに無かった。当然スタッフの増員も設備の強化もナシ。

半分になった人数で、

今のままの古い設備で、

上記でさんざん列挙した多くの支払いが待ち受ける来年度を、

乗り越えるだけの売り上げを出せと?

 

本社もやっと気付いた。

俺は気付いていたけどこの頃はもう目を逸らしていた。家族を養わねばならない。一日でも長く、"終わりの日"までの時間を稼いでいただけだ。体も心もボロボロで、運命に抗う力は残されてなかった。

そして本社がS君の名前で新たに借金をしようとしているという話が漏れ聞こえてきた時、「それだけは絶対に断れ」と俺は言った。彼に俺のような目に合って欲しくはなかった。

あくまで想像だが、これが決定打となったのだと思う。

 

 

本社は「延命」を打ち切ることを決定した。

 

 

 

 

 

(続く)