離婚や不動産の記事をご期待の方(いるのか?)、少しの間だけごめんなさい!

ちょっとだけ司法試験のことを書かせていただきます。

また近いうちに離婚や不動産のことを書きますので、お見捨てなく。。。

 

「人の話を聞かないって、1とかぶっとるやないかい」と思われた方も、

いやほんとに人の話を聞かないことが、

下手したら司法試験に受からない1番の原因なのかもしれないんすよ。。。

 

 

弁護士になってから3年目くらいのある夜。

私は先輩からバーに呼び出され、急な階段を上っていました。

 

 

先輩からのオファーはこんな感じです。

「後輩で5回目の司法試験を受ける人間がいる。

現在は法律事務所の事務員としてバイトをしながら勉強をしている。

複数回受験して合格したお前の経験を話してやってくれないか。

酒は俺のおごりで好きなだけ飲んでくれて構わない。」

 

 

私は調子に乗って1杯数千円するリキュールなど飲みました。

先輩は怖い顔をしていましたが、なにもいいませんでした。

 

というのは置いておいて、問題はその後輩さんです。

 

 

結局司法試験の話しをしていると先輩もエンジンがかかってきて、

私と先輩の2人で後輩さんにアドバイスをするような形になりました。

 

ただ、おもしろいことに、私と先輩のアドバイスはほぼ同じ内容だったんです。

 

どのような内容かというと、

①欠けている知識を補充することに時間をかけるな。

②答案の書き方を研究し、答案の書き方のフォーマットを作れ。

③司法試験の現場では、問題文を見て自動的に回答を書けるようになることを目指せ。

というようなものです。

 

 

これ、結構興味深い内容だと思うんですよ。

 

たとえば①ですと、

知識が必要と思われがちな司法試験で、知識の勉強に時間をかけないの?

というような意外さを感じる方も多いのではないでしょうか。

試験に合格して法曹としてお仕事されている方の多くから見ると、

「そんなもんあたりまえやないか」って感じかもしれませんが。

 

同じように②だったら、

「書き方の研究ってどうやるの?」とか、

「書き方のフォーマットってわからないのでどんなものか見てみたい!」

というような疑問が発生すると思います。

 

司法試験受験生であれば、それなりに興味を惹かれる内容だと思うんです。

 

で、私も先輩も同じようなことをいってるわけなので、

多分間違ってはいないはずなんですよね。

 

 

しかし後輩さんの反応は、

「でもやっぱ知識が抜けてるのは怖いんで知識勉強したくなるっす」

というものでした。

 

そして、先輩が「アドバイスはだいたいできたからなんか質問ある?」と訊くと、

後輩さんは「試験期間中はどのように過ごされてましたか?」と、

①②③のアドバイスからはかけ離れた質問をしてきました。

 

 

その後私と先輩は別のバーで飲み直しました。

 

そして季節が巡った後、

風の噂で後輩さんがある会社の正社員として就職されたことを聞きました。

 

5回の受験制限は、本当に残酷です。

 

 

人の話を聞かない。

 

不合格×5で失権している人は、ほぼ全員がこの性格の持ち主です。

後輩さんもやはり人の話を聞かない方だったな、と後になって思います。

 

 

まず、①のアドバイスに対して、反論してしまってますよね。

 

私からすると、だいぶ的外れな反論だと思うのです。

 

「知識の抜けがあると怖くなっちゃう」って、それはあなたの「怖い」という感情の問題だよね?

司法試験はあなたの感情を満たすと合格するルールではないよね?

一定の点数を取ると合格するルールだよね?

なんであなたの「怖い」という感情が勉強の方向性を決定するの?

どうしたら点数を取れるかという試行錯誤が勉強の方向性を決定するんじゃないの?

って思っちゃうんですよ、厳しいことをいうと。

 

後輩さん、一旦①を受け入れればよかったんです。

 

受け入れた上で、

知識の勉強に時間を割かないとはどういうことか?

なぜ知識の勉強に時間を割くべきでないのか?

知識以外のどのような勉強に時間を割くべきなのか?

と深掘りしてくれれば、多分私と先輩は一定の回答をできたんですよね。

 

やはり、素直さが成功の秘訣ということになります。

この点は、前回の記事と同じですね。

 

 

そして次に、後輩さんは残念ながら、私と先輩を信用してくれなかったんです。

 

信用してくれれば、①②③は価値ある情報だという前提に立ち、

①②③を実現するためにはどのようにしたらよいか?

といったような深掘りの質問をしてくれたはずなんです。

 

でも後輩さんの質問は、試験期間中の過ごし方についてでした。

 

つまり後輩さんは、①②③は価値ある考え方でないので信用せず、

後輩さんにとってより価値ある情報である、

「試験期間中の過ごし方」という事項について質問してきたのです。

 

私と先輩は、司法試験受験生にとって最も価値ある情報だと考えて、

①②③をアドバイスさせていただきました。

後輩さんは、私と先輩を信じてくれず、

後輩さん自身の価値観だけを信じていたのです。

 

試験期間中にどんな過ごし方をしていても、

正しい勉強をしてきた人は合格し、

間違った勉強をしてきた人は不合格になります。

 

なので、常識の範囲で最後の復習的な勉強さえ淡々とやっていれば、

試験期間中にどのような過ごし方をするかなんて、

合格と不合格を振り分ける分水嶺にはならないんです。

 

はっきりいうと、試験期間中の過ごし方なんて、

合格するためにはほとんど価値のない情報なんですよ。

 

私の友人は試験期間中に体調を崩して救急車で運ばれても合格しています。

別の友人は38度以上の熱を出しても合格しています。

さらに別の友人は試験直前にわりと大けがをしたにもかかわらず一発合格でした。

私は彼らほどではないですが、合格した年の試験期間中は、

毎日37.5度くらいの微熱がでていました。

 

試験期間中の過ごし方なんて些細なこと、ほとんど意味なくないですか?

意味あります?

 

 

というわけで、

素直でない、という理由で話しを聞かないというのは、

前の記事と同じパターンでした。

 

新しかったのは、

先達を信用しないが故に話しを聞かない、というパターンです。

 

 

先達の話は、とりあえず信用した方がよいというのが教訓です。

というか思い返せば私が合格したのも、

先に合格した友人の勉強法をTTPする(徹底的にパクる)形で、

自分のそれまでの勉強法を大幅に変更したからです。

 

 

そしてこういうのを偉そうに書いていると、

「おめえ、仕事をする上で、素直になれてんのか?先達を信じられてんのか?」

という内なる声が聞こえてきます。

 

明日からマジで心を入れ替えていきます!

マジで!!!

久々に司法試験の悪夢にうなされました。

ので、久々に司法試験のことでも書かせていただきます。

 

司法試験に受からない人シリーズ。

 

 

人の話を聞かない

 

 

私が弁護士になってから数年後のある日。

ある人が、司法試験についてアドバイスを求めてきました。

 

「私は、学者が書いた法律の本を読むのが苦手です。

予備校の参考書だけを使って合格できないでしょうか?」

 

というのがその人の質問でした。

 

 

私は、

「多くの人が学者の書いた本を読んで最終的に合格しています。

したがって、多くの人と同じように学者の書いた本を読むことが、

司法試験に合格するには必要なのではないでしょうか。」

と回答しました。

 

その人は再質問で、

「でも、予備校の参考書だけ使って合格した先輩もいるんです。

学者の本を読むのが苦手なのは、司法試験に向いていないんでしょうか?」

と返してきました。

 

私は、

「学者の書いた本を読んで法律のリサーチをすることも法曹の仕事の一部です。

今は予備校の参考書しか読めない状況だったとしても、

最終的には学者の書いた本を読めるようになる必要があるのではないですか。

司法試験は予備校の参考書を読むための試験ではなくて法曹になるための試験なので、

法曹の仕事に近い勉強をすることが試験合格にも近づく途だと思います。

苦手かどうかなんて考えている暇はないと思いますので、

「向き不向き」を気にするのはやめましょう。

やるべきことをできるようになるために試行錯誤し、

淡々とやるべきことをやりましょう。」

という趣旨の回答メッセージを送りました。

 

その人からは、

「「向き不向き」を気にしなくてよいということで安心しました!

ありがとうございます!」

という感じの短い返信が返ってきて、やりとりが終わりました。

 

 

この短い返信、どうですか?

結構違和感ありますよね。。。

 

俺が言いたいのは「「向き不向き」を気にしなくていいよ」ってことではなく、

「やるべきことを淡々とやりなさい」ってことなんだけどな。。。

って感じでした。

 

 

要するにその人は、

「学者の書いた本は読まなくていいよ」

「予備校の参考書だけ読めば合格できるよ」

といってほしかたったわけです。

 

そのようにいわれなかったので、その人としては不満だったわけです。

そして、「「向き不向き」のような問題で悩むことに時間を使うのではなく」

というその人にとって耳障りがよい文言だけに飛びついて、

「やるべきことを淡々とやりなさい」という、

メッセージの重要な部分をきちんと理解してくれなかったのです。

 

 

数年後の合格発表シーズン、私はふとその人を思い出してその人に連絡をしてみました。

その人はすぐに私をブロックし、私との関係を切りました。

 

そっか、受からなかったんだなー。

俺の伝えたかったことは結局伝わらなかったんだなー。

そんな風に、少しだけ残念な気持ちになりました。

 

 

人の話を聞かない。

 

 

私は、多くの人より長い期間を司法試験に費やしてきました。

また、合格後も数年間受験指導に携わりました。

 

なんだかんだでだいたい10年くらい、

司法試験と関わってきたことになります。

 

そんな中で、試験に受からない人の性格はよく理解しています。

 

 

人の話を聞かない。

何度試験を受けても合格しない人は、ほとんどがこの特長を持っています。

 

 

人の話を聞かないことの理由は

大きく分けて2つの理由が考えれます。

 

 

1つ目は、素直でないこと。

 

今回の例の人でいえば、学者の本を読んだ方がよいとアドバイスを受けたのに、

このアドバイスに素直に従うことができずに、

「予備校の参考書を読む」という自分のやり方に固執してしまっていますよね。

 

 

仮にこの人が素直に「学者の書いた本を読む」というアドバイスを受け入れてくれれば、

次に「学者の本を読むのが苦手な人が学者の本を読むにはどうしたらいいか」

というアドバイスだってしてあげられるわけです。

 

①本を1冊最初から最後まで読むのでなくわからないところだけ調べ物のように読む。

②わかりやすい言葉で書かれていると定評のある本を読む。

③まずは簡単な薄い本を読んで全体の流れをざっと押さえる。

といったように、いくらでもアドバイスは可能なわけです。

 

例えば、①なんて、問題集をやっていてわからない部分が出てくるたび本を読んでいれば、

疑問を解決するための積極的な心構えで興味を持って読むので理解しやすくなりますし、

最終的にはほぼ1冊本を読み通したのと同じような状況になっていますし、

問題集で問われやすく自分が苦手なところだけチェックの入った必殺技のような本が完成します。

 

 

というように、まずは「学者の書いた本を読む」というアドバイスを受け入れてくれれば、

それを実現するための具体的な対策の話だってできたのです。

 

その人はこれを受け入れてくれなかったので、

より重要度の高い具体的な対策の情報にまでアクセスできなかったのです。

 

 

このように、素直でないという理由で人の話を聞かない人は、

「具体的な対策」のようなより重要な情報にアクセスできないことが多いです。

 

結果として、試験に合格する確率も低下してしまうのです。

 

 

2つ目は、自己中心的であること。

 

 

私のメッセージを読めば、

私のアドバイスの力点が、

「やるべきことをできるようにする、淡々とやるべきことをやる」

という部分にあることは明らかです。

 

そのような力点に着目するのでなく、

「向き不向きは気にしない」というその人にとって嬉しいメッセージに飛びつく。

 

要するに、相手のメッセージを理解する際に、

「相手にとっていいたいことは何か」という相手思考でなく、

「自分にとっていわれたいことはなにか」という自分思考になっているのです。

 

 

自分思考というのは、自分が望むものだけを受け入れるということですから、

より厳しいいい方をすると「自己中心的」ということになります。

 

自己中心的な考え方しかできないので、相手のメッセージを正しく受け取れないのです。

 

これが2つめの「話を聞かない」理由です。

 

 

このような2つの理由で「話しを聞かない」人は、

重要な情報にアクセスできず、相手のいいたいことを受け取れない結果、

間違った方向に進むことになり、試験に合格する確率が低下するわけです。

 

 

当たり前といえば、当たり前の話かもしれません。

ビジネスの世界では「TTP(徹底的にパクる)」という言葉があるように、

自分が成功するためにはまずは他人の真似を徹底するくらいの謙虚さで、

成功した人に素直に学ぶことが大切だといわれています。

 

 

私も、仕事で成功するために、

改めて「人の話を聞く」「素直になる」ということ、

大切さを確認しておきたいと思います。

「このブログ、結構書いてるのに、コメント全然もらえないな?」

と思ってたんですよ、今日この日まで。

 

なんと、コメントできない設定になっていることが判明しました。

アホすぎますね。

 

 

本日、コメントできる設定にしておきました。

2年くらいの間、俺はいったいなにをやってたんだ???

 

 

というわけであらためましてコメント可能になったので、

この記事のコメント欄で離婚についての質問を募集いたします。

 

 

例によって時間がなければお答えできません。

 

そもそもそんなに頻繁にアメブロを開かないので、

気づくのに時間がかかる場合もあります。

 

ご回答が、コメントへの返信の形になるか、

一つ記事を書く形になるか、保障できません。

 

差しさわりがあったり知識が足りなかったりといった理由で、

ご質問のご回答を書けないこともあるでしょう。

そんなときは書けませんとコメントさせていただきます。

 

ご質問が0の場合、こんな記事を書いていることがとても恥ずかしいので、

この記事事態削除するかもしれないです。

 

個別の法律相談は、ご勘弁ください。

ここで訊かれても責任取れないですんで。。。

対面かzoomで法律相談やってますのでそっちのアポ取ってください。

 

 

そんな前提でよろしければ、コメント欄でご質問ください。

 

面会交流シリーズはいつ書くのかって?

俺もわからないよ???

発達障害がトラブルの原因になってるっぽいぞ?
と思うことがここ数年増えております。


専門家じゃないので診断できるわけではないんですが。
発達障害について本を何冊か読んで勉強したわけです。

例えば、
発達障害が原因で職場でうまくいかなくてトラブル発生、
みたいなことが労働事件の背景になってるっぽいなー、

と思うことがあります。


とはいえ、今回は離婚にフォーカスして考えてみたいです。


離婚案件でも、
発達障害が夫婦トラブルの原因になってる、
と思われることは多々あります。

例えばASD特有のこだわりの強さが家事への過度のこだわりになり、
結果として家事のやり方で大喧嘩になってしまったり。


ただ、夫婦喧嘩で済んでるうちになんとかしてもらいたい。
弁護士への相談が必要になる前に、なんとかする方法はないもんか。


一番いいのは、
自分のパートナーが発達障害っぽいなーと思ったら、
専門機関を受診してもらうことですよね。

検査をしてもらって、診断名がつくのであれば、
診断名に合ったアドバイスをもらって考え方や行動を変える。

そういうことを実現できたら回避できる夫婦間トラブル、
結構世の中にはあるんじゃないかなーと思うわけです。


とはいえ、
「あんたは発達障害っぽいから病院に行って来なさい!」
なんていったらかえってパートナーを傷つけてしまいますよね。

最悪、これが夫婦喧嘩の原因になってしまう。
そして、それが原因で離婚の話し合いに。。。
なんてことになったら大変です。


なので、相手を傷つけないで専門機関の利用を促すやり方を検討しました。


結論はこうです。
まず、自分自身がサッと専門機関で検査を受けちゃいましょう。



理由はなんでもいいじゃないですか。

なんだか自分の言動や考え方が偏っている気がしたから。
友達から、発達障害じゃね?と指摘されたから。
自分の親や親戚が発達障害っぽい言動をするから。

いくらでも理由を考えられますよね。


で、自分が検査してみたのであなたも行ってみては?
と打診してみると、
パートナーも専門機関に相談してみる気になりやすいのではないでしょうか。

事前に、
「私が先に検査してみるからその後あなたも検査してみて」
と約束しておくのもいいでしょう。

黙って自分が検査を受けてしまっておき、
「お医者さんに聞いたらパートナーも検査してみたほうがいいみたい」
と打診してみるのもいいでしょう。


とにかく自分自身がまずは専門機関で検査を受けてみることで、
パートナーの専門機関利用へのハードルを下げてしまうのです。


いかがでしょうか。
離婚回避の一つの手段として、試してみる価値は十分にあると考えます。


今の時代は例えば、
待ち合わせの時間を守れない!とか、
なんとなく嫌で郵便受けを見ることができない!
みたいな発達障害が原因と思われる行動のクセを、
投薬で改善できるようです。

また、自分の考え方や行動のクセを第三者から指摘されるだけでも、
日常的な行動が変わることを期待できると考えます。

そういう対策の結果、
離婚という重く大変なイベントを回避できる可能性があるのなら、
やってみるのもいいと思いませんか?


令和にもなり、発達障害という概念もありふれたものになってきました。
考え方や性格の特性がトラブルという形で表に出てしまうのは、悲しいことです。
ましてやお互い好きで結婚されたご夫婦の間で、
トラブルの種になってしまうのはぜひとも避けたいものです。


「まず自分から検査を受けてみる」。
パートナーにその人のパーソナリティーに向き合ってもらうための、
一つの交渉術というふうに考えれば、
ご自分が検査を受けてみることのハードルも下がるかと思います。


ご参考いただけましたら幸いです。

配偶者さんから離婚を切り出された。

でも自分は絶対に離婚したくない!

という場合にどうしたらよいかというお話です。

 

まず配偶者さんが弁護士を通じて連絡してきた場合。

この場合は、時間と労力をかければほぼ確実に離婚は実現されます。

したがいまして、離婚をしないということにこだわっても、

最終的には徒労に終わってしまうことがほとんどです。

別居期間を確保され、調停、訴訟、と確実に進まれれば、

裁判所は最終的には離婚の判断を下します。

 

なので、弁護士を通じて連絡が来た場合には、

離婚しないことにこだわるのは得策でないです。

このような場合私なら、お子さんとの面会交流を充実させるとか、

養育費や財産分与などお金の面を適切な支払額にするとか、

ソフトランディングさせる方向で動くようアドバイスします。

 

のっけから「離婚したくない!」は無理という結論で恐縮です。

配偶者さんが弁護士に相談に行く前に、きちんと対応してください。

関係修復・再構築のための祈祷とか情報商材とか、世の中にはあるみたいです。

それ、たぶん無駄にお金を使うだけになってしまいますので。。。

 

 

つぎに、配偶者さんが弁護士に相談に行く前に離婚を打診された場合。

この場合は、とにかく誠実に対応することですね。

前述の祈祷とか情報商材とかに頼らず、指摘された言動を修正していきましょう。

 

1か月待って、その間にきちんと対応するから!といった形で、

期限を決めてご自身の変化を見定めてもらうのもよいでしょう。

 

というだけだとあまりに抽象的ですので、

これまでの経験から、

「離婚したくないならここを直しなさい!」(っていうタイトルの本ありそうじゃないですか?)

ということを男女別に述べておきたいと思います。

 

まず、男性の場合。

男性場合、男子校的な男同士の文化を結婚に持ち込まないことが大切です。

男同士って、辛辣なジョークや皮肉を言い合ったり、

おたがいにいじりあったりして楽しむじゃないですか。

それ、女性にやっちゃうと嫌われてしまうことが多いんですよね。

女性は皮肉やいじりは苦手で、労われたり褒められたりしたいことが多いので。

 

あとは家でも清潔感をキープするとか、強い口調や声を荒げることはやめるとか、

最低限の生活スタイルや礼儀の部分も一通り見直した方がよいかもです。

ポイントとしては、職場でやらないことは家庭でもやらない、ということです。

歯も磨かずに職場に行ったり、上司を怒鳴りつけたり、しないですよね?

おうちにいるときも同じようにしましょう、という感じです。

 

あとは女性の育児や家事には常に感謝し、少しでもご自身で担って参りましょう。

これは私にとっても「自戒を込めて」という感じです。

 

 

つぎに、女性の場合。

打ち解けすぎて傍若無人にならないでくださいね、とお願いしたいです。

旦那さんの嫌な部分を指摘するとき、直接的過ぎる言い方になってませんか?

育児と仕事の両立など男性に比べて悩みが多くなってしまいがちなのはわかりますが、

そのようなお悩みのイライラを旦那さんにぶつけてしまっていませんか?

 

私は男性なので女性への指摘についてはちょっと及び腰になってしまうのですが、

女性の側も、職場でやらないことは家庭でもやらない、という観点から見直しをお願いします。

 

旦那さんに不満を持ってしまうのはよくわかるのですよ。

私も妻から多くの不満を持たれておりますので。

でもその不満をコーティングせずにそのまま旦那さんにぶつけてしまうと、

男性としては奥さんと一緒にいることが辛くなってしまうことがあります。

 

 

といった感じで、男女別「離婚したくないならここを直しなさい!」でした。

とにかく早く修正するのが大事ですので、よろしくお願いします。

弁護士が出てきた後ではほぼほぼ手遅れですので。

 

 

色々あって仕事ができない→仕事が溜まって身動き取れない、

という状況がようやく終わりに近づきつつあります。

これで一通り書いておきたいことを書けましたので、

あとは少し腰を据えて面会交流の交渉術を書いてゆきたいと思います。

もうちょっと過去の裁判例の網羅に時間がかかりそうですので、

また間が空くと思いますが、よろしくご了承くださいませ。