“感性”は、一つでありません。政治家には、“施政感性”が求められます。“宣伝(プロパガンダ)感性”は、二の次ではないでしょうか。

 

“今号の幹ことば”:“感性”

 

今日(101日)から10月、神無月に入りました。

全国各地の“八百万の神”は、“出雲大社”に出向かれ、どこの地の氏神さまもお留守です。

でも、朝夕には、心におわします“氏神さま”に“感謝の祈り”を忘れずに捧げていかねばなりません。

私は、コーヒーが大好きで、一日に複数杯のコーヒーを飲みますが、今日が“コーヒーの日”であることは、昨日の新聞記事を読むまで知りませんでした。

ちょっと調べてみましたら、“国際コーヒー機関”が承認した最初の記念日は、“2015101日”なのだそうです。

私が知らなくてもと、変に、納得しました。

その“コーヒーの日”も、朝から“東京都政”の責任者探しのテレビ放映が為されていました。

誰が決済の印鑑を押したかは、官庁ですから、必ず、押されているはずです。

簡単です。

当時の“知事”の押印しかない筈です。

これだけと言うか、大型プロジェクトです、“知事”の押印しかないないんです。

最終の責任者は、“石原元知事”です。

簡単なことです。

それが、日本文化の“押印”文化の責任の取り方です。

“小池知事”の施政で、直ぐに遣らねばならない事は、このプロジェクトを如何に進め、注ぎ込まれた“都民の血税”を“活かす”施政を実行することなのです。

以前からお話しさせて頂いて居りますが、“感性”は、一種ではありません。

“小池知事”は、前歴から物語っておられるのでしょう、タレント性の“宣伝・広報(所謂、プロパガンダ)感性”には、優れて、光り輝いている“感性”をお持ちです。

だから、“大衆・都(市)民”受けする“話題提供への感性”は、素晴らしいものです。

ここで注意が必要なのです。

今一番に大切な“施政”は、“何なのだ”をしっかり見つめなければいけないのです。

“大衆・都(市)民”受けすることには、“マス・メディア”も飛びつきます。

これが怖いのです。

“宣伝・広報(所謂、プロパガンダ)感性”が、“政策の企画”や“施政”の“感性”に、必ずしも、繋がっていないのです。

“宣伝・広報(所謂、プロパガンダ)感性”に長けておられ、残念ながら、“政策の企画”や“施政”の“感性”が、それ程でもない“小池知事”に、一番必要なのが、“政策の企画”や“施政”の“感性”に長けた頭脳を集めることなのです。

それが、今は、集められていないのではないかと思われます。

残念です。

“宣伝・広報(所謂、プロパガンダ)感性”に長けていることは、裏を返せば、“詐欺師感性”とも言えなくないのです。

頂に、“宣伝・広報(所謂、プロパガンダ)感性”に長けている人を仰いだ時には、非常に、気を付けなければならない事です。

みんなの生活には、“政策の企画”や“施政”の“感性”が、一番だと思います。

皆さんはどの様にお考えですか。

今号も最後までお付き合いを頂き、ありがとうございました。

新聞やテレビの広告には、“おせち料理”が、出てきました。

季節感が、ドンドン無くなっていきます。

自分なりに、“季節”を愉しんでいきたいものです。

伊藤 治彦

liaps@wing.ocn.ne.jp