ホワイトアウト
雪に酔った。
「雪酔い」なんて言葉があるんだろうか、と思ったら、本当にあるらしい。知らなかった。
昨日から、苗場に来ている。
人生で三日目のスキー。
二年前に、半日だけトライしたことがあるが、もうすっかり忘れていて、ブーツのはき方も、ストックの持ち方も、すべて1からやり直し。
それでも、昨日と今日の二日間で、リフトに乗り、ボーゲンでノロノロ滑り降りてくるところまではこぎつけたのだけれど……。
今日の午後からは、猛烈な吹雪。こんな吹雪は生まれて初めての経験である。
何しろ、あたり一面、何も見えない。すぐそばにいるはずの人も、大きな黒々とした木々も、雪にかき消され、視界から消えてしまった。
ただ、ただ、白一色の世界。本物のホワイトアウトだ。
地元のベテランスキーヤーは、「ミルク壺の中にいるみたい」と表現していた。いいえて妙。
白一色の世界と言うと、なんだかロマンティックに聞こえるかもしれない。ま、僕自身も、最初はちょっとわくわくしていたのだが、すぐに気分が悪くなってきた。
どうやら、視界がさえぎられると、平衡感覚がおかしくなるらしい。斜面に立っているのに、視覚からの情報では、上下も、前後左右も、傾斜も分からない状態になる。体感と、視覚情報のギャップが、酔いをもたらすらしい。
ホワイトアウトという言葉は、映画のタイトルにもなったくらいで、アタマではわかったような気になっていたけれど、実際に体験してみると大違い。
雪山で遭難する時には、こんな酔いにまで苦しめられるのか………。
ほんのちょっぴりだけど、自然の猛威と、人間の身体機能の頼りなさを垣間見た気がした。
快晴の三が日。ありがたい〔2〕
で、三日は、日比谷の派遣村へ。
米、野菜、お餅などを車で運び込む。日比谷公園内の狭い一角だけど、かなりの人でごった返していた。
パッと見たところ、支援を受けている人と、支援をしている人の区別がつかない。支援者の人たちも、ボランティアの「プロ」よりも、ボランティア経験のないまったくの一般人が目立つ。
僕の荷物運びを手伝ってくれた若者も、今日、初めて参加したばかり、だと言っていた。公認会計士の勉強をしている、就職浪人のフリーターだという。
「この不況で首を切られている人たちのニュースを見て、他人事じゃないなと思って……。
昨日、初めてここに来て、その日は、カンパだけして、帰ったんです。ボランティアしたことがなくて、手伝わせてください、と言いだす勇気がなくて。
でも、今日、もう一度出なおしてきたら、簡単に受付で、認めてもらえました。僕みたいな、ボランティア未経験者、多いですよ。明日は我が身だから、少しでも支え合いに協力しようという思いです」
口籠もりながら、訥々と喋るその若者も、みんなと一緒に食べた炊き出しが、おいしかった、という。
「田舎に帰らず、東京のアパートで一人暮らしの淋しい正月なので、みんなで一緒に食べる炊き出しのほうがよほどおいしいです」
現場に足を運べばわかるが、支援者も決して強者ではない。弱者に施しを与える、という傲慢さからは程遠い。逆に、支援している側が、受け取るものも少なくない。
支援する側とされる側に、何の垣根もない。彼の言うとおり、本当に明日は我が身なのである。人間同士、お互い様なのだ。
たいしたことなど、もとより、できはしない。無理はせずに、自分のできる範囲で、ささやかな分かち合いを、これからもできればと思う。あくまで、自分のペースで。これが、年頭の誓い、その5。
快晴はありがたいのだけど、その分、放射冷却で冷え込む。昼に派遣村にいて、体を動かしていてもかなり寒い。公園内のテントで夜を過ごすのは骨身にこたえるだろう。
いろいろな批判はあるだろうが、日比谷公園と目と鼻の先にある、厚労省が、講堂を開放したのはよかった。一時的にでも、寒さをしのげるのは、ありがたいことにちがいない。
不祥事続きの厚労省も、変わるのだろうか、などと甘い期待がアタマをかすめる。
まあ、正月だし、甘くてもいいか……。ありがたいことには、違いはないのだから。
この未曾有の経済危機を逆に奇貨として、よい方向に変わってゆく可能性もあるだろう。絶望はもういいから、希望を探そう。
大不況は、まだ始まったばかり。厳しい道程は、まだまだ数年は続くだろう。
僕が身を置くメディア業界も、大ダメージを被っているので、これからを思うと、心は暗くなりがちである。
だが、冬の間にこそ、春は準備されるものだ。こんな厳冬の機会でしか気付かないものもあるはずだ。
冬を耐えぬいて、暖かい春を迎えるのを楽しみにしよう。
年頭の誓い、その6。しんどいときも、笑顔で、心明るく、朗らかに、なるべく楽しく乗り切る。
改めまして、ご縁のあった方々すべてにとって、よい年でありますように。
日頃のご愛顧を感謝します。今年も、よろしくお願いいたします。
快晴の三が日。ありがたい〔1〕
今日も快晴。
なんてありがたいm(__)m。
喪中なので、年末年始をどう過ごすか、決めかねていたけれど、おかげさまで、いいお天気にも恵まれて、それなりにいい三が日を過ごせたかな、と思う。感謝、感謝。ありがたい。
門松もない、年賀状もない、お節料理もない、何より神社への初詣もない。ないないづくし。
いっそ、正月なんてなかったことにして、普段通りにしてやり過ごすかな、なんて思ってもみたが、大掃除もしないのは、やっぱりどうも気持ちが悪い。
で、大晦日にバタバタと大掃除。年越しそばを食べ忘れ、紅白も見逃し、気付いたら、もうゆく年くる年。
あわてて、近くのお寺へ。大黒さまをまつる麻布の大法寺。ここの御住職は、年越しの読経の前に、威勢よく水をかぶる。
三年ほど前、僕も年末に、七面山で滝に打たれる修行をしたことがあるが、水ごりの行はなかなか大変である。水が冷たいというより、金属のようにキーンと痛い。
除夜の鐘は、善福寺につきにいった。かがり火がたかれていて、いい風情である。鐘つきに来ている参詣客の数もほどよく、行列の長さもほどほど。とても気持ちのよい年越しになった。
ありがたい。
神道では、近親者の死を穢れとして扱い、神域に立ち入ることを遠慮するように求めるが、仏教はそんな排除は行われない。知人のお坊さんに確認したが、「どうぞ、何もお気にすることなく、お参りください」という。
そういう言葉は、なんだか身も心も温まるような気がして、実にありがたい。
ということで、元旦の朝は、家族と一緒に、高輪の高野山東京別院に初詣。一年の無事を祈る。その後、午後は杉並の菩提寺に赴き、お墓参り。
30日にもお墓参りをしたが、こうして元旦にも、家族と一緒に、健康で、心に憂いごとなく、お参りできることは、なんて幸せで、ありがたいことなんだろう、と思う。
しみじみと感謝。ありがたいことです、本当に。
夜は親戚の家に。毎年、お年賀に行っているものの、今年は喪中だし、遠慮しようかと思ったものの、やはりご挨拶にうかがうことにした。
お節料理に、牡蠣鍋に、すき焼きを、いっぺんにふるまわれる。ダイエットする、という年頭の誓いは、さっそく一時棚上げに。
おいしかったし、何より、いつもと変わらない、温かい笑顔のおもてなしがありがたい。感謝、感謝です。
二日は、高校の同級生である、クロちゃんとゴルフ。僕は一年前に一度、コースに出たことがあるだけの、超初心者。そのときは、途方もない記録的なスコアをたたいてしまった。
対して、彼はゴルフ関連の仕事をしている、セミプロみたいな腕前。僕のゴルフコーチを引き受けてくれたのだ。これまた、ありがたい。
「この歳になってから、ゴルフにせよ、新しいことを1から学ぼうというのはなかなかできないよ、えらいよ」
などと、クロちゃんからは、お褒めをちょうだいしたが、そういうビギナーの指南役を、快く引き受けてくれるあなたはもっとえらい。感謝しています。
人生3回目のコース体験のスコアは、結局140。
このスコアを、年内に限りなく100に近付ける。これが、年頭の誓い、その4。
バツイチのクロちゃん、再婚相手が見つかって、再び幸せになれますように、祈ってますよ☆。