「教育するとは、待つことだ」と耳にしたことがあります。
確かに、子供に「早くしなさい!」というのが口癖となっている親御さんは多くいらっしゃるでしょう。
でも、大人になっても、人にはそれぞれのテンポがありますよね?
のんびりした方も居れば、何をそんなに急いでるの?という方も。
仕事は速いのに食べるのは遅いとか、支度は遅いのに買い物は素早いとか・・・。
その人に流れている時間の速度は様々です。
その違いは、どこに重要性があるか・・・重要度が高いかによって違うようです。
何かを欲しいと思ったとき、身体は自然と動きます。
「努力」が不用な速度でです。
逆に、頑張ってしていることって、速度が落ちませんか?
休み中に読書感想文を書かなければならず、課題図書に指定されて読まされた本とか。
(これには意見があります!)
課題に指定することで、その年齢の頃に出会って欲しい本もあるのは分かりますが、読みたいものを探す訓練にもなるのだから、自由に選ぶことも出来たら良いのに!とも思います。
話が反れましたが、「~しなければならない・have to」の時、速度が落ちます。
また、「~したいこと・want to」の時、時間が経つのも忘れて没頭します。
これと、成長も同じかな~と思います。
上手になりたい!痩せたい!と思っていてもなかなか変化しない場合もあれば、パッパと変化していくこともある。
それは本人がいくら「早く上手になりたい、痩せたい」と思っていても、無意識のレベルでそれを望んでいない場合に、ホメオスタシス(恒常性維持機能)が働くからです。
人間の脳のしくみを知ると、このことが分かります。
「待つ」というのは当然、「放置」とは違いますし、教師側の「ガマン」でもありません。
ではどうやったら、いらいらせずに成長を「待つ」ことが出来るのでしょう?
本人の無意識のレベルというのは、行動に現れます。
そこの情報を見ようとすると、色々見えてきます。
要は、・・・生きるスピードは、本人が無意識で心地良いと感じる速度で流れているということ。
成長のスピードも本人が決めているのです。
教師側が、"自分時間"で物事を見ないことは当然ですが、生徒の"自分時間"を見てあげると、教師はガマンするのではなく、この子が自分で決めたタイミングで成長をしているのだと捉えることが出来ます。
目には見えなくても、ひとはみんな成長しています。
停滞しているように見える人も、「停滞しても意味は無い」ということを知るための停滞期を過ごしているわけで、単に足踏みしているのではありません。
「起こる全てのことは必然で、全ては最善」
ということだと思います。
生徒が思うように伸びない時、後ろ向きに見える時、反抗してるの?と思う時、私は「今調整中なんだな」と思い、じっくりと目を離さぬようにしながらも、待つことが出来るようになりました。
そして、教師がガマンして待っているのか、平常心で待っているのかは正確に生徒に伝わります。
ガマンして待った場合、結局は焦らせてしまいます。
平常心で待っている場合は、当事者は安心してじっくり考える時間を得、成長したいという気持ちが生まれます。
教師が「平常心で待つ」ことが出来るならば、待つことは素晴らしい。
そう思います。
人生のスピードは本人が無意識レベルで決めていることだと分かると、それを早くさせようなどという考えは持たなくて済みます。
本人の意思。
それは本人が決めたタイミング。
進むのに、遅すぎるとか早すぎるなんて、他の人には決められないのです。
生徒のみなさん、堂々と自分の思うようにレッスンしてください。
そして教師のみなさん、責任感という名の鎧を脱いで、じっくりと相手を観察してみてはいかがでしょうか。
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