昨日は3月11日、東日本大震災10年の追悼式が行われました。
そして、夜、なんだかいつもよりとっても疲れている自分に気がついたのです。
今回は十年目の節目ということで、一週間ぐらい前からメディアで、津波の映像や、ご遺族の物語などをたくさん耳にしたり目にしたりしてきました。
そして、私自身もあの時のことをリアルに思い出しました。
都内、五反田のビルで、そういえばパステルアートをみんなで教えてもらいながらノウイングの仲間で集まっていたっけ。 ドアを急いで空けに行ったことも、ついさっき起きたことのようです。
先日の大地震も、東日本地震の余震だったこともあり、本当にまだ終わっていないことを実感しました。
亡くなったり行方不明になられた2万人以上の方々が、身を持って伝えてくださったことを、決して無駄にしてはいけないです。
防災教育のことも、その時に「今、この瞬間」を誰といても本当に大切にしなくてはならないということも、、、。
そして、なんでこんなに疲れたのかなあと思った時、やはり、起きたこと、突然の別れ、その後の寂しさや生き残った方々の後悔の思いなどを聞いているうちに、私はどうやら共感を超えて個人的に受け止めてしまったことに気がついたんです。
自分自身の過去生を含めた、同じような悲しみや別れ、後悔などが共振してしまって、夜はどよ〜んとしてしまったのですね。共感ではなく、同情もしてしまったのかも、、、。
カウンセリングをしていると、亡くなった方々は、決して残してきた方々が、悲しんだり苦しんだりしているのを全く望んではいません。
そして、生きたきた人生の「ればたらステージ」をすぎれば、せまい身体から自由になって、我われよりもある意味、ず〜っとすてきな場所にいるのです。
ゲリーが、震災当時、体外離脱してヘルプをしている時の実体験を話してくれました。
漁船が津波で真っ逆さまにひっくり返り、空間のある船底で、死を待っていた方々のことを。
彼らは、手を取り合い、最後は心と気持ちはとても静かで、お互いの手を取り合いながら感謝の中で天へ移行していったそうです。 この話を聞いた時、そういうことも起きるのだと、とても感動しました。
そして夜の音楽の日のライブを見ているうちに、私のどよ〜んも軽くなってきました。 意図のこもった音楽やエールは確かに、人を元気にする!
震災の日は、追悼し、残してくれた気づきや叡智に今一度つながって、みんながエールを送り合い元気になる日にしたいです
そして、あの2時46分のサイレンの音を、どうかすてきなリンかベルの音に変えてほしいなあ。
大野百合子のmy Pick