
Judgement is just like Prokurustes' bed.
ゲリーも元気。
再受講の方も含めてたくさんの皆さんと7か月の間ご一緒できることがとてもうれしいです。

今は、潜在意識と顕在意識をへだてているヴェールもどんどん薄くなっているので、呼吸による解放も効果倍増の感があります。

古代の叡智は一貫して、「正しくなければならないという必要性―need to be right」を手放すことが、自由と統合への最大のポイントと伝えています。
正しいと愛される―愛されたら生き残れると、私たちの潜在意識は正しくなきゃだめ!と私たちを動かしていくのです。自分の正しさを推し進めていくと、人を裁き、自分が自分の基準にあわないと自己否定に陥ります。
でもこの何が自分にとって正しいかの基準は、身体のほうの感覚意識がリードしている5歳までに95パーセントが決まってしまうという研究結果がでています。Wow!

5歳まで??

5歳までの人間関係ってほとんどが家族の親や兄弟、近所の人たち、そして保育園の先生たち、、、ですよね。その中で自分も他人も区別のつかない赤ちゃんは、生き残るために正しくあろうとがんばります。その時の正しさって、親や養育者、まわりがどうしたら喜ぶのか、どういう時に怒られるのかによって決まってくる。 受け入れられるために決めた枠組みが、本来の自分のやりたいこと―情熱と相反する場合、これはしんどい!このことに気づかないと、一生周りを気にするしんどい人生を送ることになります。
正しくなければならないと思いこんでいると、それはジャッジメントになって現れます。自分の正しさから外れている人やものを裁くわけです。もちろん自分自身も含めて。

私は子供の時からギリシャ神話が大好き。その中に盗賊プロクルステスの恐ろしい話があります。彼はアッティカの盗賊。旅人を捕まえては、鉄のベッドに寝かせ、ベッドからはみ出る背の高い人は足を切り、背が足りない人は身体を無理やり引きのばしてベッドサイズに合わせました。もちろん、命とともに持ち物を奪っていたわけです。
正しくあろうとするとき、自分の基準にそって人や自分を裁く時、私たちはプロクルステスと同じことをしているのではないでしょうか。
人を変えようとすることは最大の傲慢だとゲリーは言います。
テーセウスが来る前に、自分で内側のプロクルステスを退治しなくっちゃ!!!