甦る推理雑誌⑤「密室」傑作選 ミステリー文学資料館編 光文社文庫 03年3月 780円 

 

 前段の短編作は[305]で紹介したが、後段に掲載された天城の長編作「圷家殺人事件」をここで紹介することにした。

  タイトルには“あくづ”と仮名が振ってあったのでそのまま入力すると「圷」に変換してくれず、他の読みが思い浮かばないので途方に暮れた。最後の手段、IMEパッドを立ち上げ手書き入力で検索して“アクツ”という読みを見つけそれを入力したら一発で変換してくれた。振り仮名通りに入力しても変換してくれないという問題は解決したが、“あくづ”なのか“あくつ”なのか、誰かに八つ当たりしたい気持ちになった。  

 「解説」に、55年の第17号に一挙掲載された長編で、後に「Destiny can wait」に改稿改題された一編とあった。

 冒頭、「例言」として「本書は1941年、私が伊多伯爵の個人的秘書のかたちで私的に犯罪捜査にタッチしていた際にえた経験の記録である」とあり、登場人物のプロフィルが掲げられてある。登場人物の多さが手強さを物語っているように思え、最初から腰が引けてしまったことを正直に告白しておく。

 登場人物のプロフィルの「天城一」については、<即ち「私」。刑事弁護士の父を持ったため子供の頃から志望が一貫していた。当時22歳。大学最終学年在学中。父のコネを利用して伊多検事の鞄持ちの資格で犯罪捜査にタッチするチャンスを持っていた>と記載されている。巻末のエピローグの最後に「55年3月」と日付があった。昭和30年、今から70年も前の作品だ。

 

 圷子爵が何者かに射殺された、子爵の女秘書も撃たれて重傷を負ったという知らせを受け、私は伊多伯爵の車で子爵邸に向かう。大きな敷地の中に建つ洋館の一室で、長男の信義の婚約者であり秘書の津中ユリから死ぬ間際の証言を聞くことができた。子爵から、訪ねて来る者がいると言われていたので扉を開けたら突然撃たれた。背の高い男で顔は見ていないと言い残して亡くなった。子爵は書斎で椅子に座ったまま亡くなっていた。額には至近距離からの銃撃を証明する硝煙の跡が残っていた。

 背の高い男が邸を訪れ玄関のベルを鳴らした。ユリが扉を開くと男は突然消音器のついた拳銃でユリを射撃し、そこから直ちに子爵の部屋に進入し、子爵の正面、至近距離から致命の一発を放ち、何一つ手掛かりを残さず逃亡したものと見られた。後の調査でユリの部屋でもある秘書室の屑籠から消音装置の付いたブローニング銃が発見された。子爵の書斎から外に出る扉は二つ。玄関に通じる扉は開かないため巡査と運転手は扉を打ち破って中に入った。もうひとつは書斎から日本間に通じる扉で、このふたつがともに内側から錠が降ろされていた。何一つ盗まれたものはなかった。子爵はまれにみる謹直な人物で恨みのため殺されたとは考えられないので政治的暗殺とみることもできた。島崎警部補が「天城君、密室の犯罪だよ」と言う。

 

 ここに新たな人物が登場する。軍内の急進派茅崎大将の秘書で日本屈指のドン・ファンと異名のある千手定夫が現れ、子爵邸を訪ねたが子爵とは会えずユリと玄関先で立ち話をしたと証言した。子爵と面会の約束もなしに訪問したこと、乗って来た車を帰したことで印象が悪くなった。島崎警部補の高等学校の一年後輩だと分かる。

 子爵の長男の信義が寝ている時、ベッドの上で賊に襲われたという事件が発生した。馬乗りになった男に首を絞められた、必死になって抵抗すると男は逃げた。戸締りが厳重であったこと、家内を捜してもどこにもいなかったこと、庭で怪しい足跡を見つけたことを警察に申し出て来た。

 信義が「国家機密」と書かれた包みを持って伊多伯爵を訪れた。父親とユリが殺された当日の午後に父から預かってもらいたいと渡されたと言う。そして「この包みはパンドラの箱です。開けてみれば後悔するでしょう。この書類が目的で襲われたのではないかと思う」と付け加えた。「註」記があってそれには「このパンドラの箱の中身については、私は何も知らない。伯爵も知らない。従って現在でも確かめるすべはない」と書かれている。

 

 「圷家の崩壊」の章。圷大将、妻の幾子、ユリの葬儀が行われた。出棺の際に信義の姿が見えなくなった。拳銃音がしたので駆けつけるが扉に錠が落ちていて開かない。扉を壊して中に入ると前額部を拳銃で撃たれた信義が床に倒れていた。圷家最後の一人が亡くなった。部屋は完全な蜜室だった。銃創の周辺には硝煙がほとんと付着していない。少し離れたところに落ちていた拳銃は信義のものでそれには誰の指紋もついていなかった。

 「島崎の推理」の章。島崎警部補は、糸を使ってスライド・バーを押し込む方法の図解をもとに千手の犯行だと推理を語る。さらに、津中ユリの素行調査報告書が出てきて、ユリが千手の愛人だったこと、千手が子爵に紹介して住みこませたことが分かった。信義がユリに参ってとうとう婚約するまで発展したがユリならば密室を作ることができた。この後、千手が逃亡し、警官に取り囲まれる中で愛人と心中した。

 伯爵と私の会話。「誰が犯人です?」「誰が犯人でもかまわないでしょう?」「なぜ?」「事件は終わったのですよ」。伯爵は、パンドラの箱を正しい持ち主に返すと言って、私と一緒に茅崎大将の家を訪れる。

 そして「エピローグ」。密室を密室として、つまり誰も出て行かなかったし、誰も入っては来なかったと考えたらどうですか。蜜室を構成することは無用の手数です。ユリが撃たなかったとしたら信義君が撃つよりほかに誰が撃ちますか。そしてあらゆる状況がユリは自殺であることを示していると伯爵が語る。この後、伯爵に宛てられた信義の遺書ですべてが明らかにされる。

 さらに「あとがき」に、「多分、読者はこの事件の更に詳細な解析が必要だと要求されるであろう。探偵小説の原則に反して、あまりにも貧弱な説明で終わったと非難されるであろう。しかし、私は「解決編」をこれ以上語る気になれない」と書いて、「この事件の「解決」は解決ではない」と閉じている。

 

 とにかく長い物語で、だから登場人物も多く、小さなエピソードがまるで目くらましのように散り嵌められ、あっちに行ったり、また別なところに行ったりで休む間もなかった。天城は短編の作家という思いを強くした。